第231話 天に唾するその報い
こいつは効いたぜ、というスリンジの確信は裏切られた。
デュロンは掲げた両腕で頭部と胸部を守り、その筋骨の密度によって、〈
この
鋼の肉体を持つという人狼に対し、悪手を打ってしまったかもしれない。
……いや、違う。と、スリンジは訂正する。さっきから見ていてわかったが、こいつにはもはやなんの工夫も特性もなく、ただぶっ放すだけの普通の攻撃魔術は、ろくな有効打にならない。
なので方法論としては最適解だったはずだ。にもかかわらず弾かれたのは、力の配分の問題ではなく、単純に練度が足りないからか。
弱者の蹂躙にかまけていた自分たちと、常に人数差や実力差を覆してきた
通用しないと言っても、まったく効かないわけではないだろう。なら間合いを詰められる前に、一回でも多く試行を繰り返すべきだろう。
「はっはあ! ご機嫌だな、デュロン・ハザーク!」
切り替えよう。風というのも要は空気による物理攻撃なわけだから、強度で押し合うのもバカバカしい。
なら雷十割風零割。これでどうだ!?
呵々大笑しつつも、スリンジの脳裏を一つの言説が過った。
優れた人狼は嗅覚感知により、思念の力である魔術の発動前兆を察するだけでなく、その属性すら予見してしまうのだという。
もし奴が純粋な雷霆系に対しなんらかの対策を持っていたら、そいつを置きにくるのではないか?
生憎なことに、その懸念は的中した。
雷霆系の魔術はその精強な威力と絶大な速度と引き換えに、発動可能時間が短いという欠点がある。
瞬く間に相手へと到達するはずの紫電は……しかしスリンジの眼前に逆三角形の星座を描いたかと思うと、その輝きを消してしまった。
なにが起こったのかは見えていた。デュロンが咄嗟に放った二つの小さな鉄球と、スリンジの指先、その三点間で電流が完結させられてしまったのだ。
焼けた指弾が落下すると同時に、奴は至近へ肉薄している。
速いが、その動きも見えているし、反応も間に合う。
視界の両端に消えかねない、左右大外からの掻き抱くような斬撃の軌跡を捉え、スリンジの両手は奴の両手首を精確に掴み、拮抗する膂力で押さえ込みを図る。
デュロンは驚いた様子を見せたが、そのまま鉤爪の尖端を突き込もうと前進を続けてくる。当然やらせるわけがない。
満身の力でがっぷりと組み、お見合いとなったところで、人狼の口が笑み裂けた。
「……アンタ、いいの持ってんじゃねーか……でもよ、俺もあるんだよ。固有魔術……」
ハッタリだ……とスリンジは脳内で断じた。こいつについては、とうに死ぬほど調べ尽くしてある。
人狼と人狼の間に生まれた人狼の子は間違いなく魔力ゼロ、固有魔術の発現確率0%。
隔世遺伝というやつもそうそうあるわけではないし、そもそもあるなら噂になっていないとおかしい。
もっと言うと悲しいことだが、スリンジごときに使うくらいなら、たとえばウォルコとの戦いで出していないはずがないのだ。
だが狼の言葉を聞いてしまった時点で、敗北へと導かれていたのかもしれない。
スリンジの気が逸った……具体的には魔術の発動を意識した瞬間を気取られたようで、デュロンが不意に力を緩め、押されるままに後退する。
勢い余ってつんのめる格好になったスリンジが、しまったと思うより早く、衝撃が顎をカチ上げる。
月夜の天を仰いでようやく、膝蹴りを食らったことを、揺れる頭が理解する。
たたらを踏んでから、これもワンテンポ遅れて、ちょうどいい間合いを作ってしまったことを自覚した。
身構えたときには右脇腹に、デュロンの全体重を乗せた回し蹴りが叩き込まれている。
「かっ……あ……!」
あまりの響きと軋み、そして内部破壊の浸透範囲に対し、苦痛や恐怖より先に怒りが、次いで、いっそのこと笑いすら込み上げた。
なんだこの威力は、ふざけすぎだろ!? 足に爆弾でもくっついてんのか!? どういう鍛え方をするとこうなるんだ!?
これではもう、打撃に魔力を込めようが込めまいが、大した違いはない。
なるほど、立派なハッタリを吹きやがる!
完敗だ。別に精神的に屈したからというわけではなく、最初の顔面への跳び蹴りと合わせ、たった三発食らっただけで、すでに足腰までがガタガタ、ダメージの閾値に達している。
ここから先は再生限界を超えた死闘となり、給与や役職の割に合わない。
スリンジはなんとか倒れるのを堪えたまま、両手をゆっくりと上げて宣言した。
「……わーかった、退くよ。そのために一人も殺さずに済ませたんだろ?」
部下たちが全員昏倒や拘束で済まされていることには、気づかざるを得なかった。
こいつは兄貴にどやされるなという彼の悪い予感は、やはり当たってしまうようで……デュロン・ハザークは靴の返り血を砂で拭いつつ、戦闘開始前とは逆向きに手をヒラヒラ動かし、不敵な笑みを浮かべて、生意気にもこう言った。
「おーおー、行け行け。ここでお前らに禍根を残すと、落とし所に響いちまうからな。
さあ、肉体労働は終わりだ。後は頭脳担当の連中に任せて、俺らもさっさと帰るか」
そちらに馬車があるらしく、元来た方へシャルドネを連れて戻っていく三人を、スリンジはなすすべなく見送り、その背中に声なく語りかけた。
頭脳労働と肉体労働? ガキは気楽でいいね。俺たち大人は兼任だから、次の席にも続けて顔を出さなきゃならねえのよ。
代わりに彼は呻き声を上げる部下たちを、胴間声で叱咤した。
「オラ、撤収だ撤収! てめえら全員、鍛え直しだかんな! もちろん、俺もだけど!!」
月光は敗れた悪党にも平等に降り注ぐが、今のスリンジにはそれも不愉快だった。
もしも神がいるとして、この光景を見下ろしていたら、奴は爆笑するに違いない。
「ペッ……ぶわっぷ!」
天に唾したその結果は……自分の顔に降りかかってくるという事実を、彼は身をもって文字通り痛感させられた。
しかし、悪党は後悔も反省もしない。
ただ潜伏し、次の機会を待つだけだ。
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