第219話 蒼々
イリャヒが寮で眼を覚ましたとき、リストはすでに出来上がっていた。
しかし、なんのリストなのかわからない。
エルネヴァが能力を使って要領を得たのは確からしいが、なんの取っ掛かりもなくして、具体的な人物名やら施設名らしきものを並べられるはずがないのだ。
そう言って首をかしげる彼に、お嬢様は髪を掻き上げつつ、眉をひそめることで怪訝を返した。
「あら、あなたが寝言でおっしゃったんですのよ? インディペ・ケヘトディ、職業は音楽家のはず、むにゃむにゃ……と」
無意識というのは恐ろしい。自覚的・論理的に根拠を得るより早く、一足跳びに解答だけ叩き出してしまうのだから。
そう、ケヘトディが屋敷に出入りしていた10年以上前から、イリャヒは彼が妹や母に向ける、なんとも言いようのないねっとりした視線が気になり、どうにも彼のことが好きになれなかったのだ。
だからこそなのか……イリャヒ自身はっきりと意図していたわけではなかったが、漏れ聞いた言葉の端々から、彼の性格や職業、嗜好などを多少なりとも把握していた。
そして、具体的にどこの筋からというわけでもないが、どうやら彼がミレインに移り住んできたらしいという情報も、うすぼんやりと掴んではいた。
絶対の確信があったわけではない。ただ……それでなくとも普通は、妹が失踪したら、まずは親類の家に転がり込んでいないか、訪ねて回るものだろう。……そういう口実を唱えておくことにする。
というわけでイリャヒたちはセオリーとノウハウに……つまりエルネヴァの方針と指示に従い、彼女が持つコネをフル活用させてもらって、ひとまず市内の音楽関係者を片っ端から当たってみることにした。
ただしヒメキアは猫たちと一緒に寮でお留守番だ。
何組かに分かれて街へ出たのだが、どうやらイリャヒはこういう運は持っているようだ。
一番近場だった楽器店の店主に聞き込みをしていたのだが、その最中に客の吟遊詩人が、なにやら訳知り顔で眼を泳がせ、迷彩能力で姿を晦ませたのだ。
危うくみすみす逃すところだったが、そこも不幸中の幸いであった。
イリャヒと臨時で組んでいた相方がとっさの判断を下し、当の吟遊詩人に、ギンギラに光る背後霊のような目印をくっつけてくれたため、容易に捕捉・捕獲できたのである。
尋問や拷問の時間も惜しい状況だったが、フミネはそこもクリアしてくれた。
突如としてイリャヒの背後に現れた、青い炎を纏う筋骨隆々の巨人を、吟遊詩人はイリャヒ自身が発動した強大な権能だと思い込み、一瞬で屈服して洗いざらい喋ってくれたのだ。
首尾よくケヘトディの住所を聞き及んだイリャヒは、最短距離で単身飛翔する。
最初はいちおう礼儀正しく訪ねようかとも思ったのだが……せっかくご無沙汰なのだ、ここはリャルリャドネ流の御挨拶を見せてやろうと、出てくるまで悪質なノックを繰り返す。
結論から言うと、その態度で正解だった。
出会い頭に気圧されてしまったことを隠すべく、浮かべたケヘトディの笑みが虚勢のそれであることが、ソネシエの傍目には明らかだった。
「イ〜リャ〜ヒ〜……他に謝るべきことがあるんじゃないか? まったく、どういう教育を受けてきたのだか」
「それは申し訳ない。なにせ我々、生まれも育ちも最悪なものでして」
相変わらずサラリと自虐を口にできる彼を、ソネシエは羨ましく思っていた。
もっと上手く話せるようになりたい、自分の気持ちに雄弁でありたいと思ってやまない。
そうすれば今、彼が見つけてくれたことが、どんなに嬉しいか、言葉を尽くして表現できるのに。
しかしやはりいつも通り、イリャヒはそんなことは気にせず、これも昔と同じ、心からの柔らかい笑みを向け、優しい声で慰撫してくれる。
「ああ、ソネシエ、そこにいますね。良かった……。デュロンも死んではいないようで、一安心です。
今、兄さんがここから出してあげますから、デュロンと一緒に、じっとしていなさい」
「わかった。じっとしている」
自らの感情に従い、ソネシエはデュロンの側に大人しくしゃがみ込んだ。
そしてその後に、今まで麻痺していた理性が回転を始める。
せめて最低限の状況分析をしていないことには、なにか起きたときとっさに対応できないから。
兄の発言から、彼が扉を破壊したことで、感知能力が通るようになり、それによって彼は、一目見ただけではわからない、デュロンの無事を確認したのだとわかる。
一方、イリャヒの肉体はもちろんのこと、彼の固有魔術である〈
味方以外はなんでも破壊、が謳い文句の〈青藍煌焔〉すら
イリャヒもそれが悔しいようで、先ほどまで扉にやっていたのと同じように、炎を纏った靴で何度も結界表面を蹴りつけたかと思うと、透明な壁を掌でペタペタと触り、ついに顔ごと蛙のようにへばりついて、そのまま喋り始めた。
「ひょっほー、ほほ開へてふらはいひょー!」
「わはは! いいザマだ! どうしたイリャヒ、入って来……おっと、今のは危なかった! 許可しないが、入れるものならやってみるがいい!」
ケヘトディは油断している、とソネシエは思った。
些細な言葉の綾で、うっかり招き入れてしまいそうになったことがではない。
イリャヒはふざけているように見えるときほど、頭は狡猾に動いているのだ。
つまりおそらく、この結界の攻略法も、すでに……。
「では、お言葉に甘えまして」
果たして兄は防壁から頬を剥がすと、思いっきり頭突きをかました。
額を割って流れた血を舐め取り、笑みを冷酷なそれに引き締めた彼は、血走った左眼でケヘトディを
同時にソネシエの視界には、見慣れた安心をもたらす、青、
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