第216話 純白

 イリャヒが父親にあまり似ていた記憶がないのだが、どうやら彼はソネシエ自身と同じで、母方の……ケヘトディの血を強く引いているようだ。少なくとも、見た目や物腰に関してはだが。

 兄と自分の共通点をまた一つ見つけ、嬉しくなったソネシエは、見事に戯けてみせるケヘトディの長広舌を、早くも親しみのこもった心地で聞いた。


「しかしだ、私はリゼリエにとってただの兄でしかなかったから、その程度で済んだけど……イリャヒの場合は、もっと大変かもしれないね。


 私の妹夫婦が不甲斐ないせいで、今の彼は、お前の兄であることはもちろん……お前の心を補うために、父として、母としての仮面も被っているかもしれない。


 もしかしたら、他にもいくつかだが……本当に、彼にはそんなにもたくさんの役割を背負わせるべきじゃなかった……いや、そうじゃない。話を戻そう。


 お前が結婚する暁には、お前が想像している以上に、尋常じゃなく心を砕くことだろう。

 そのときが来たなら、丁寧にケアしてあげることを勧めておくよ」


「わかった。助言に感謝する。ケヘ……インディペ、伯父様」


「ふふ、改めて呼ばれてしまうと、なんだかこそばゆいな。

 無理せず追い追いでもいいんだよ、そういうのは。

 さ、料理が冷めてしまう。そろそろ食べようじゃないか。

 デュロンくんはもう少し眠りたいだろうから、彼の分は残しておくとして……」


「なあ、ケヘトディの旦那」


 不意に発せられた声に驚き、ソネシエが振り向くと、腕を組んでじっとうつむいていた人狼の、閉じていたはずの灰色の眼が、いつの間にか鋭く見開かれている。

 ケヘトディも面食らった様子だったが、気分を害したふうもなく、微苦笑で尋ねた。


「なんだ、起きていたのか。もしかして、今の話も……?」

「ああ、わりーな、盗み聞きするような形になっちまって。

 それより旦那、アンタは本当に正直者なんだな。嘘の臭いがまったくしねーよ」


 言いつつ、デュロンがソネシエの上体を遮るように腕を伸ばしてくるので、ソネシエはハッとする。

 これは彼が主に会敵したとき、守りたい相手を庇うためにする仕草だ。


 ソネシエの中でケヘトディに対する、一度は萎んだ疑念が一気に膨れ上がった。

 知ったか知らずか、男はゆるゆると両腕を広げて、洒脱に肩をすくめてみせる。


「そりゃ、かわいい姪っ子とその友達を相手に嘘吐いたって仕方ないだろう?」


「だろーぜ。ただな……いくら近しい親類とはいえ、ほぼ初対面の相手を自分の家に引き込む際には、どんな聖者でも、それなりの粗や埃が出るもんなんだ。


 あえて咎め立てするほどじゃねーような、優しい嘘、理由ある偽装、くだらねー隠し事、どうでもいい誤魔化し……。


 アンタからはそういう、あっていい臭さがまったく漂ってこねー。アンタの匂いは、真っ白だ」


「それは……なにか悪いことなのかな? 生活感がないから殺害現場っぽいとか、そういう類の話?」


「いや、俺の邪推ならそれでいいんだ。下衆の勘繰りってのはよくあることさ。


 ただ、俺の姉貴がいつも言ってる。なにもおかしな部分がないときは、なおのこと気をつけろと。巧妙な欺瞞が施されてるか、そもそも前提条件が間違ってるか、その両方なんだと」


 ケヘトディは依然として苛立ちを見せず、ふむ、と唸って顎髭をくしけずる。


「それで……君は、どうしたい? ここから出て行くつもりなのかな?」

「そいつはちょっと違うね。選ぶのは俺たちじゃなく、アンタの方だ」


 デュロンは重心の移動を感じさせない、ぬらりとした不気味な挙措でソファから立ち上がり、いつも通りに猫背の自然体で構えた。

 それが彼の戦闘態勢であることを、ソネシエは嫌というほどよく知っている。


「俺たちが出て行くのを黙って見送るか、邪魔して死ぬか……テメーが決めろ、ケヘトディ。

 俺はどっちでも構わねーが、ソネシエはお前を斬るのを躊躇ってくれるかもな。

 そこに賭けるってのも一興だ、別に止めやしねーよ」


 相手が一般市民ならこれだけで卒倒してもおかしくない、濃密な闘気を向けられたケヘトディは……奇妙なほどに無頓着で、ぼんやりとデュロンの顔を見つめている。


 その反応に肩透かしを食らい、確信が持てなくなったようで、デュロンはきまりが悪そうに頭を掻き、まだケヘトディを警戒しつつも、玄関へ意識を向けた。


「……いずれにせよ、いつまでも厚意に甘えて、ここへ厄介になるわけにもいかねー。外の様子を一回確かめるだけでも……」


「まあまあ、そう慌てるものじゃない」


 先ほどからと同じように、ケヘトディは気さくに口を開いたはずだった。

 しかしそれを合図にするように、デュロンがいきなりつんのめって転ぶ。


「……!?」


 慌てて起き上がる彼だが、今度は仰向けにひっくり返って、床に後頭部を打ちつけてしまった。

 明らかになにもない、滑るわけでもない場所でだ。


 他者ひと一倍運動神経の良い彼の、そんな鈍臭い姿は初めて見る。

 ……いや、どう考えてもおかしい。明らかになにかされている。


「テメ、ふざけ……ぐあっ!?」


 ついに明確にデュロンの顔面で、極小の衝撃波が弾けるのが、ソネシエの傍目にもはっきりとわかった。


 戸棚に頭から突っ込んで破壊するも、即座に体を起こす彼を……ケヘトディは虫でも眺めているような冷たい視線で見下ろし、平常心で前髪を整えながらうそぶく。


「あー……やれやれ、結局これを使わされるのか。なんとも無情なことだねえ。


 やめてくれよ、ソネシエ。伯父様に、お前に対してこれを使わせないでくれ。


 先ほどのデュロンくんの表現を真似ようか。選ぶのは私じゃなく、君たちさ。


 ここから出て行くのを黙って諦めるか、抵抗して死ぬか、君らが決めるんだ。


 私はどちらでも構わないが……あえて言うなら前者をお勧めしておこうかな」


 その幽鬼のごとき表情を目撃し、ソネシエは恐怖とともに確信する。

 こいつだ。こいつが〈三番街の悪霊〉、その正体なのだ。

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