第214話 黒の再起

 しかしイリャヒの渾身の芝居も、ソネシエの慧眼には意図が丸見えだったようで、小さくため息を吐いた彼女は、驚くほど大人びた分別臭さを見せつけてくる。


「にいさんはずるい。とうさまとかあさまをころしたのは、わたしのけん。にいさんはただ、わたしをまもってくれていただけ」

「おやおや生意気を言うものですねこのおちびさんは。違いますよ、彼らを殺したのは私の炎です。そもそも私が手を貸さなければ、お前は父と母を相手取り、戦闘に突入することさえできなかったでしょう」


 ひとしきりそうしたやり取りを交わした後、いささか冷静になった二人は、多少なりとも善後策を練る余裕が生まれる。

 展望はけっして明るいわけではないが、この家を出た未来の話ができること自体が、そこはかとない高揚を誘っていた。


「……まあ、教会に出頭したら、お互い自分の主観で話しましょう。もっとも、私の方が断然弁が立つので、こちらの見解が採用されるでしょうけどね!」

「にいさんはしゃべるのがじょうずだけれど、いっていることはめちゃくちゃ。おちついてきいてもらえれば、わたしのしゅちょうがただしいと、わかってもらえるはず。それよりにいさん、これからもそのかんじでいくつもりなの」

「え? これそんなに嫌ですか? 自分では意外と気に入っているのですけど」

「へんだけど、きらいでは、ない。にいさんらしくて、よいとおもう」


 そう言ってソネシエは、急にハッとしたように眼を見開いたかと思うと、むにゅむにゅと頬を動かしていたが、やがて小さな指先を当てて、自分の口角を強引に上げてみせる。

 その様子を見たイリャヒは悲しみに駆られ、早くも道化の仮面が剥がれかけた。


 母親の前で常に愛想笑いと明朗な喋り方を強要されていたソネシエが、イリャヒと二人きりのときはボーッとした無表情と朴訥な喋り方でいるのは、信頼の証だと思っていたし、実際そうではあるのだろう。


 だが、その安心感が悪い方へ固定されてしまったのか、それとも自明のトラウマゆえなのか、ソネシエは表情を変えることができなくなってしまっていた。


 できないものは現状、仕方がない。イリャヒは妹の手を取り顔から外させ、彼女の髪を優しく撫でながら言い聞かせる。


「大丈夫ですよ、ソネシエ。笑いたいときに笑えないのは、自分で辛いかもしれませんが……少なくとも兄さんは、お前が笑っているのも、怒っているのも、泣いているのもわかります。

 いつかお前の顔が動くのももう一度見たくはありますが、無理をする必要はありません。

 これからは私が、お前の代わりに笑いますよ。笑えと言われたら、私がお前の分も、腹が捩れるまで笑ってみせます。

 怒るときは行動で示しなさい、お前にはその力があるのですから。そして、泣きたいときは……」


 ぎゅっと抱きしめると、妹の小さな体がそこにあるのを、眼で見るよりも確かに感じられた。


「こうしてくれると、兄さんはとても嬉しいですよ」

「わかった。わたしもにいさんとはぐすると、とてもうれしい」


 しばらくそうした後、ちょっとだけぐずる妹をあやしてから、やんわり離したイリャヒは、景気よく指を鳴らして促した。


「さて、そろそろ行きますかね。ですがその前に、二人ともこんなボロボロの格好では、先方に舐められてしまいます。栄えあるリャルリャドネのただ二人の末裔として、パリッとした姿を見せた上で、堂々と教会の軍門に下りたいものですね!」


 まずは二人でイリャヒの部屋に移動し、ソネシエが見栄えのするコーディネートを考えてくれる。

 12歳の子供ながら、黒ずくめの一張羅を着込み、ボウタイを締めたイリャヒは、その場で気障なポーズを考え始めた。

 その様子を半ば呆れた感じで眺めながら、ソネシエが痛いところを突いてくる。


「にいさんはおかしなことをいう。あれだけリャルリャドネをひていしていたのに」

「あ、やっぱりあれ、お前のところまで聞こえてました? 恥ずかしい限りで……いや、しかしですね、考えたのですが。

 確かに私がこの血に負う誇りは、お前と繋がっていることだけです。けれど……どうせこのように生まれてしまったのなら、せめてもの利点をしゃぶり尽くしませんか?

 血も名も家も、今度は私とお前の方が、いいように使い潰してやるのです。

 焼いて捨てるのはもったいない。今まで我々が受けてきた仕打ちに対し、とてもじゃないが割に合わない。

 あ、ただお金だけは話が別ですので、早めに有意義な消費手段を考えましょうね」

「おかねは、のこしておくのがよいとおもう。なにかあったときにつかう」

「ああ、ほら、やっぱりお前の方が賢い。そうしましょうそうしましょう、使うべきときにパーッと使うのです」


 話しながら今度はソネシエの部屋へ向かい、手伝おうとしたイリャヒは、妹がちょっと見ない間に一人でお着替えできるようになっているところを見せられ、感慨深いものを覚えた。

 たった一着だけある大好きな黒のワンピースをすっぽり被り、襟から頭を出した彼女は、満足そうに鼻息を吐いて、そわそわと裾を整える。


 準備は万端、戸締まり完了。

 胸に渦巻く不安を押し殺し、顔を見合わせた二人は手を繋いで、〈教会都市〉ミレインを目指して、屋敷から最初の一歩を踏み出した。


 たとえこの先に終わりのない彷徨が待っていようと、裁かれるべきその罪こそが、きっと互いを結びつけると、固く信じて握るのだ。




 あの日の誓いを忘れたわけではない。

 自分が今すべきこともわかっている。


 時を戻して、現在……1558年某日。片や祓魔寮、片やケヘトディ邸にて。

 イリャヒとソネシエは昔の夢から、まったく同時に目を覚ましていた。

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