第213話 黒の終焉

 イリャヒではなく発現した彼の固有魔術が、すでに結論を出していた。

 イリャヒはため息を吐いて力を抜き、その場に崩れ落ちる。


「にいさん」


 青い炎を宿したまま、ソネシエが心配して近寄ってくる。

 大丈夫、ただの貧血だから……と言う手間を省いて、イリャヒは溶けて手に付着したソネシエの血を行儀悪く舐め取り、せめてもの回復を図った。

 視界が安定してくるのを待ち、格子越しの妹に言い聞かせる。


「ソネシエ、俺はもうお前を止めない。確かにお前の言う通り、あいつらに勝てる可能性があるのは、今この場でお前しかいないし、それしか脱する方法はない。

 だから、俺の炎がお前を守る。俺はまだここから出られないけど、互いに姿が見えなくても、兄さんはいつでもお前と一緒にいる。

 一人じゃ勝てない。だけど二人なら、そうそう負けはしないさ」


 ソネシエの双眸が再び紅に染まる。彼女の心に火が入ったのが、火を見るよりも明らかだった。

 彼女が両手に精製した氷剣にも、イリャヒの青い炎が、蛇のように纏わりつく。


 さんざん理解者ぶってきたイリャヒですら、いまだ彼女の気質を見誤っていたのかもしれない。

 今するべきだったのは慰撫でなく鼓舞だと、自ら下した判断が口惜しい。

 見出した覚悟と活路を完全に共有するため、あえて濁さず明言してみる。


「こうも兄貴がダメクズだと、妹のお前がしっかりするのは、当然だよな。

 ソネシエ、お前は強く賢く、そして優しい。はっきり言って欠点がない。

 兄さんを助けてくれ。奴らを殺して鍵を奪い、俺を檻から解放してくれ」

「りょうかい……にんむをすいこうする。にいさんは、ここでまっていて」


 どこでそんな言い回しを覚えたのだと、笑いすら漏れる余裕が生まれる。

 気高き騎士として出撃する妹の後ろ姿を、イリャヒは頼もしく見送った。


 そして眼を閉じ、祈りの形に両手を組んで、魔力感知能力を発動。

 ソネシエの存在だけに意識を集中し、守りの火を絶やさないことだけに、全神経を振り向ける。


 その夜を支配する暗闇の速さはどれくらいなのか、いまだ希望の光が見えないイリャヒにはわからなかった。



 果たして体感時間の問題なのか? いや、明らかに実時間で数十分が経過している。

 発現したばかりの固有魔術をひたすら遠隔制御で維持していたイリャヒだったが、いよいよソネシエの現状がわからなくなり、焦りが募り始めた。


 彼女が生きていることだけは、魔力感知でわかってはいる。

 単に彼女のクソ度胸が萎え、なにもできずにウロウロしているだけならいいのだが……。

 両親に踊りかかって敗北し、身柄を拘束されているのではないかと、悪い想像が及んできたのだ。


 イリャヒ自身、まだあの青い炎が、どれほどの守りの力を持っているのか、実のところわかっていなかった。

 もしかしたら、クソの役にも立っていないのではないか?

 だとすれば今ここで座して待っている自分は、見殺しですらないただの放置という、最低最悪の狼藉を働くことになっているのではないだろうか?


 懊悩で眩暈がしてきたところで、求めていた靴音が地下へ響いてくる。

 それはイリャヒにとって、天からの福音そのものに感じられた。


「にいさん……おそくなってごめんなさい」

「ソネシエ! よかった、無事だったか!」


 姿を現した妹は、視認ではまったくの無傷だった。

 魔力感知によると、さっき出て行ったときから、そこまで大きく魔力が減っていない。

 つまり、致命傷を負ったが自己再生で完治したばかりというわけでもないということが、服の汚損が増えていないことからもわかる。


 つまり、腐っても名家の吸血鬼であるあの二人を相手に、ほとんど完封勝利を収めたことになる。

 それ自体は信じがたくも喜ばしいが、ならば……というイリャヒの疑問に、ソネシエは先んじて答えてくれる。


「とうさんはかぎをけいたいしていなかった。いろいろなとだなをひっくりかえしてさがし、それにてまどってじかんがかかってしまった」

「そうか……ならいいんだ。ありがとう、よくやってくれた」


 ソネシエは冷静に頷き、取り出した鍵で牢を開錠してくれる。

 その手は震えておらず、格子扉はスムーズに開いた。


 まったく平気そうなその様子を見て、しかしイリャヒはやはり後悔を拭えなかった。

 加護だかなんだかを与えて送り出したのかもしれないが、つまるところ自ら肉親に手をかけ、その死を瞼の裏に焼き付けたのは、他ならぬソネシエなのだ。


 彼女の心に深い傷を与えてしまったのは間違いない。刻まれた罪もその身から消えない。

 せめて責任の取り方を彼女に決めてもらえるよう、これからは可能な限り一緒にいようと思う。


 二人は連れ立って廊下を歩き、一階を経て二階へ登り、両親の寝室へと入っていく。


 中は惨憺たる有様だった。両親もかなり抵抗したのだろう、部屋の廊下側を中心にいくつもの破壊痕が散見され、切り裂かれたベッドから大量の羽毛が舞っている。

 元からあまり体の強くないイリャヒは、吸い込んでしまい、しばし咳き込んだ。

 不甲斐ない兄の背中を優しくさすりながら、ソネシエは起きていた戦闘の様子を説明してくれる。


「にいさんのほのおは、すごかった。とうさまとかあさまがわたしにうってきたまじゅつを、すべてはじいてしまい、わたしにはなにもきかなかった。

 そして、わたしがとうさまやかあさまをきりころすとき、まったくてごたえをかんじなかった。にいさんは、ほんとうにやさしい。にいさんのほのおは、とてもやさしいほのお」


 優しいものか。真に優しいなら強さと賢さを兼ね備え、鉄格子など自力で破って、イリャヒ一人で二親に挑んだはずだ。


 それはともかく……結果、完全に死に絶えた証に、着ていた服だけを残し、一山の遺灰と化した吸血鬼の残骸が、あちらとこちらに一つずつ、無機質に積もっている。


 妹は猫のように静謐な無表情で、まるで他者事ひとごとのように眼前の光景を見つめている。

 もしかしたらまだ実感が追いついていないだけで、彼女の幼い心は崩壊する寸前なのではないか?

 だとしたらイリャヒが今……そしてこの先の一生をかけてできることはなんなのか?


 考え抜いた末、腹の底から湧き起こる震えに耐え切れず、ついにイリャヒは堰を切ったように笑い出した。


「ふ、ふふ……くくく……わはははは! いーっひゃっはああああ!!」

「……に、にいさん……?」


 お前の方がおかしくなってしまったのか、と思わせてしまったかもしれないが、そうではない……いや、違う。そうでなくてはならないのだ。


 おっさんは本当にいいことを教えてくれた。死ぬまで外せない仮面を抱えることになる? それは裏を返せば今拵えた仮面は、一生この顔に馴染んでくれるということだ。

 ならば道化を演じたい。いつかこの身が朽ちるその日まで。


 イリャヒは気障ったらしく前髪を掻き上げ、無言劇でも始めるかのように、軽〜く肩をすくめた。

 あの日一度だけ聞いたあの口調を思い出し、まさしく見様見真似で戯けてみせる。


「でしょうね! さすがは私、固有魔術も珠玉の逸品! しかしまあやれやれですね、お疲れ様でしたマイシスタ! おかげでずいぶん楽をさせていただきました! なにせ牢の中でボーッと待っているだけで、勝手にが転がり込んでくるのですから、ラッキーとしか言いようがない! 今後もこんなふうに、私という悪魔の依代として動いてくださいね! わーはははは!」


 やはり、ソネシエの表情は動かない。その代わりなのか、少しだけ首をかしげている。

 しかしやはり、イリャヒにはそれだけで、彼女が少しだけ笑ってくれたのがわかった。

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