第206話 完璧な笑顔

 ニゲル、ヨケル、エルネヴァの三人が、常にない深刻な表情で議論している。


「話を聞く限りでは、洗脳・催眠系の能力である可能性は、半々ってところかな」

「もしそうなら、うちらが能力者の思考をある程度は捕捉できるんだけど」

「ええ、お願いしますわ。しかしそうでなければ、もう少し、こう……古典的な手法に依らなくてはなりませんわね」

「魔力を使わない、旧来の行動分析に訴えるってこと?」「お嬢様って探偵スキルも兼ね備えてるもんなの?」

「いいえ。ですが……」


 言いつつ、エルネヴァが誰もいないはずの空間へ向かって手を差し出すと、いつの間にか戻ってきていたフクリナシが、買ってきたばかりと思しき、一冊の実用書を恭しく捧げ持つところだった。

 受け取る際に垣間見えた表紙には『他者ひと探し大全』の文字。タイトルからして人間時代の遺物でなく、魔族時代の最新版だろう。


「覚えがないのなら、今から修めればいいじゃない……ですの!」


 エルネヴァの固有魔術〈技能目録スキルリスト〉が発動、速読に伴いページが羽搏く。

 その様子を目撃するのは初めてのようで、ヒメキアとフミネがポカンと口を開けて見入っていた。


「すごいね、エルネヴァさん……あたし、全然役に立てないや……近くに行ったらソネシエちゃんとデュロンの気配がわかるかもだけど、あたし、よわよわだから、途中でわーって捕まっちゃうかもしれないよ……」

「そ、それはわたしも同じなので……! わたしができることといったら、怪しい人の背中にマークをつけて、見失わないようにすることくらいだけど……見ているのがバレて襲いかかられたら、まったく抵抗できないわけなので……」

「二人とも、自分を卑下することはありませんよ。私なんてムカつく奴を焼き殺す以外なにもできないのですから。

 しかし、そうすると、困りましたね。ソネシエ、お前はどう思います?

 ……あっ、そうか、いえ、なんでもないです。間違えました、あはは!」


 今のミスは良くない、二人を完全に心配顔にさせてしまった。

 しかしどちらかが口を開く前に、リュージュがギョッとした様子で近づいてきて、力強く、それでいて優しくイリャヒの肩を掴んでくる。


「おいイリャヒ、大丈夫か!? 顔が真っ青ではないか!?」

「え? いえ、私いつもこんな顔ですし」

「とにかく座れ。な? 落ち着いて茶でも飲め。オノリーヌ、お前もだ。こんなときに強がるものではないぞ」


 なすがままになってソファに腰を沈められると、隣で同じようにされたオノリーヌが苦笑いしてくる。

 イリャヒ自身に比べると、まだマシな精神状態であるように見える。


 彼女の弟の方は、命を狙われているという情報がないからだろう。

 しかし結局は似たり寄ったりだ、とイリャヒは鈍った頭で考える。


 そうこうしていると、鎮静作用があるのだろうハーブティーをリュージュが淹れてくれたので、ありがたく一口いただく。

 効果は覿面で、少し落ち着いたイリャヒは……しかしそれが逆にまずかったようで、取り戻してしまった冷静な思考が、最悪の未来を見てしまった。


 もし、この場面が普通になってしまったら。今彼女たちが探してくれているのが、ソネシエやデュロンではなく、日常業務における他者事ひとごとの捜索依頼だったら。


 ぽっかりと空いてしまったその穴を、当たり前のものとして受け入れ、その上に新たな生活を重ねなければならないとしたら……。


 想像しただけで眩暈がする。

 悪い夢を見ているのではないだろうか?

 いや、そうだったらどんなに良かっただろうか?


「……イリャヒ? イリャヒ!?」


 張り詰めていた気持ちが切れてしまったのかもしれない。すぐそばにいるはずのオノリーヌの声が、やけに遠くに聞こえるなと感じていたら、いつの間にかイリャヒは力が抜け、彼女の方へ上体が傾いていた。


 温まったはずの体が異様に寒く、それでいて全身に気持ちの悪い汗をかいている。

 オノリーヌかリュージュの手がイリャヒを優しくソファに横たえ、髪を優しく撫でてくれるのを、彼はおぼろげに感じていた。


 情けない。狼狽して真っ先に倒れ、年下の子たちに世話をかけるなんて。


 そもそも今ここでなにをしているのか。なぜいまだ他ならぬ彼自身が、ソネシエを見つけることができていないのか。


 あの日の誓いは嘘だったのか?

 渦巻く自責の中で、イリャヒは10年前のことを思い出していた……。



 そしてそのときソネシエも、同じ昔の夢を見ている……。




 1548年某日。ラスタード四大名家の一角として誇り高きリャルリャドネ邸の敷地内へ招かれたジョエルズ夫妻が、その名に恥じぬ立派なお屋敷に眼を奪われているのが、部屋の中から眺めているソネシエにもわかった。

 夫妻も大商家を切り盛りする敏腕のはずだが、やはり本物の貴族は格が違う、失礼のないように気をつけなければ、などと話しているのが、口の動きから見て取れる。


 しかし、ぼんやり考えごとをしていられるのはそこまでだ。

 母親の合図を受けて、ソネシエはダイニングにある自席に就く。

 そこは単なる食卓ではなく、彼女にとっては……大げさな言い方をすれば、職場であり戦場であった。


 彼女が気持ちを切り替え、心が玲瓏透徹となると同時……玄関ドアのノッカーが鳴らされ、父が自ら出迎えに行く。

 その間にソネシエは、自分の頬と口角の調子を確かめた。

 問題ない、今日も上手くれる。


「ようこそいらっしゃいました! どうぞ、お入りください! 妻と娘も心待ちにしておりましたよ! もちろん、私もですがね!」


 陽気な父の声が移動してきて、ダイニングの扉が開かれる。

 ジョエルズ夫妻と正対したソネシエは、にっこりと完璧な笑みを浮かべ、席を立って客前へ素早く、それでいて優雅に歩み出ると、スカートの裾を摘み、丁寧に腰を折って、ハキハキと挨拶する。


「こんばんは、だんなさま、おくさま! おあいできて、とてもこうえいです!」

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