第192話 だから勝つまで、彼女には内緒だ
ついにこのときが来てしまったと、リュージュは絶望的な気分に浸っていた。
そうそう都合よく優勝できるわけがない。最後はデュロンに敗けてしまうことを、なんとなく予感していたように思う。
ラヴァが言ったように、ずいぶん故郷に不義理を働いてきたのだ、単にツケが回ってきただけなのかもしれない。
彼女の内心に押し寄せる煩悶などよそに、闘技場戦闘フロアの中央では表彰式が行われていた。
といってもトロフィーや賞状の授与すらない、本当に形だけのものだったが。
とはいえ、当のデュロンはヴァルティユの風格のある偉容を間近で見られただけで収穫と考えているようで、改めて自己紹介する彼女の握手に、屈託のない笑顔で応じていた。
会場からは変わらず拍手と歓声、指笛や口笛による祝福が降り注ぐ。
「どうも、どうも……おめでとう、デュロンくん。まあその、本当に名誉しか与えられないのが残念なところだけどな。副賞でも用意できたら良かったんだが」
「じゃあ肉と金をくれよ、ヴァルティユ姐さん」
「要求が盗賊すぎる……改めて君、本当に聖職者か? なんでそんなに上半身裸が似合うのだ?」
「これでも改善したんだぜ? さすがに一般市民の前で全裸んなるのはヤベーと思ってな」
「なぜ当然のように全裸が視野に入っている!? 露出狂か君は!?」
「それはアンタ、あっちの二人に言ってくれよ」
「わかっている。あの二人には帰ってから厳重注意しておくから。
……さて、それでは本題に移ろうか」
ヴァルティユは身振りで観客に静粛を促し、いつにも増して嬉しそうに声を張った。
「皆様、あと一幕だけお付き合い願いたい! 先刻申し上げました通り、この〈ロウル・ロウン〉は、我々の民族における次世代のリーダーを選ぶためのイベントなのです!
もちろん今回のように優勝者が、本来は部外者と呼ぶべき
しかし問題はないのです! なぜなら最後の最後まで勝ち抜いた彼こそがもっとも多くの竜人戦士と戦い、語らったのですから!
もしかしたら彼は、今やこの私なぞより、よほどこの世代のラグロウルを知ってくれているかもしれない! なればこそ選定者に相応しからざるはずもない!!」
応えた喝采が自然に治まるのを待って、ヴァルティユは穏やかにデュロンを促した。
「では、決めてくれたかな? 今期の若長……この世代の中心に立つべき者が誰なのかを」
「ああ。こいつっきゃねーって奴が、一人だけ思い浮かんでるぜ」
「よろしい。なら君のタイミングでよろしく!」
その瞬間に立ち会うため、観客席からゾロゾロと今期〈ロウル・ロウン〉に参加していた竜人たちが戦闘フロアに下りてくる。
今回は直接顔を合わせなかった者も何人かいて、リュージュは場違いな懐かしさを覚えたが、その現実逃避じみた感傷もそこまでだった。
デュロンは穏やかな表情で眼を伏せて、思い出に耽るように滔々と語る。
「お前はきっと、俺を恨むんだろうなってのはわかる。
けど俺はやっぱり、お前のことは嫌いになれねーわ。
ただ実際、ラヴァでもリラでもなく、お前が適してると、俺は思うぞ。
戦闘の実力もそうだが、まとめ役って意味でも、ぜってー向いてるよ。
短い付き合いだったが、楽しかったと言わせてくれ。
そりゃ、寂しいけどな……ここでお別れってことさ」
わかっていた。デュロンがアクエリカに課せられ、リュージュにも伏せていた密命とは、まさにこれだったのだ。
全身の血管が、宣告の期限を数えるように早鐘を打っている。
たとえやめてくれと泣き叫んで懇願しても、彼はその意を変えないだろう。
果たしてデュロンはゆっくりとリュージュの方へ手を伸ばし、人貌のままでありながら、冷酷無比な狼の表情で、はっきりと言い渡した。
「チャールド・ブレント。お前を若長に任命する」
「「…………は?」」
この広い会場の中で、時が止まったのはリュージュとチャールド、二人の間だけだったに違いない。
よく見るとデュロンが伸ばした指先はリュージュではなく、彼女の斜め後ろを示している。
彼女がゆっくり振り向くと、毒殺神父が酷い阿呆面で固まって絶句していた。
しかし正直、リュージュも同じ気持ちだ。
デュロンに顔を戻すと、彼はこの反応を予期していた様子で、気まずそうに頭を掻くが、結局は開き直ってみせた。
「へへ……任務完了だ。これでようやく、肩の荷が下りたぜ」
そう言って、なんの憂いもなく笑ってみせた。
時を遡り、一昨日の夕方。ミレイン司教の執務室で、デュロンはアクエリカにこう告げられた。
「今期〈ロウル・ロウン〉で優勝し、チャールド・ブレントを若長に任命する。それが今回、あなたに課す密命よ」
「拝命した。しかしそうすると、ブレントの旦那はミレインを出て行く形になっちまうはずだが、上の方からなにか言われたりしねーのか?」
アクエリカは静謐に笑い、組んだ両手の上に顎を乗せて語り始める。
「残念だけれど、これはその教会上層部からの通達なの。
確かにブレントの持つ殺害能力は、異端邪教を誅する祓魔の適性として、これまで教会から重宝されてきました。
だけど……いよいよ彼を飼っているデメリットがメリットを上回ってきたのでしょうね。
つい先日、彼の正式な解職辞令が下ったのだけど、タイミングはわたくしに任せるとのことでしてよ」
「つまり、優先順位としては……」
「闇の賭場に関しては、さっきも言ったけど、あなたとリュージュのペアが勝ち上がった時点で、ヤバい筋への大金の流れを堰き止められるよう、わたくしの方で手を回して調整しておきます。
世界の安寧を守るという意味では……つまり必要条件としては、この時点でクリアとなるわ。
決定戦でリュージュが勝ってしまったら、それはそれとして別の機会に改めてブレントを解職するだけだから、最後は伸び伸び力を試して来なさいな。
だけど〈ロウル・ロウン〉を口実にというのが、一番色々と治まりがいいの。だからできれば、あなたに優勝してほしいわね。
どうかしら、できそう? それとも命が懸かっていて、本気で切羽詰まらないと本気を出せないような腑抜けかしら?」
「んなこたねーよ。できる……かはわかんねーが、鋭意努力いたします」
「いいわ、それが聞きたかったの」
まだなにも達成していないにもかかわらず、そこはかとない安堵を覚えたデュロンは、深いため息を発してしまう。
その反応をアクエリカが訝しげに見つめてくるので、デュロンは内訳を説明した。
「了解したぜ。……しかし、ビビった……てっきりリュージュを指名して、追放っつーか、強制送還に追い込めとかって命令されるのかと……」
「リュージュを……? どうして?」
むしろアクエリカが首をかしげることの方が不思議で、デュロンは戸惑いながら反問する。
「いや、あいつ勤務態度がアレじゃねーか? 訓練サボるし、戦闘に入るまで基本モチベーション低いし……そりゃ俺らだって庇えるものなら庇ってやりてーけどよ、って感じで……つーかこの前本人にも訊いたんだが、あいつ任官時の審問どうやって通ったんだ? 心証最悪でしたとか書いたりしてなかったか?」
「あ、なるほど……そういう考え方もあるのね」
一人で納得しているアクエリカだったが、考えながら説明してくれた。
「えーとね……この後あなたも実際に会って戦っていくとわかると思うけど、ラグロウル族の竜人たちって、根っこがかなり好戦的で凶暴な子が多いの。実際にそういう誹りを受けるべきかは別としても、蛮族呼ばわりも正直やむを得ない部分があるのかなと思う程度には。ブレントは顕著なだけで、完全な例外ではないというのがわたくしの所見でしてよ。個人的にあの性格は嫌いだけど、それはまあ置いといて。
そういう前提条件がありながら、〈銀のベナンダンテ〉という処遇ではあれど、当時の前任ミレイン司教がリュージュを雇い入れ、教会上層部がそれを許可したのは……ひとえに彼女の気性が、戦闘民族ラグロウルにしては極めて穏健だから。能力が植物使いの
なにか勘違いしているようだけど、リュージュは上からの評価も普通に高いわよ。実力や戦績はもちろんのこと、なにより人格面を信用されている。
どんなにご立派な技能を持っていようと、周囲を見下していたり、自分のことしか考えていないような者は、ただのゴミ、スキルのおまけ、存在意義ゼロ。かける言葉はないわよね〜」
「言いてーことには同意するが、口わりーなー……性格に関してはアンタ、マジで
「わたくしはいいのよ、優れた演技力があるから。では、あなたはどうなの、デュロン? 周りの子たちとなんでも言い合い、話し合い、報告や相談ができる、風通しのいい関係を築けている? 支え寄り添い、癒し慈しみ、庇い励まし、守り労わることができているかしら?」
責め立てようという意図はなく、純粋に質問として投げかけてきているのが、アクエリカの発する清涼な匂いと、美しい群青の瞳から察せられた。
なのでデュロンも嘘偽りなく答える。
「……自分では、できてるつもりだ」
「なら結構。自信を持ってヒメキアの、ミレインの守護者を名乗りなさいな」
そう言って、ニコ、と邪気のない笑みを投げかけてくる。ああ、これで大抵の奴は彼女の信奉者になってしまうのだなとわかった。彼女への第一印象が自分の吐き散らかしたゲロの臭いによって克明に刻まれていなければ、デュロンも危うくそうなっていたところだ。
話を終えて退室したデュロンが回廊を歩いていると、その途中でリュージュが待っていた。
なにも言わずに頷いてみせる彼女と並び、デュロンも無言で歩き出す。
ブレントの件をリュージュにも話してはならない理由はいくつかあるのだろうが、その一つにブレント本人にどこからか伝わってしまうことを避けるため、デュロンとアクエリカの間だけで共有するというのがあると思われる。他は追い追い判明するはずだ。
ついでにデュロンとしては……いや、これはソネシエやイリャヒ、オノリーヌやベルエフからも同意を得られるに違いないが……上からの評価の件も、ついでに伏せておくべきだなと思った。
デュロンは初耳で驚いたが、おそらくリュージュ自身も同じだろう。まったくあいつときたらすぐに調子に乗り、特にヒメキアに甘えまくるに違いない……というのは、半分は冗談としても。
最低でも他のペアを全員蹴散らす必要があるため、少なくともこの喧嘩祭りの最中は、リュージュの気持ちを考えると残酷ではあるが、絶対に負けられないという緊張状態を保ってもらわなくてはならない。
だから勝つまで、彼女には内緒だ。
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