第191話 幽霊に告ぐ。幽霊の手に気をつけろ

 昨夜の地下訓練場にて。デュロンとギデオンのやり取りを見ていたイリャヒが、指を鳴らして口を挟んできた。


「なるほど、それはいわば幽霊の手となりうるわけですね」

「そういうことだ」


 ギデオンと二人で納得されても困る。しかしデュロンにも思い当たる節があったので、尋ねてみた。


「見えねー死角、それか認識外から伸びてくる攻撃ってことか?」

「ああ、そういえば私はつい先ほど、ラヴァリールさんにそういう意味で似たようなことを言ったのですが、この場合は少し違う……というか、逆です。彼女と違い、リュージュとあなたは同じ〈銀のベナンダンテ〉の成員でしょう?

 幽霊同士は、互いの手が見えている。言い換えると、あなたとリュージュは互いの手の内がほぼ見えているからこそ、敗北へ引き込むことが可能となりうるのですよ」


 吸血鬼の兄が垂れ流した回りくどい口上を、その妹が具体的に言い換えてくれる。


「さっきもわたしとギデオンが言ったことだけど、リュージュはあなたがギデオンに指弾の手ほどきを受けていてにしようと訓練を重ねていることを知っており、明日勝ち抜けば優勝決定戦で使ってくる可能性も頭にある。

 だからこそ、ここ一番で……むしろ切羽詰まった局面でこそ、最大限のハッタリとして機能させることができるはず」

「その通りだ。デュロン、お化けの仕事は?」

おどかすこと……つまり当てにいくわけじゃなく、フカすために撃てってことか」


 ギデオンは頷き、小さな鉄球を一握り、デュロンの手中に託してくる。


「リュージュの立場になって考えてみろ。怪力かつ俊足で無尽蔵のスタミナを持ち、純粋な近接格闘の練度では勝てない相手が、この上そのバカ丸出しのパワーをもって飛び道具に手を出したとなったら、お前ならどうする? どうせ外れるだろうと頭ではわかっていても、つい警戒し反応し、対処せざるを得ないんじゃないか?


 ついでに言うと、リュージュは以前一度だけ、殺し屋としての俺と対戦し、俺の指弾の実戦における命中精度が、彼女自身のそれと同じでほぼ百発百中だと把握している。

 すると彼女の中で、こういう思考が生まれうる。『ギデオンが実戦で用いることを許可したということは、デュロンの指弾もそれに耐えうる練度まで仕上がっているということなのではないか?』と。


 もちろん刹那のうちにそこまで明瞭に疑念を抱くことができるわけじゃないが、直観的にそう判断するのではないかという話だ。結局は説得力の問題でしかない」


 そしてギデオンは、このを成功させるためのコツを言い添えてくれた。


「撃つまではひた隠しにしろ。伝聞も結構恐ろしいから、可能なら他の奴らには一切使わず、チラリとも見せるな、おくびにも出すな。

 その代わりいざ撃つとなったら、どうせ当たらないのだから隠して撃とうとするな。大げさに大っぴらに構えて、思いっきりブチかますのがいい」


 最後にギデオンは薄く笑い、発破をかけてくる。


「確かにチンケでみみっちい、カス同然の一手だ。目覚ましい大火力の、華麗な魔術や息吹とは比べるべくもない。

 だがこのチンケな一手で決定機を引き寄せるか、スカして終わらせるかはお前次第だ。

 ポーンがナイトに化けると騙せたら……あとは、まあ、流れで勝てるだろう」


 肝心の詰めがノープランだが、それも信頼の賜物だと思っておくことにした。




 獣化変貌が解けて爪が退化したデュロンの手は、それほど器用とは呼べないが、少なくとも小さな鉄球を握り込み、指の力で打ち出せる程度の精密動作性を取り戻す。


 ギデオンの教え通り、バカみたいに突っ立ち伸ばした両腕のうち、リュージュから丸見えの右手に力を込め、予告済みに等しい一射を放った。


「!」


 リュージュは出しかけていた攻撃を引っ込め、回避ではなく防御を選択。これはデュロンが下手くそすぎるため、避けた先に飛んでくる危険性が考えられるためだろう。

 案の定、弾は大外れしたが、面で展開されていた植物質の盾に、端を掠めて粉々に吹っ飛ばすことで、威力自体の証明は達成できた。


 生み出した隙は一秒程度だが、それで十分だ。


 デュロンは素早く防御壁を回り込み、リュージュから次の行動選択機会を奪うべく、出鼻を挫く左の鉤突きを放つ。

 反攻の一打はリュージュの右前腕で容易く止められ、添えられた左掌から伸びてきた緑色の触手を左腕にブッ刺されてしまうが……これでいい。

 先ほどまでの中近距離から至近距離へと交戦の間合いが変わり、結果的にデュロンのペースに持ち込むことができたのだから。


「おーおー、わざわざリードで繋いでくれてありがとよ!」


 言い換えるとリュージュは、彼女自身をデュロンから離れられなくしたに等しい。

 デュロンはリュージュとワルツでも踊るように、足捌きで弧を描きながら、牽制のため右拳を厳しめに打ち込んでいく。


 どうやら不利を悟ってくれたようで、リュージュは吸血植物と思しき楔を引っ込めた。

 ひょっとして内部循環で皮下から……いや、この思考は今は無意義だ、捨て置こう。

 ただでさえデュロンの脳は、細かく移動しながら戦うことで精一杯なのだ。


 リュージュはデュロンの攻撃を回避するように横や後ろへ退く動きを見せているが、その実彼女が逃れているのは、彼女自身が発生させた植物に巻き込まれることをだろう。

 なのでデュロンもリュージュにダンスパートナーのようにぴったりくっついて動いていけば、背を襲う植物をかなりのところまで回避できるのだが、これがまずまず難しい。


 悪魔、猛毒、吸血で予想外の消耗を強いられたため、早くも限界が近い。

 ならばここから息も吐かせず、一気に勝負をかけるしかない!


「オオッ!」


 デュロンは右足を踏み込み、右拳で喉を、左拳で顔を狙う諸手突きを放った。

 珠を砕かれるかダウン級のダメージを受けるかという、二択を同時に迫る攻撃だ。


 リュージュはしっかりと反応し、前者を右手で、後者を左手で受け止めてくる。即座にデュロンは左膝蹴りを右脇腹へ叩き込んだ。


「ちっ!」


 舌打ちとともに放たれたリュージュの上段突きを、デュロンは左へ頭を振って躱し、そのまま斜め後ろへ倒立。今度は右足で胸を、左足で喉を狙う両足蹴りを返した。


 リュージュがこれも右腕と左膝で防いだため、デュロンは倒れ込んだ軌道を逆になぞって体を起こしながら、喉を狙って右裏拳を振り抜いた。

 リュージュは後退して回避。デュロンは攻め方を変えていく。なにも二ヶ所を同時に攻撃せずとも、普通に意識を上下に散らして追い込めばいい。


 デュロンは左上段突き、左下段蹴り、左回転肘打ち、右中段鉤突き、右上段回し蹴り、左上段後ろ回し蹴りを繰り出すもすべて躱されるが、右下段蹴りを強く当てることに成功し、相手の体勢が崩れたところへ渾身の右中段蹴りを繰り出した。


 手応えありと感じたのは気のせいで、リュージュは自分から後ろへ跳んでダメージを減殺しただけだった。

 しかも迂闊に距離を取らせてしまっている。デュロンは焦りで嗅覚が鈍りかけたが……リュージュが表情に出さずとも、彼と同じ感情を抱いているのを辛うじて感知する。


 デュロンはその理由を理解した。二人はようやくリュージュが作った花畑のエリア内から、ほんの少し外へ出ていた。


「チャンスだ……!」


 デュロンは残りの生体活性を気合いで総動員し、獰猛に歪めた悪人面の前で両腕を交差して、手首から先だけ、一瞬だけ餓狼モードのクソ長鉤爪を発動してみせた。

 無論ハッタリだが、こいつの威力を嫌というほど見せられたリュージュは、再び行使されるものと見做して対処するしかない。


「くっ……!」


 苦渋を浮かべつつもノータイムで放たれた吹き矢を、内心ゾッとしつつも頭を下げてなんとか回避したデュロンは、最後の攻撃体勢に移行した。

 地面に片膝を突き、両掌を翼のように背後へ掲げる。


 この構えからリュージュが予期したのは、両脇の大外から掻き抱くように挟み込まれる、横様の斬撃だったはずだ。

 事実、顔から胸までを守るべく、彼女が肩の位置で両腕を掲げ、ガードを固めるのが見えた。


 だが残念、そもそも鉤爪はすでに維持できず引っ込んでしまっている。

 左足を一歩踏み込んで体を伸び上げ、胸を張って一瞬だけ力を溜めるところまでは同じモーションだが、デュロンはそこから腰を落とし、右手で喉を左手で腹を狙う、掌底による渾身の諸手突きを放った。

 外向きの力がかかっているリュージュのガードの間をすり抜けて、吸い込まれるかのように呆気なく、どちらも痛打として食らわせることに成功する。


 珠を直接狙って負かすか、ダメージを与えて倒すかというのは、他ならぬリュージュとも話し合ったが……デュロンが出した答えは、どちらかでもなく、相手に択を迫るでもなく、両方。

 腹に衝撃をブチ込んで制しながら、勝利条件そのものも満たすという両獲りだ。狼は欲深いのだ!


「…………!」


 声もなく食らって五メートルほど吹っ飛び、背中から落ちたリュージュは、そのまま放心した様子でしばらく動かなかった。

 頭でも打ったかと心配したデュロンが近づくと、ようやくなにが起きたかを理解したらしく、彼女は珠が砕けてなくなったチョーカーに触れると、魂が抜けるような深いため息を吐いた。


 そうしてデュロンがおもむろに差し出した手を、ぼんやりと見つめてくる。


「大丈夫か、リュージュ? 立てそうか?」

「ああ……」


 今にも泣き出しそうな疲れ切った笑みを見れば、匂いを嗅ぐまでもなく、彼女がなにを考えているかはわかる。

 しかしデュロンからはなにも言ってやることはできず、握り返された手を引き、肩を組んで共に歩くのが、今の彼にできる精一杯の労いだった。


 会場はすでに二人の健闘と、デュロンの優勝を讃える、万雷の拍手が支配していた。

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