第189話 いちおう公平なゲーム性は見込めるらしい
目が覚めたデュロンは、奇妙な場所に立っていた。
いくつかの大きな池を中心とし、岩が点々と配置され、丸い木橋が架かり……つまりそういうふうに造園されている庭だというのがわかる。
今は夏ということもあってか青々と木々が生い茂り、遠くには物見台や休憩所と思しき建物もあって、近くには石でできたランタンのようなものが並んでいる。
「またこれかよ……リュージュの方は大丈夫かな」
風景自体はまったくの別物だが、以前にも似たような体験をしたため、デュロンは焦ることなく、見慣れない庭園を歩き始めた。
おそらくここでの時間経過は、現実世界に比べてかなり遅い。
しかし今回は特に、そうそうのんびり付き合っているわけにもいかない事情があった。
やがて、探していた存在との接近遭遇を果たし、デュロンはその苛立ちを原因である相手に直接ぶつける。
「見つけたぜ、悪魔。
【おやおや……そういう貴殿こそ、我々に対する礼儀というものがなっていないのではなかろうか?】
不遜でありながらどこか品のある口調で
大きさは去年デュロンが海賊狩りの任務中に見かけた、イルカの成体と同じくらいあり、うすらでかくて、かなり不気味な風体をしている。
「つーかそうやって宙に浮くんなら、周りの池とか必要なくね?」
【本当に無礼な
「二度目以降があるかのような言い方はやめろや、縁起でもねー」
オロオロは機嫌を損ねた様子で旋回して、大きな黒い眼をギョロリと剥く。
【そこまで不快か? この場所……貴殿ら魔族どもの内なる精神世界というのも、不可侵の聖域とするほど、高貴な価値もあるまいて】
「盗人猛々しいとはこのことだぜ。だけどよ、ただ入ってくるだけなら、こっちもそう騒ぎはしねーんだ。
前にデケー猫が迷い込んできた後に、姉貴に相談したら、こう言ってた。
おそらくこの精神世界ってやつは、普段は俺らの潜在意識の領域にある。
それがテメーら悪魔に憑依されたのをきっかけに顕在化すると同時に、テメーの色に染め上げられてんじゃねーかと。
つまり、本来この空間は、俺の原風景であるべきなんじゃねーかって話だ」
敷き詰められた架空の砂利を蹴散らかして、デュロンは牙を剥く。
「それを、こんなどこの国かもわかんねー、妙ちきりんな庭にしやがって……。
あー、だが、とんでもねー色合いをしてるからわかんなかったが、テメー鯉なんだな。
そっちがどうだか知らねーが、こっちじゃ祝日や安息日に美味しくいただくのが習わしだ。
確かすり身にするんだっけな……つかぬことを伺いますが、テメーの味付けは塩胡椒でよろしかったでしょうか?」
【あまり調子に乗りすぎると、泥抜きが必要な体にしてやるぞ、童。飢えれば狼すら食用として消費される。鶏肉に似ていると聞いたことがあるが、蛙とさほど違わんのかな。なんなら試してやろうか?】
余裕の口調で煽り返してくるオロオロだが、内心かなり頭にきていたようだ。
周囲の池が沸き立つように泡立ち、にわかに荒ぶり始める。
オロオロ自身の口から膨大な濁流が放出されると同時に、デュロンを全方位から沼の脅威が襲った。
ここは精神世界。ここにいるデュロンも精神体なので攻撃は通るが、逆もしかり。
しかしこんな奴に制圧され、肉体の主導権を奪われているわけにもいかなかった。
目が覚めると同時、リュージュは暑さと眩しさで顔をしかめていた。
いや、正確には覚醒というよりはむしろ逆で、ここが現実ではないと認識した、いわば明晰夢のような状態にあるのだろう。
木々が燃えている。地や天すら焦げようかと錯覚するそこは、端的に言うと山火事の現場のようだった。
しかし強まる火勢は突っ立っているリュージュに及ぶことはなく、植物たちもいつまでも焼き尽くされることがない。そういう性質の場所なのだと理解するしかなかった。
もっとも、自分の精神世界であるはずの空間に、勝手な法を持ち込まれるのは、もちろん気分が良くない。
リュージュは明確な敵意を湛えた視線を、眼前の悪魔に向けた。
【
「仮にこの空間に映し出されるのがわたしの原風景であるなら、故郷のそれであるはずだ。
実際には異なるのだろうが、これではまるで馴染みのある近所の森が焼かれているようで、なんとも気分が悪い。
だが、わたしはお前と違って大人なので、不躾な闖入者にも丁寧に誰何してやろう」
青・緑・紫で構成された遠目には美しい、よく見ると気持ち悪い目玉模様の翼を広げる巨大な鳥は、表情がわかりにくいはずの顔貌をはっきりと歪め、それでも要請に従った。
【形象は孔雀、属性は焔。第三十七の悪魔アイオニヌスじゃ。これで良いかえ? 己を殺す悪魔の名を知りたがるとは、意外に殊勝じゃの。褒めてつかわすぞえ♫】
「残念ながら割れている。お前たち悪魔はこの空間内で、わたしたち魔族の精神体を殺すことは、実質的にはできない。
精神と肉体は直結しており、精神はいわば肉体に対し鍵の役目を果たしうる。
外部要因で肉体が死ぬのならともかく、憑依した状態で精神体を殺してしまえば、最悪の場合お前はわたしの死肉という牢獄に囚われ、異界へ帰れなくなる恐れがあるため。
悪魔よ悪魔、この解答は何点であろう?」
アイオニヌスの動揺が、揺すった翼が散らす火花に表れた。
【……なぜそのようなことを、
「木っ端で悪かったね。少々性格の悪い親友がいてね、そいつが既存の諸説や、実弟の体験を元に構築した考察の一部だ。
ただ彼女も伝聞と空想だけで組み立てたわけではない。わたしも懇意にしている生体研究の天才が、悪魔憑依とその依代も専門分野に含むためだ。
……おっと、すまん、そうか……お前たち高貴な邪神様に、仲間と情報共有や意見交換を行うなどという、低俗な文化はなかったかな。
ぼくちゃんわたしちゃんが独りで最強絶対無敵〜という、交誼を深め信望を集める能力の低さを必死で糊塗する、言い訳の練達集団だものな?」
挨拶代わりに軽〜く煽ってみたのだが思いのほか効いたようで、アイオニヌスは全身に紫色の火を灯した。
【……其方、名を聞いておこうかえ?】
「リュージュ・ゼボヴィッチだが、木っ端の個体を識別する気になったとは、なんとも恐縮だな」
【なんということはない。其方の体を乗っ取って、狼小僧をこの手で殺し、その名をそちらとこちら、両方の世界で最悪の愚者として喧伝しようぞ!】
燃え盛る冠羽を見るまでもなく、相当お冠にしてしまったが、これでいい。
デュロンによると、この空間内では互いが精神体であり、悪魔に触れることも殴ることもできる。
ここで悪魔を叩きのめし捩じ伏せている間は、肉体の主導権を取り戻せるという話だった。
ここにオノリーヌとヴェロニカによる推測が加わる。なにも悪魔の活動限界を待ってやる必要はない。この精神世界で悪魔を殺害・滅却できれば、肉体からの追儺が可能なのではないか? と。
実証実験と洒落込むのは構わないが……問題は手段だ。
「……?」
何気なく制服のポケットを探ったリュージュは、昨日や今日消費したはずの種子が自然と補充されていること……いや、それどころか無限に溢れてくることに気づく。
憑依してきた悪魔に色を変えられてしまっているものの、あくまでリュージュ自身の精神世界であることに変わりはなく、万全の力を遺憾なく発揮できる程度には、イメージ次第で融通が利くようになっているらしい。意外とフェアな設計だ。
これならなんとかなりそうだなと、リュージュは手品師のように五指を広げて両手を掲げた。
炎の暴虐なら予習済みだ。ラヴァに勝っておいてあんなセルフローストターキーに敗けるようでは、かわいい火蜥蜴に、そして狼に合わせる顔がないではないか。
会場が困惑と恐怖でどよめく中、アクエリカはあくまで貴賓席で座視に徹する。
ヴェロニカとメリクリーゼからいまだ歯軋りするように剣呑なオーラが漂ってくるが、彼女たちにも静観の姿勢を崩させない。
ヴァルティユにチラリと眼をやると、彼女もまた泰然としたものだ。
なおさら自分が狼狽えるわけにはいかないなと、アクエリカは唯一冷静な副官に尋ねた。
「パルちゃん、あとどのくらいかしら?」
「デュロンが残り二分七秒、リュージュが残り一分五十二秒です!」
目隠しを外したパルテノイの金色に輝く眼に宿る固有魔術〈
悪魔自身にしか認識できないはずの憑依制限時間を把握して教えてくれるのは、はっきり言ってとても助かる。
「へえ……結構良い生贄を使っているのね」
「エリカ様〜、それはさすがに失言です〜」
だが裏を返せば終わるまでやることがないので、こうやって余計なことが漏れないよう口を閉じて、アクエリカは沈思黙考で時間を潰すことにした。
どうせ特定・捕捉・確保まではできないだろうが……二人に悪魔を憑依させている術者は共謀者同士か同一人物ではなく、まったく無関係な、むしろ利害の対立する別勢力の構成員同士と考えて良さそう、までは踏み込める。
「絵面が地味だから盛り上げに貢献してやろう」という奉仕の精神を発揮する者や、単なる愉快犯など、明確な目的なく悪魔召喚という各種リスクを取る向きがあるとは考えにくいからだ。
もう一つの根拠は、二人に憑いている悪魔の属性である。
今、サイケデリックな戦闘鳥竜と化したリュージュは紫色の炎を撒き散らし、対するグロテスクな殺害魚獣に化けたデュロンは濁流を操り迎え撃っている。
これはなんでもよく、完全なたまたまというわけではないはずだ。
アクエリカの思い込みかもしれないが、だいたいこうだろうというのは推察できる。
たとえばジャンケンをするとき、相手がグーを出すと予想していれば、こちらはパーを出すだろう。
しかしそれを見越した相手がチョキを出すかもしれないのでグーを出す……というふうに、この手のものは考えすぎると一巡したり堂々巡りするようになっているので、どこかでループを打ち切らなければならないのだが……つまりそういうことだ。
リュージュは植物使いなので、植物属性の悪魔を憑けて底上げさせれば勝たせられると思った博徒がいたかもしれない。
それを予測したデュロンに賭けている者が、ここまで観てきて一番相性の良い氷の悪魔を召喚する……。
そう仮定するバカがリュージュの優勝に全財産を突っ込んでいたとしたら、そいつは炎の悪魔に託すだろう。
そしてもしアクエリカが(たとえただの妄想レベルでも)そこまでを掴んでいて、悪魔のカタログを握る立場にあったなら、確かに選択候補に「沼」が挙がってくる。
練度によるが水は火を消す一助にはなりうるし、その水の純度が低く毒性を携えることができれば、リュージュ本体の能力である植物を助長することもないという両睨みにはなっている。
おそらくここで読み合いのループが止まったことで、こうしてデュロンがやや有利という状態に落ち着いたのだろう。
彼の優勝前提で進めているアクエリカとしては、このまま押し切ってくれても、むしろ普通にありがたくはある。
優勝決定戦くらい外部要因の絡まない純粋な決闘としたいであろうデュロンやリュージュ、ヴァルティユらラグロウル族の者たちには悪いのだが、結果論的にはそうなってしまう。
ただしこうして悪魔憑き同士の戦闘が白昼堂々、公衆の面前で繰り広げられてしまっているという点に関して、もう一つ考えなければならないことがあるというか、そちらの方が重要なのだが……。
「エリカ様っ!」
連綿と続く、とりとめのない彼女の思考は、ちょうど一段落したところで、パルテノイの鋭い声に遮られた。
デュロンとリュージュの異様な変貌と膨大な魔力が治まり、それぞれの体から暗黒物質が漏出したかと思うと、二人の頭上で錦鯉と孔雀の形を取り、異界へ還る前の捨て台詞を吐くところだった。
【なんと小癪な……ここまで舐めた真似をされたのは初めてだ!】
【魔族風情が図に乗りすぎではないかえ!? 其方らの下らぬ教会遊び、妾は絶対に認めぬ!】
「はいはい、さようなら〜。さっさと異界へお帰りくださいな〜」
適当に手を振って見送るアクエリカの声が聞こえたかはわからないが、悪魔たちは再び暗黒物質と化して虚空へ消えた。
アクエリカはパルテノイの表情だけで悟ったが、いちおう彼女に確認を投げかける。
「まだ活動限界には到達していなかったわよね?」
「は、はい……! 残り一分二十秒から三十秒程度の段階で、いきなり数字がゼロになり、二人の中から悪魔が排出されました……すごいです……!」
「ええ、やるわね、あの子たち。制限時間を待たずして、祓魔完了してしまったわ」
普段は打算尽くであるアクエリカの言葉も、このときばかりは純粋な賞賛が大半を占めていた。
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