第186話 まるでキスでもせがむように
内部循環を使わせている間は、外部放出を食らわずに済む……これは昨夜デュロンと話し合って出した結論の一つだった。
なのでラヴァが吐いた
さすがに一瞬でとはいかないようだが、ラヴァの切り替えは迅速だ。
リュージュが竜化変貌とともに繰り出した拳を、竜化変貌・内部循環の発動を両方間に合わせ、しっかりと防御してくる。
相当な集中状態に入っているようで、普段逆立てているラヴァの前髪が大量の発汗でしっとりと濡れ、ぺたんと垂れて眼にかかっている。
意外と幼い彼女のその顔には、小型肉食獣がお気に入りの獲物を見つけたような、心底楽しそうな笑みが浮かんでいた。
ヤバい。こいつはこの状態のときが、一番頭が冴えているのだ。
果たして次の瞬間から、リュージュは比喩抜きで息吐く暇もなくなった。
「ふっ!」
まるでキスでもせがむように、小鳥が
「かはっ……!」
気道を焼かれ、辛苦を受けたリュージュは思わず両手で口と喉を覆うが、今はそれが功を奏した。
珠を狙ったラヴァの突きを、たまたま防ぐことができたからだ。
「ちっ……楽にしてやろうって親切心を、無駄にしてくれやがる!」
悪態とともに突きの追い打ちが二発、ガラ空きになったリュージュの腹に飛んでくる。
喘鳴自体に痛みを伴い、リュージュは自らの再生能力に祈るしかない。
苦し紛れの反撃もラヴァは軽くいなしてしまい、再び攻撃に転じてくる。
ダンスのパートナーのようにリュージュの動きに合わせ、滑らかな足捌きで付かず離れずの距離を保ち、どこまでも食らいついてくる。
いや、完璧に読まれてしまっているのは、リュージュの息をするリズムだ。
吸うタイミングを逃さず捉えて、ラヴァは最小の威力で灼熱を速射し、確実に気道を焼いてくる。
大規模な爆炎を放つのとは異なり、これなら外部から内部への切り替えはほぼ一瞬で済むのだろう。
内部循環が間に合えば、リュージュに対し体格で劣るラヴァでも、近接格闘で後れを取らずに済む。
そしてリュージュにとって最大の脅威がラヴァの外部放出であるのと同じように、ラヴァから見てもリュージュの逆転可能性は、外部放出にしか眠っていないと認識されているのだ。
再生能力を意識的に気道へ集中しても、呼吸を繋ぐので精一杯、ラヴァの突きや蹴りで受けた外傷が回復しなくなる。
口や鼻、喉を守るために最低でも片手が塞がるため、その隙に胴体が
抜けられない悪循環を何周か経て、それでもまだ倒れず、なんとか距離を取って構え直すリュージュに、ラヴァはもはや哀れみの視線を向けていた。
目元に垂れた前髪から滴る汗が、まるで涙のように見える。
必ずしも錯覚とも言い切れず、火蜥蜴は湿りを帯びた、状況にそぐわないやけに気弱な声を発した。
それは……何年前だか忘れたが、〈ロウル・ロウン〉で協調しようと、彼女にお願いされたときのことを、リュージュに思い出させる。
「なぁ……帰ってこいよ、リュー。
また毎日、一緒に訓練しよう……」
当時はリュージュの方が圧倒的に実力が上で、何度も転がしてやったものだが、今は完全に構図が逆転していた。
だがリュージュはあのときと同じ柔らかい笑みを浮かべて、あのときと同じ答えを返して寄越す。
「いいとも。お前が勝ったらな」
対するラヴァはもはやなにも言わず、ただ息を吸い込んでいた。
言うまでもなく、無慈悲な
リュージュに残された選択肢はもはや、このままぼんやり焼かれるか……それとも起死回生を図って踊りかかり、内部循環に切り替えたラヴァに蹴り倒されるか……そんなところだろう。
しかし彼女は諦めない。反応し、一気に間合いを埋め……タックル、そしてクリンチする。
「んっ!?」
これはラヴァも想定していなかったようで、驚く様子を見せたが、結局ガッチリと組み止めながら、いつもの口調で話しかけてくる。
呼吸一つも苦しい状態のリュージュが返事をするとは思っていないはずで、ほとんど独り言のようなものだろう。
「おいおい、ずいぶんと熱烈じゃねぇの……だが、そんな時間稼ぎをされても困っちまうな」
そう、この体勢なら互いの珠を狙いにくく、打撃自体も繰り出しづらく、互いの胸を圧迫しているため、外部放出も制限される。
リュージュの素の膂力とラヴァの内部循環込みのそれはほぼ拮抗するため、このままなら押し合い圧し合いが成立するといえばする。
しかしもうリュージュの体はボロボロ、いつ倒れてもおかしくないため、長くは持たない。
それはわかっているので、彼女は抱き合うような格好のまま、ラヴァの右乳房の下あたりに、左手をそっと添える。
当然、相手の苦情が、熱い吐息とともに耳にかかった。
「触るとこ間違えてねぇか? あたしの喉はそんな下じゃねぇぞ」
「ラヴァ、すまん……許せ」
「……は?」
かわいそうに、とリュージュは眼を閉じる。
体内までを貫かれる衝撃は、さぞかし痛恨だっただろう。
「あ……あ゛ぁっ……!!? いぎっ……た……て、てめぇっ、なにしやが……ゴボッ!!」
「静かに、大人しくしろ。暴れると死ぬぞ」
にわかに致命的な一撃を食らい、なにが起きたかわからない様子のラヴァを、リュージュは串刺しホールドしたまま、優しく諭して離さない。
ラヴァは胴体にも竜化変貌で硬い鱗を張り巡らせて防御していたので、虫の息だったリュージュが渾身の力で鉤爪を捩じ込んだとしても、擦り傷を与えるのが限界だっただろう。
今、ラヴァの右胸下部から右肺を刺しているのは、リュージュが対彼女で用意していた、吸血性の蔓性植物だ。
その種子はリュージュの手の中……正確には掌の皮下に仕込まれていたものである。
肉体へ埋没するのは結構痛いが慣れれば我慢できるし、なにより外部放出が使えない状況でも、内部循環によって
現にまったく知らなかったラヴァの虚を突くことができたし、ついでに散々喉を焼かれて消耗して体力を、植物が吸ったラヴァの血が、根を張られているリュージュに供給されることで、かなり回復することができた。おかげですぐ円滑に喋れるようになる。
「ふう……こんなところか。ごちそうさまと言っておくべきなのであろうかな」
「ふざ、けっ……!」
ようやく驚愕から立ち直り、植物性の触手を捻り抜いて逃れたラヴァは、完全に萎縮した様子で瞠目し、それでも震える手足を振るってくる。
なにかを叫ぼうとしたようだったが、肺の再生にはまだ最低でも数秒かかるため、痛みで声は出なかった様子だ。
リュージュは彼女に、敗退という慈悲を与えるべく、両腕を広げてゆったりと迎え撃つ。
「別に地元に帰らずとも、稽古なら今つけてやる」
ひらりと体を捌いてラヴァの後ろを取ると、抱き潰して仰向けに倒し、両腕での首絞めに移行する。
ラヴァはなんとか間に自分の腕を挟み込み、極め切られることを防いでくる。
これが〈ロウル・ロウル〉でないただの野良喧嘩なら、そうして意識喪失を遅らせつつ、返し技を探れば逆転もありえたかもしれない。
だがリュージュの狙いは、チョーカーで喉に装着された緋色の珠を、このまま圧迫して潰してしまうという、勝利条件の直獲りなのだ。
ラヴァもそれがわかっているので、全身の力を振り絞り、両腕に力を込めて引き剥がしを図りつつ、両脚を必死でバタつかせるという、最後の悪足掻きに突入している。
「〜……ッ!」
しかし抵抗虚しく、やがてぐったりと力を失い、珠の破壊を妨げることができなくなったラヴァを、リュージュは静かに脱落させ、優しく地面に横たえた。
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