第183話 怪我もしてないのに無理矢理ギプスを装着させられたらそりゃ叩き割ります

 フィリアーノが毒に倒れた。侵入経路はわからない。

 確かなのは、彼がもはや動けないということだけだ。


「やれやれ、思ったよりも粘ってくれましたね」


 チャールドは彼自身の血で汚れた眼鏡をスカーフで悠々と拭い終わると、脂汗を流して呻くフィリアーノに近づき、右手で彼のチョーカーを優しく外して、鉄色の珠を握り砕く。

 同時に左手でフィリアーノの肩にアンプルを挿し込んだ。

 フィリアーノの体はビクリと震えたが、すぐに呼吸が落ち着き、穏やかな寝息を立て始める。


 オルガが見ているのに気づいたチャールドは、昔地元でも見せたような、純粋な優しさの笑みを浮かべてきた。


「毒使いが解毒剤を持っているのは、言ってみれば我々にとってのマナーみたいなものだよ。もっとも僕自身には効かないわけだから、もっぱら他者への救命用なんですけどね。それより眼を離していいのかい?」


 問題ないから離している……つもりだったのだが、響いた破砕音に驚き正面に向き直ったオルガは、ラヴァの獰猛な眼光にカチ合った。


「…………」


 石膏息吹プラスタブレスで両肘と両膝を固め、ついでにうるさい口も封じてやったため、クソ火蜥蜴は石製のマズルとギプスでフル拘束されたような状態だったのだが……内部循環の練度がオルガの想定を超えていた。

 さすがに全身とはいかなかったようで、集中的にパンプアップされた左脚だけが、石の軛から解放されてしまったようだ。


 だがまだ間に合う。オルガはラヴァの左脚が動くより早く、彼女の至近にまで距離を詰め、喉の珠を拳で狙い打つ。これは当たる!


 と思いきや、相手の姿が視界から消えた。


「!?」


 ラヴァは自由になった左脚を、蹴りを放つのではなく無造作に後方へ振り上げて自らのバランスを崩し、突進していくオルガとすれ違うように、前のめりに転ぶために使ったのだ。


「ムグッ!」


 痛みで呻きながらも、地面に叩きつけることで自らの右脚と右腕を解放したラヴァは、右足と右足を支点に、左足で蹴りを放つ。

 それをオルガが受ける間にラヴァは左肘の石膏も叩き割っているが、おかわりの準備はできている。


 再度放たれた石膏息吹により、再びラヴァの四肢が順に固められていく。

 振り出しに戻り、いたちごっこの始まりだ。


「ンンッ!」


 だがラヴァは行動を制限されているにもかかわらず、その中で的確に対処し続けた。

 牽制のための「攻撃」、敗北を先延ばしにする「防御」、動かせる部位を一つ増やす「解放」を、常に一つも間違えず判断し切ってみせてくる。


「くそ……相変わらず、見かけに似合わない猪口才ちょこざいな女だぜ……!」


 追い詰め王手チェックをかけているはずのオルガが、いつまでも押し切れず嫌な汗をかいてきた。

 普段あれだけ喧しい悪態や強力な息吹を吐くための口の解放を後回しにしていることから、ラヴァがどこまでも冷静であることを思い知らされてしまう。


 再び両腕と右脚を固めることに成功したが、ラヴァは即座に左膝で左腕を蹴って解放、そのまま左拳で攻撃してくる。

 オルガが右腕で受けると即座に引っ込め、そのまま右腕を叩いて解放。


 オルガが放った蹴りをその手で防御し、左足で一歩下がって、右拳で右脚を解放した。

 そのまま右拳と右足を前へ出して構え、ようやく左拳でくつわを叩き割る余裕ができたようだ。

 これですべての部位が解放されてしまった。憎たらしい牙を覗かせ、火蜥蜴は不敵に笑う。


「わりぃなぁ、オルガ。そろそろてめぇと遊んでる時間もなくなってきちまったみてぇだ」

「もうちょっと良い子にしてけや! 大人しくしてりゃあ再生限界までバキバキに骨折って、きっちり固めてやっからよ!」


 オルガが石膏息吹プラスタブレスとともに吐いた気炎は、ラヴァの爆炎息吹ブラストブレスで迎撃、相殺された。


 炎は目晦まし、それはわかっている。

 ただ、直前にラヴァが見せていた、やけに洗練された構えがまぶたの裏に残り、オルガに次の一手への対応を誤らせた。

 自らの炎を裂いて飛び出てきたラヴァは、両腕を翼のように広げた、技も術理もへったくれもない、勢い任せの頭突きを放ってきたからだ。


「おぶっ!?」


 精妙な突きか蹴りを想定していたオルガは完全に意表を突かれ、思いっきり腹に食らってしまう。

 くの字に折られ前のめりになる体を自分では止められず、ヤバいと思ったときにはすでに、ラヴァの閃光のごとき回し蹴りが眼前で放たれていた。


「……!」


 あまりの早業に声も出ない。残響に喉を探ると、珠は散った後だった。

 落胆で膝から崩れ、石畳に拳を突き立てるオルガに、ラヴァは特に罵言を吐くこともなく、つまらなそうに踵を返した。

 二人の決着を見守っていたチャールドも、彼女に従う。


「チッ……全然気持ちよくボコれなかったぜ。憂さ晴らしが足りねぇ、次で帳尻合わせんぞ」

「油断しないでくださいよ? 僕と君、共倒れにでもなったら終わりなんですから」

「わぁかってるよ、うるっせぇなてめぇは! キモいんだよその眼鏡が!」

「君たちは僕の眼鏡に彼氏でも寝取られたのかな? 全部終わったら僕の眼鏡に謝ってね」


 悔しい。個々の地力でも、連携でも敗けたことも悔しいが……なによりも、ちょっと遠回しに成長を評価されただけで、心の底では一抹の嬉しさを感じてしまっている自分の浅ましさに嫌気が差し、オルガは歯を食い縛って涙を零した。


「ちくしょう……!」


 もう一度石畳に叩きつけようと振り上げた彼女の拳を……しかしたおやかな手がそっと握り止めた。

 振り向くとフィリアーノが、優しく微笑んで諭してくる。


「やめよう、オルガ。その拳はもっと強くなって、次の機会にラヴァの泣きっ面にブチ込んでやるのに使うんだ。それまで大切に磨いておきなよ」

「お、おう……お前、顔のわりに結構キツいことも言うんだな……」

「そりゃ、僕だってラグロウルだ……いや、敗けて悔しいのは、誰だって同じさ」


 震える手で、それでもやんわりと諌めてくる彼の様子に毒気を抜かれ、オルガは脱力した。

 気持ちを切り替え、フィリアーノと肩を組んで支え合い、二人で立ち上がって行く先を見定める。


「こうなりゃあのバカ頭とクソ眼鏡が、リュージュとその相棒バディに殴り潰されることを願うしかないわな。しゃーないからタピオラ姉妹が言ってた祓魔官エクソシストの寮へ転がり込んで、バカとクソが落ちてくるのを、呪いでも飛ばしながら待ってるとしようぜ」

「はは、その意気だよオルガ。

 それで、その相棒くんはなんて名前なんだっけ?」

「ああ、確か……」




「……デュロン…ハザーク、また会ったなぁ!?」

「会いたくなかったー……と言いてーところだが、昨日の俺とは一味違うぜ、かかって来な!」


 売り言葉に買い言葉でついそんなふうに答えてしまったが、実際は今の消耗度はツァーリオ戦直後と大差ないし、ラヴァの炎は何度浴びても慣れるものではない。


 しかし今のデュロンには頼れる相棒がいる。

 彼女は彼の肩をポンと叩いて、ずいっと前に出てくれた。


 その顔を見て表情を変えるラヴァに、リュージュは正面から啖呵を切っている。

 場所はごく普通の街頭、ひとまず大きな不利はない。


「ラヴァよ、お前の相手はわたしだ」

「……よぉ、リュージュ、昨日ぶりだな。ところでセルゲイは息災か?」

「ん……? ああ、変わりなさそうだが、あいつがどうかしたのか?」

「そうかい、そりゃ良かった。だが変わらねぇのはお前とあたしの相性優劣関係も同じだぞ? あえて訊くがよ、草で炎に勝てるとでも思ってんのか?」

「愚問である」


 バッサリと言い捨てて、リュージュはいつものように独特の構えを取った。


「対策は通用するから対策なのだ。お前がどういう攻撃を受けて倒れるか、わたしの眼には、すでに見えているぞ。

 ああ、未来予知などは身につけてはいない。わたしに見えているのは、わたしが切り開く未来、ただそれだけだ!」


 対するラヴァは、憤怒の形相で額に青筋を立て、牙を剥いて吼えている。


「てめぇの……そういうところが、昔から気に入らなかったんだよ!!」


 あちらは仲違いしているようなので、せめてこちらは仲良くしたいものだなと、デュロンはブレントを促して、通り一つ向こうへと場所を移した。


 改めて〈毒殺神父〉と正対するが……デュロンは頰が歪むのを自分で止められず、相手を悲しげな表情にしてしまう。


「そんなに不快ですか? 僕の戦法か、戦歴が」

「いや、ちげーよ。俺は別に、アンタのことは嫌いじゃねー。ただ……」


 騒ぐ弱気の虫に逆らい、虚勢の笑みを形成しながら、人狼は自然体で構えた。


「……わりーな。ここ一番で厄介な奴に当たっちまうんじゃ、こんなツラにもなる」


「なるほど、最高の賛辞をありがとう。

 お礼に君は殺さないであげましょう。

 代わりに死に方を選ばせてあげるよ」


 そいつはどういう謎掛けなんだ? と問うことも、痙攣けいれんするまぶたを抑えることもできず、気がつけばデュロンはブレントとの戦闘を始めていた。

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