第182話 追伸:妹のことについて、一つ相談がある

 対峙して視認した状態から、タチアナの姿が忽然と消えていく。

 リュージュはその匂いを捕捉していたが、すぐに見失ってしまった。


 いや、正確には上空一帯に漂っていて、現在位置を特定できない。

 タチアナは翼を広げて飛翔し、撹乱のために飛び回っているようだ。


 リュージュは鼻を蠢かしてみるが、やはり竜人族の嗅覚はそこそこ程度でしかない。

 他の感覚も同様で、風切音や風圧もいまいち参考にならなかった。


「ぐっ!?」


 まごついているうちに不可視の斬撃が襲来して、リュージュの肩を裂く。

 リュージュが竜化変貌で鱗を発現し、防御体勢に入ると、タチアナは降下の勢いを乗せた打撃に移行してきた。


 ぼんやりしているように見えて戦闘民族には違いなく、格闘訓練も怠っていないようで、突きや蹴りにも看過できない重さがあった。

 一方的に打たれて血を流しつつも、リュージュは不敵に笑ってみせる。


「ヒット&アウェイに走らず、渾身の一撃で仕留めるべきだったな。仕込みはすでに終わっているぞ」

「はぁ……リューちゃん、強がりはほどほどに……って、えぁ!?」


 気だるげなウィスパーボイスを発していた虚空から、突如として蔓性植物がにょきにょきと伸び、その神秘性を侵害し始める。

 タチアナは全裸なのが仇となった。接触の瞬間に種を植え付け、苗床にしてやったのだ。


 動揺して内部循環を解いてしまったようで、灰白色の翼を広げて天を舞う全裸の美少女が、腰の後ろに勝手に外付けされた緑色の尻尾を、迷惑そうに振る姿が、しばしの間だけ顕現してしまう。


「ふぅぅ〜……なにこれ、邪魔ぁ〜……」


 タチアナは蔓草を即座に竜化の鉤爪で切り裂くが……残念、寄生こそしないものの皮膚にへばりつき、かなり力を込めても抜けない上、刈っても根がある限り伸び続けるという、しつこさ重視のマーキング用植物である。


 紫色の花を咲かせるそれは、なにを隠そう、リュージュ自身のだらしなさと依存傾向をモデルに開発した品種なのだ! 地の果てまでもくっついていき養ってもらうから覚悟しろ!!


「ははは! いいなタチアナ、かわいい尻尾が似合っているぞ!? そのままにしておけよ!」

「ふぅ……うっとう、しいなぁ……ヒモは、嫌いだよ……」

「なんか傷つくからやめてくれるかその言い方!? 全世界のヒモたちに謝るのである!」

「や、だ……」


 しかしこの対策への対策は考え、そして練習していたようで……タチアナの薄い唇が弧を描いたかと思うと、今度はマーキングした蔓草ごと、彼女の体が透明化した。


「ふふ……自己認識の、拡張……リラは、ちょろいけど、先見の明は、さすが……♫」


 やはり駄目か……とリュージュは自嘲する。服は依然無理なようだが、タチアナは透明化能力の適用範囲に、「自己に付随する生体」くらいなら含めることができるようになったようだ。


 おそらく昨日あたり、きっかけになる出来事があり、対応できるよう一夜漬けしたと見える。

 ただそれを想定していたリュージュの方も、さらなる対策の準備があった。


「訊くがタチアナ……マーキングがだと言ったか? 花は眼でだけ愛でるものかな?」

「……ま、まさか……」


 そのまさかだ。この植物の主眼は蔓でなく、放散する匂いにこそある。

 香水と同じように、いやそれ以上に強く、相手の体臭と混ざって、より華やかに薫り立つ。

 あまりの鮮烈さで共感覚を生じ、擬似的な視覚で捉えられるようになるほどに。


「なるほど……そこか!」


 タチアナの所在を完全に把握するに至り、リュージュは翼を広げ、空中へと踊り出る。

 慌てて逃げ回るかわいいお尻を追いかけて弧を描き、ついには緑の尻尾をふん捕まえて、地上へと引きずり下ろすことに成功した。


「ぎゃんっ!?」


 いじらしい声とともに墜落したタチアナは、もはや透明化が完全に解け、慌てて構える。

 残念ながら純粋な格闘能力ではリュージュに及ばず、何手かは凌いでいたが、やがて強烈な上段蹴りにより、あえなく珠を破壊された。


「あっ……」


 敗退が決まって少しはショックを受けた様子だったが、タチアナはしどけなく屋上に座り込んで、いつものペースでウダウダ喋り始める。


「ふぅ……まぁ、仕方ないよね……我ながら、善戦した方だよ……」

「ひとまずお疲れ様と言っておく。だが、敗者は敗者だぞ。タチアナよ……」


 決着がついたのになおも真顔で距離を詰めていくリュージュに対し、タチアナは初めて恐怖の表情を見せた。

 自らの裸体を庇うように抱きしめ、後ずさりつつ懇願するように言い募る。


「な、なに……? どうして近づいてくるの……? はぁ、はぁ……あ、あの、敗退者への追い打ちは、ダメだよ……?〈誇り〉に反するんだよ……? ね、ちょ、ちょっと、リューちゃん聞いてる……? 眼が怖いよ……!? ねぇってばぁ……!?」

「わかっているとも。だがそれは暴力を振るってはならないという主旨であろう?」

「そうだよ……!? ふぅ、ふひ……なんで? どうして追い詰めてくるの……!?」

「つまりだ、ちょっといたずらするだけなら許されていると思わないか?」

「思わないよ……!? 逆になんで許されると思ったの……!?」


 逃げ場を失って腰を抜かし、もはや半泣きで叫ぶタチアナを、リュージュはねっとりした視線で見下ろす。

 ビクビクと跳ねる二の腕や太ももがあまりに美しく、他意はないがつい舌なめずりをしてしまう。


「怖いよ……!? ふぅー、ふぅー……な、なに、なんなの? わたしを食べちゃうの……!?」

「お前が悪いのだぞタチアナ。お前がそんなに綺麗でかわいいから」

「ひゃふっ……!? 急になにを言って……」


 一発で頰を赤らめるその反応に味を占め、リュージュはさらに畳み掛けた。


「さながら天を統べる小竜……いや、ストレートに天使と呼ぶのが相応しいのであろうな」

「えひっ……!? な、なにが目的なの……!?」

「目的などなにもない。ただ見たままを言っているだけだぞ? ここミレインにも美女や美少女はたくさんいるが……タチアナ、わたしはお前より美しい女を見たことがない」

「!!? ……そ、そんな、こと……わたし、言われたこと、ないかも……」


 だろうな、とリュージュは内心で相槌を打つ。

 ソネシエがまさにそうなのだが、幼い頃からあまりに容姿が優れていると、逆に滅多に褒められることがないというケースがあるらしい。

 タチアナもこの独特のやや近寄りがたい雰囲気のため、そのタイプなのではと前々から思っていたのだが、大当たりだったようだ。


 もはや地面にぺたりと座り込み、顔を覆った両手指の隙間からチラチラ覗いてくるタチアナを、リュージュはさらに口説いた。


「そうか。なら、わたしがいくらでも言ってやろうとも。その綺麗でかわいいお前の大事な体を、このような猥雑な街頭はもちろんのこと、里の仲間にすらあまり気安く晒すものではない。なあ、タチアナよ……」

「ひゃいっ……!?」


 ピン! と背筋を伸ばしたタチアナの肩に、リュージュは上着を差し掛けた。

 普段なら体を捩って脱いでしまうところを、このときのタチアナは、やけにしおらしく従容として、あまつさえ目元と口元をふにゃりと緩めて、コートごと自分の体を抱きしめる始末だった。


 しばらく躊躇う様子を見せた後、彼女はやがて上目遣いでリュージュを見て申し述べる。


「……わ、わかった……ふぅ……これからはリューちゃんの前でだけ、裸になることにするね……」


 いや、好きな相手と寝室や浴室でならいいという意味だったのだが……それはそれとしてリュージュとしてはかわいい女の子の裸が好きか嫌いかで言うと普通に好きなので、あえて無下にする必要はないかなと思い、最終的に満面の笑みで首肯した。


「うむっ! これからはちゃんと服を着るのだぞ! お姉さんとの約束である!」


 コクリと素直に頷き、そのまま照れてうつむいてしまうタチアナの様子を見届けた後、リュージュはこっそりと〈聖都〉ゾーラの方角へ敬礼する。


 タチアナが承認欲求の化身となり、全裸徘徊を始めたきっかけが、兄である自分が彼女から離れて、寂しがらせてしまったことだとはわかっていたようで……もし今回の〈ロウル・ロウン〉で遭遇する機会があれば、可能ならなんとかしてやってほしいと手紙の追伸に書いて寄越したセルゲイに、これで義理は果たせた。


 あとはリュージュ自身の因縁を消化し、優勝へと至るだけだ。

 敬礼を解いて表情を引き締め、彼女は再度決意を固め直した。

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