第181話 ショートホープを吐き尽くせ

 水は電気の味方だが、一定以上に多量だと、いたずらに拡散させるだけになってしまう。

 なのでリラクタが水中戦を選んだのは、攻撃力の一助になると考えたからではない。


 相手の防御を阻害して大ダメージを与えるという彼女の基本方針は変わっていない。

 組み技の返しというのは、壁や床といった周囲の平面を利用する方法が少なくない。

 つまり人狼の白眉を相手に掴み掛かって嵌め殺すには、大地も重力も邪魔でしかないのだ。


 自由落下は滞空時間という制限が生じ、あまりに短期決戦すぎると落とし切るのが難しい。

 それよりは水中で揉み合って自らの肺活量を試す方が、まだしも勝算があると彼女は考えたのだ。


 それは何秒間の出来事だったのだろう? 若干意識が遠ざかりつつも、リラクタはデュロンの体内へ雷霆息吹エレクトブレスを放出する。

 酸欠に陥りつつあるだけの彼女と違い、臓物を直接焼かれている彼の苦痛は慮られるが、勝つためなので仕方がない。


 いかに頑丈な彼といえど、この状態に陥れれば、さすがに意識は朦朧以下、手足も指一本動かせないはずだ。

 その予測自体は、おそらく間違いではなかった。

 ただやはりそれでもリラクタは、まだデュロンのことを甘く見ていたことになる。


「……ンッ!?」


 たとえば頭部を獣化変貌して、リラクタの舌どころか顔面ごと齧り取るとか、そういう手段を取ることもできたはずだ。

 しかしデュロンは意外と紳士なようで……彼女が異変を感じたのは、まず脚だった。


 万力のように緩やかかつ強引に、彼女は股を開かされていく。……いや、違う。デュロンの胴部が急速に拡張していくので、ホールドしている彼女の方が、自ずと開いてしまっているのだ。


 同様に、デュロンの両頬を挟んでいた彼女の両手も、肘がデュロンの胸筋で押し退けられたことで脇が開き、自然と放させられてしまう。


 まるで水死体のようにどんどん太っていく。正確には、デュロンは肉体活性を用いて筋骨の密度を下げ、自分を風船のように膨らませているのだ。


「ぐっ……ぐぶふ……!」


 肺活量はまだなんとか保つが、肩関節と股関節の限界はすでに訪れつつある。

 猫系獣人なら融通も利こうが、竜人であるリラの可動域は、一般女性より少し広い程度でしかない。


「んん……!」


 軋みを上げる四肢を宥めつつ、絞め技をかけるような感覚で耐え忍び、死のキスを続けていたリラだったが……不意に不意に体が楽になったかと思うと、デュロンから弾くように剥がされ、一人で急流の中へ放り出されていた。


「ゴボッ……!?」


 デュロンが膨張していた筋骨を急激に元へ戻したため、掴み損ねて逃がしてしまったようだ。

 ともかくリラも呼吸の限界だった。消耗した体で必死に泳ぎ、岸へ上がった。


「ぶは! はーっ、はーっ……! や、やるわねー、デュロンく……ん? どこに、行った、の……?」


 呼吸を整えながら油断なく構えて、周囲を探っていたリラは……不意に異様な姿を目にしたせいで、ゆっくりと吐こうとしていた息を、ヒュッと呑み込んでしまった。


「……ったくよー……やって、くれたぜ……」


 デュロンはリラクタより先に、河から上がって待ち構えていたようだ。

 金毛の先から雫を落としつつ、ダラリと前屈みに構えている。


 昨日見た彼の通常完全獣化変貌状態と比べると、ガリガリに痩せこけており、両手の鉤爪がかなり長い。

 開きっぱなしの口腔から涎を垂らし、吐き出した掠れた低音の響きに、リラは背筋が震えつつも虚勢を張る。


「ああー、腹が減った……なー、リラ……テメー、覚悟はできてるんだろーな……?」

「なんの覚悟かしら……? あなたの肥やしになる覚悟なら、毛頭ないわよ?」


 不気味な威圧感を醸し出しているが、おそらくは先ほどとは逆に、筋骨の密度を極限まで上げているだけだろう。

 その形態に慣れていないのか、なっているだけで消耗するのか、デュロンはフラつきながらゆっくり歩を進めてくる。


 垂れた涎が顎先の水滴と混じり、粘性を帯びて地に落ちた。

 対するリラは固唾を呑み、全身にじっとりと嫌な汗をかきつつある。


 落ち着け、と彼女は自分に言い聞かせた。これも得意のハッタリに違いない。あるいは単に、すでに見た目通りに倒れる寸前なのかもしれない。

 リラクタも負けじと、完全竜化変貌形態に移行。全身を灰緑色の鱗で覆い、籠手と化した両腕を喉の高さに掲げる。


 リラクタの内部循環の効果はラヴァのそれと似ていて、自らの肉体への電気刺激により、運動能力を向上するという単純なものだ。

 これをもって近接戦でやり合うというのも悪くはないが、彼女はここ一番の最適解を叩き出した。


 やはり外部放出に頼るしかない。先の二度は前兆予測で避けられてしまったが、今はゼロ距離攻撃で散々削った後で、しかも水から上がってズブ濡れ状態なのだ。


 動きが鈍るはずなので当たりやすいし、当たれば高確率で失神に至るだろう。

 確信をもって、雷竜は三度みたび咆哮する。


「アアアッ!」


 だが稲妻が襲ったその先に、奴の姿はすでにない。


「ア……!?」


 身構える猶予すらなく、リラクタを激痛が襲う。


 すれ違いざまに爪の一振りで両手首を斬り落とされ、珠までを破壊されたと気づけたのは、金色の颶風が駆け抜けた後だった。


 ようやく衝撃から立ち直った彼女がゆっくり振り返ると、すでに変貌を解いた人狼少年の、得意げな顔がそこにある。


「……へへ、どーよ? スピードと斬撃特化で引き絞った、名付けて餓狼モードだぜ」


 そう言って落としたリラクタの両手首を拾ってきて、律儀に切断面にくっつけてくれる。

 再生能力で自己修復し、元通りになるのを見届けると、リラクタは途端に脱力して地面にへたり込んだ。


「ええ、カッコいいわよ。カッコよさで負けちゃったんなら、悔いはないわ。

 あー、やられた……でもスッキリしたかもー」

「そうか。でもアンタ、その……」

「ん? ……ひゃあああっ!?」


 完全竜化変貌により全身を鱗で覆っている間は「肌じゃないから恥ずかしくないもん」理論で誤魔化していたが、変貌を解いた今となっては自分が単なる全裸の女であることを、リラクタは忘れていた。

 今さらも今さらだが、改めて羞恥心がぶり返してくる。

 うずくまって膝を抱える彼女を見かねて、デュロンが提案してくれる。


「あー、そうだ……さっきのとこに俺の上着が残ってるだろうから、約束通り貸してやるよ」

「う、うん……ありがとう……でもデュロンくん、ちょっとだけ自分を顧みて?」

「ん? ……おわっ!? なんで俺まで全裸んなってんだ!?」


 上は水中で膨張したときに弾け飛んで、下は……おそらく餓狼モードに移行したのは河から上がってからで、収縮しすぎたために緩んで落ちたのだろう。


 案の定、近くに自分の抜け殻を見つけたデュロンは、慌てて拾っていそいそと身繕いし、改めて気まずそうに声をかけてきた。


「その、なんか、きたねーもん見せて悪かったな……」

「え、そんなことは……ていうかこちらも、お見苦しいものを……」

「いやいや、謙遜しなくても……じゃ、上着取ってくるから、そこで待ってな?」

「ど、どーもー……お手数かけますー……」


 やはり旅先で羽目を外すというのは、あまりいいことではなさそうだ。

 二度とやめておこうと、リラクタは固く誓う。


「……いや、やっぱ誘われたら、またやっちゃうかも……へっくし!」


 他ならぬ彼女自身の体が戒めるように、彼女の口から大きなくしゃみが出た。

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