第180話 水雷警報発令中

 不本意ながらもチャールドを引き連れ、不機嫌に街を歩いていたラヴァは、殴り甲斐のある相手に出くわしたことで、少しだけ気分が上向いた。

 なので親愛の証として、にこやかに話しかけてみる。


「よぉ、ゴツゴツ岩女。どうした、そんなに眉間に皺を寄せて? てめぇでてめぇに息吹ブレス吹っ掛けちまったか? 祭りなんだから楽しまなきゃ損だぜ、ほぉら笑って笑って?」


 明らかな挑発を受けたオルガは、ますます苦み走った顔で言い返してくる。


「お前の吹き上がった不快なツラ見ちまったから、こうして虫の居所が最悪んなってんだろうよ、クソ火蜥蜴が! あんときのあたしとは違うってこと、骨身に直接刻んでやるから覚悟しろ!」


「おやおや……相変わらず仲が良くないようだが、訓練は訓練です。あまり根に持つものじゃないよ」


 通り一遍の利いたふうな説教を垂れてくるチャールドへ、ラヴァは背中越しに答えた。


「あぁ、でもよ、だいぶボコボコにしちまったから仕方ねぇんだわ。つってももう2年くれぇ前のことだから、さすがにしつこいとは思うけどな」

「2年前……ふふ、なるほど。ラヴァリール」

「なんだよ?」

「いくらオルガが頑丈だからといって、八つ当たりとは……むぐ」


 余計なことを言いかけたチャールドの口を後ろ手に塞いで黙らせ、ラヴァは慌てて話題を変える。

 このクソ眼鏡、外道になっても相変わらず察しは良いのが困りものだ。


「で、協調してんのがフィリアーノか……こりゃぁ面倒だ。あたしと眼鏡が組むのはさすがに殺意高すぎで過剰火力かとも思ったが、てめぇらが相手ならちょうどいいかもしれねぇな」

「あはは、お手柔らかに……あ、チャールド、久しぶりだね」

「うん、お久しぶりです、フィリアーノ。オルガも元気そうでなによりですね」

「やかましいぞチャールド、つーかなんだその眼鏡は!? あと髪も短くてキモいんだよ!」

「そんなにダメですか……? 僕の容姿、昨日からボロクソに言われっぱなしなんですけど」


 口で言うほどショックを受けた様子はなく、不気味な薄ら笑いを浮かべているチャールドへ、もはや猛獣状態で唸り声を上げているオルガを宥めながら、フィリアーノが柔和な笑みを浮かべて言った。


「僕も安心したよ、チャールド。なんていうか……色々噂は聞いてたけど、真面目で優しいところは、変わってないみたいだから……」

「……そうかな。そうだといいんですけどね」


 おぉっ、とラヴァは普通に感心した。フィリアーノは鋼属性のくせに、容貌も性格も繊細で、特に感情の機微に聡い男の子だ。

 カッチカチの鈍感で喧嘩バカのオルガと組んでいるのは凸凹でこぼこではあるが、逆に補完関係としては良好なのだろう。


 果たして開戦の撃鉄を起こしたのは、フィリアーノに他ならなかった。


「さあ、あまり喋っていると情が湧いてしまうし、そろそろ始めない?」

「同感ですね。相手が君たちでは、呑気に油断などしていられない」

「情が湧く……? その通りだぜ、フィリアーノ。これ以上あたしの頭に血を昇らせやがったら、〈ロウル・ロウン〉の主旨も忘れて、バカの脳天カチ割っちまうかもしれんからな!」

「上等だ、やれるもんならやってみろ。地力と器の違いってのを見せてやる。

 そのイキった髪型を丁寧に焼き直して、かわいいボブカットに仕上げてやっから、これを機会にミレインでモデルデビューでも果たすんだな。

 それともカボションカットにしとくか? よぉ、てめぇのその硬ぇ〜石頭、何カラットんなるか鑑定してやんよ!!」


 激昂に任せ突進してくるオルガを、ラヴァは正面からヘッドバットで迎え撃つ。

 視界に映る火花すら、火蜥蜴の眼には美しい輝きとして映っていた。




 デュロンと中距離で対峙するリラクタは、改めて思案を巡らせる。


 いわおの筋肉に鋼の骨格を持つと比喩される人狼は、ラヴァリールやリョフメト並みのパワーと、オルガやフィリアーノ並みのタフネスを併せ持っている。

 ラグロウルの竜人戦士が内部循環込みで獲得するレベルの身体強度を、彼は素で実現しているのだ。


 なので昨日オルガとフィリアーノを相手に考えたのと同じように、生半可な突きや蹴り、爪や牙では無駄打ちにしかならない。有効打は外部放出のみ、それ一本に絞るというのが妥当だろう。

 方針を確認したところで、リラは景気付けにもう一発、雷霆息吹エレクトブレスを発射する。


「はああああっ!」

「おっと!」


 呆気なく直撃したように見えたが、焦げて舞うのは、デュロンが囮に投げた彼の上着だった。

 そのまま目くらましとして使うつもりだったのだろうが、リラクタはとっさにその袖を掴み、内部循環の末端漏出で通電して振り回す。


 デュロンが距離を取り直したのを確認した彼女は、没収した上着をヒラリと羽織って勝ち誇った。


「あははは! 服ゲーットっ!」

「あ、やっぱ恥ずかしいんだな……」

「なに言ってるの!? 恥ずかしいに決まってるでしょう!?」

「いや、なんかさっき、開き直った感じになってたから……」

「全裸で開き直ってたら、それはもう単なる変質者なのよ!」


 全裸にコートによって逆に痴漢レベルが上がってしまったような気もするが、気にしないことにしてリラクタは平手で構える。

 それを見たデュロンは警戒を強めたことが表情に出ているが、取り繕うように軽口を叩いてきた。


「いいよもう、やるよそれ。でも動きにくくなるんじゃねーか?」

「いいのよー。ここから最小限の動きで、あなたを倒してみせるんだからー」


 リラクタは意識的に平時のペースでゆるゆる喋りながら、じりじりとデュロンへ距離を詰め、静かに圧をかけていく。


 ラヴァが蹴り技、リョフが突き技ならば、リラは投げ技に自負がある。

 そもそも魔族同士の格闘戦で投げ・極め・絞めがほぼ用いられない大きな理由の一つは、相手の体を不用意に一秒以上掴み続けるとどんな魔術や能力で逆転されるかわからないからだが……それを防ぐためにリラクタは、触れた端から一瞬で投げる方法を持っているのだ。


 といっても特別な術理を体得しているわけではない。内部循環の末端漏出……リラの場合は少量の通電により、手先足先で触れた相手の体を、数分の一秒間だけ麻痺させることができる。

 これは相手を投げる前の崩しの役割を果たすのと同時に、受け身を取らせない防御不能の投げを実現する。


「おわ!」


 事実、いかに頑丈なデュロンといえど、スタンをかけて棒立ちの木偶でくにしてしまえば、呆気ないほどスルリと投げを打つことができた。


 なすすべなく五体から脱力し、後頭部で石畳を陥没させた彼を、リラは見下ろし……だが即座に手を放して距離を取る。


「ふん!」


 その判断は正解だった。普通なら頭蓋が砕けていてもおかしくない危険な落ち方をさせられたというのに、デュロンは間髪入れず腹筋だけで腰を浮かせて、喉を狙った両脚蹴りを放ってきたのだ。


 外れたと知ると下ろした足で地面を蹴って後転し、なにごとをなかったように立って構える人狼。

 口では悔やんでみせるが、顔は悪戯っぽく笑っているのが憎らしい。


「チッ……今のは入ったと思ったんだけどな」


 こっちの台詞だ、とリラはため息を吐いた。

 人間時代なら舗装された路上での投げは殺人技とまで呼ばれたらしいが……残念ながら、相手の筋骨強度がそこらの建材を上回っている場合は、壁や地面の方が壊れてしまうのだ。

 しかし、リラの活路は投げにしかない。彼女は構わず足を運び、平手を繰り出した。


 デュロンもダメージがゼロというわけではないので、笑みを消して精確に回避してくる。

 だがそれもいつまで続くだろうか?


 リラがデュロンをじきに捉えるという意味ではない。有効打になりえない必殺技は、単なる隙だらけの大振りに成り下がりうる。普通に投げ殺そうとしたところで、デュロンが捨て身で食い下がってきたら危ういため、むしろ次の攻撃がリラ自身の首を絞めかねない。


 なら普通にやらなければいい。

 リラはデュロンに足払いをかけ、先ほどと同じく後方へと転ばせる。


 だが今度の彼は、みっちり筋肉の詰まった頭部の心配をする必要はない。

 それとなく位置を誘導していたため、デュロンにそれと知られず背水の陣を強いていたからだ。


「ゴボッ!!?」


 さすがに背中から河へ落とされると、半ばパニック状態に陥ったようで、デュロンは容易に溺れて、昨夜の雨で増水していた流れに囚われていく。

 だが溺死などさせる気はない。上着を払い、デュロンを追って飛び込んだリラは、もがく彼に自然な動きで組みついた。


 デュロンは判断力を失っている様子で、なすすべなくされるがままとなるが、とっさに片手で喉を守った。

 いじらしい限りだが、心配しなくてもここまで来て、珠だけ砕いて脱落させたりはしない。

 きっちりと実力で屈服させてから、優しく水揚げしてやる!


「「……!」」


 二人で一体となって急流に身を任せながら、リラクタは両脚でデュロンの胴部をがっちりホールドして、彼の頰を両手で挟み、もはや寸毫の躊躇いもなく、彼の唇に自分のそれを押し当てると、肺に溜めていた空気をいっぺんに吹き込んだ。


「!!?」


 至近で見開かれる灰色の眼は、思いのほか円らで愛らしい。

 しかし今さらそんなことに気づいてしまっても、すでに体内へ直接ブチ込んでいる雷霆息吹エレクトブレスの暴威をなくしてあげられるわけではない!


 痺れて力を失うのをいいことに、リラクタはデュロンの舌を口腔内で弄んだ。

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