第179話 ついに始まる変態大決戦

 もはやどこへ行ってもそう大きな違いはないため、デュロンとリュージュはミレインの街をそぞろ歩いた。

 自然と足が向いたのは中心街だ。すごく見覚えがあるなと思ったら、つい先日ギデオンと戦ったばかりの、アパートが立ち並ぶ住宅街の一角に差し掛かっている。


 今日はあの夕方と違い朝から晴れているが、昨夜は一晩中雨が降っていたため、幅広の河が増水激しく、デュロンの繊細な聴覚が、流れるその音を拾っている。

 そして嗅覚の方も機能していた。リュージュも同様に気づいたようで、デュロンの頰に口を寄せ、冷静に耳打ちしてくる。


「……二手に分かれよう。この場は任せる」


 返事を待たずに、彼女は皮膜の翼を広げ、近くの屋上へと飛翔していった。

 派手に動いたリュージュが狙われれば、逆にそれを目印として敵を炙り出す……というのを考えていたのだが、地上の気配は動かない。


 どうやらこいつの狙いはデュロンのようだ。河がうるさいせいであまり役に立ちそうにない聴覚を、彼は意識から一旦切り捨て、嗅覚のみに集中する。

 結果的にその判断は正しかった。


「!」


 轟音を置き去りにし、稲妻と衝撃が到達する……さらにその前に、迸る害意を察知したデュロンは、地に這うことで回避していた。


 完全に読んでいたわけではない。ただ狙ってくるなら上半身だろうと当たりをつけ、タイミングだけ見極めてなんとか躱したに過ぎない。


 それでも射出された方に向かい、デュロンは自信満々を装って声をかけた。


「わりーな、眼を瞑っててもわかっちまうんだわ。効果時間はもう終わりだろ、大人しく出てこいよ」


 すぐになにもない虚空からリラクタが現れた……のだが、彼女の格好を見たデュロンは硬直するしかない。

 圧倒的全裸である。しかもなぜか、自分から出てきておいて今さら、耳まで真っ赤になって体を隠そうとしている。


「ちょ……ちょっと待って? 違うのよ? お姉さんそういうんじゃないからね? 落ち着いて?」


「あっ、ふーん……そういう……なるほど」


「そういうんじゃないって言ってるでしょう!? これはただ、ほら、タチアナに誘われて、わたしはやりたくなかったんだけど仕方なく!」


「いや、でもよー……普通は誘われてもやんねーって……早く認めた方がいいと思うぜ……?」


「こっち側の住民として定着させようとしないで! いや、もうこっち側って言っちゃってる時点で若干アレなのは自覚あるけど、まだ完全に染まり切ったわけじゃないからね!?」


「そんな、黄泉の食いもん口にしちまったら戻ってこれなくなる神話みてーな……それで言うとアンタ昨夜一晩全裸だったんだろ? だって戦闘服脱ぎ捨ててったもんな?

 いいんだ、もう手遅れなんだ……アンタは冥府の果実を丸齧りしちまったんだよ! もういい加減、諦めて現実を受け入れろよっ!!」


「凪いだ湖面のように静謐な心から沸々と起こる抑制の利いた熱情をもって諭そうとするのやめて!? あともう一つ訊いておきたいんだけど、わたしそんなに一発でわかるくらい臭かった!?」


「あ、そっちは明確に否定しとくわ。雷って落ちた後も独特の臭いがするけど、俺の場合は撃たれる前にも結構ビリッとくるんだわ。

 前兆はそれで感知できたし、雷使いの体には染み付いちまってんだよ。

 つっても、悪臭だっつってんじゃねーぞ。香水と同じで、アンタ自身の体臭と混じって……へへっ……その、少なくとも俺は嫌いじゃねーかな……」


「なんだか爽やかな雰囲気にまとめてるつもりかもしれないけど、あなたの性癖も大概キツイわよ!? ……あっ……もしかして追跡任務を帯びた猟犬よろしく、わたしの戦闘服を……たとえば、股間の部分とか……!?」


「ちっげーよ!? やってねーし、そもそも下半身の方はラヴァに投げてたろうが!? 俺は上半身の担当……ちょっと待って今のナシ」


「上半身担当!? わたしの上半身の残り香を堪能したってわけ!? ケダモノすぎない!?」


「担当も堪能もしてねーっ!! あれはあの後リュージュが寮に持って帰って、洗って干しといてくれたから、良かったらこの後取りに行ってくれ!」


「リューちゃんが!? ちょ、それはそれでなんか別のベクトルで恥ずかしくな……ん? 今、この後って言った?」


 リラクタの顔から萎縮ではなく鎮静によって血の気が引き、理解によって発散する敵意の匂いを、人狼の嗅覚が精確に感知する。

 それを承知の上で、デュロンは放電寸前の雷雲を不用意に撫で回した。


「ああ。今、この場で俺に敗けて脱落した後、のんびり回収に歩いてくれ。上着くれーなら貸してやるからよ」

「……紳士的なお気遣いには感謝するけどね、その必要はないわー」


 リラクタの纏う空気が一変する。思考が戦闘用に切り替わり、羞恥が消えた彼女は惜しみなく裸体を晒すが、デュロンの方にも性的興奮を得る余裕などすでになくなっている。

 美貌からは威圧だけが生じ、彼女はただ死へ蠱惑する、艶然とした笑みを浮かべた。


「確かに感知能力の高いあなたに対し、潜伏戦法を選んだのは間違い……ではないにしても、我ながら運が悪かったわね。

 だけど残念。昨日わずかながら協調したことで、拾った材料を吟味し、あなたの対策は個別に考えてあるのよー。

 今からでも遅くはないわ、あなたも考えてみたらどう? そのちょっと脂肪率の低そうな脳味噌で、わたしがこの場所で待ち伏せしていた意味をね」


 言われるまでもなく、デュロンにそういう知性はない。

 だから仕掛けられたものを受け切り、対応してみせる。

 今までもこれからも、そうやって勝ち抜いていくのだ。




 一方その頃、とあるアパートの屋上に着地していたリュージュは、人狼に比べてしまうとさほど敏感ではない嗅覚を、一心不乱に行使していた。


「……いるな」


 それでも標的の所在を違えることはない。死角の一つへ向かい、彼女は確信をもって語りかけていた。


「姿を見せるなら今のうちだぞ。それともわたしの緑色をした子供たちにまさぐられ這い回られた挙げ句に、力尽くで引きずり出してほしいのか?」


 脅しに屈したわけでもないだろうが……降り注ぐ朝の陽射しを引き裂いて、まるでたった今大気から産み落とされたかのごとく、灰白色の髪に琥珀色の髪の、息を呑むほど美しい少女が顕現していた。


 タチアナは己の潜伏能力には絶対の自信を持っていたようで、憂いを帯びて伏せる眼にかかる前髪を銀細工のように繊細な手指で払い、秀麗な眉をわずかに寄せて、天然もののウィスパーボイスで問う。


「困ったな……ふぅ……どうしてわかったの?」


 キリッ、とここ一番の凛々しい表情を作り、リュージュは不変の真理を喝破した。


「逆に訊くが……わたしが故郷で何度も嗅いだ女の匂いを、二年そこそこで忘れると思うか?」


 キリリッ、と負けずに端正な顔立ちを引き締め、タチアナはクールなため息を吐いてみせる。


「はぁ……認めるよ、リュージュ……本当はずっと前から、わかっていたもの……あなたがとっくに、こちら側のステージに到達してるってことはね」


 これは複数の意味でハイレベルな戦いになるな、とリュージュは強烈な予感に身を震わせた。

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