ロウル・ロウン 2日目

第178話 メリットメリットうるせぇなぁ、意識高ぇ喋り方ぶっこいてんじゃねぇぞ!?

 あれは何年前のことだったろう。


 ラグロウル族の竜人戦士は、基本的に格闘訓練を毎日欠かさない。

 その日もラヴァは、当時一度も勝てなかった相手に転がされ、悔しさに歯を食い縛りつつも、親愛と憧憬を微笑と言葉に乗せたものだ。


「なぁ、まだだいぶ先の話になっちまうけどよ……あたしらの世代の〈ロウル・ロウン〉で、あたしと協調してくれねぇか? あたしとお前で組んだらさ、相性良さそうだろ?」


 相手は応えて微笑を浮かべ……ただし拳を握って組手の続行を示しつつ、端的にこう言った。


「いいとも。お前が勝ったらな」



 ……あの後、結局勝てたのだったか……昔の夢を見ていた現在のラヴァは、途中で起きてしまったからというのもあってか、もう思い出すことはできなかった。


 醒めてしまった追憶と同じように、あの日見ていた未来もまた泡沫のように溶け消えてしまっている。

 寝起きで粘ついた口からは、湿った舌打ちが漏れるばかりだ。


「チッ……元はといえばアイツが……クソ!」


 ベッド代わりに使っていた木箱を蹴飛ばし、下りていた前髪を、いつものように搔き上げる。

 肺に炎が宿り、体が自然と戦闘モードへ移行していくことを、彼女は自覚していた。


「あー、ダメだ……優勝はまぁいずれにせよ目指すとして、やっぱリュージュは一回ブッ飛ばしてやんなきゃ気が済まねぇぜ……改めて行動目標を明確にしてくれたことに、感謝しなきゃならねぇな」


 戦闘服から伸びる腕や脚を一回ずつ叩いて気合を入れた彼女は、勢い十分に隠れ家から飛び出していった。




 同じ頃、寮で朝を迎えたリュージュは、デュロンとともに朝食を摂っていた。

 最終戦に向けた仕込みを初めとし、互いの手の内に不明瞭な部分はあるが、その程度で信頼関係が揺らぎはしない。


 しかし今日に関しては行動方針を話し合おうにも、もはや当たった相手を倒していくしかない段階なので、リュージュはとにかくデュロンへ、他の六人について知っていることを洗いざらい喋っていく。


 そこへ、すでに朝食を終えたソネシエが表の郵便受けから戻ってきて、テーブルに新聞を置き、リュージュに封書を差し出してきた。


「あなたに手紙が来ている」

「うむ、ありがとう」


 ソネシエはこくりと頷いて席に戻り、「むむっ」と唸りながら新聞を読む始めた。

 このちび吸血鬼、夜は早々におねむになるが朝はしゃっきり起きられるという、闇の者に相応しからざる性質を持っている。


 そんな朝型吸血鬼の後ろを、わりと宵っ張りだが起き抜けは低血圧でぼんやりするという、夜型不死鳥人がうだうだ言いながら通っていく。


「うう……あさはつらいよ、ネモネモちゃん」

「ヒメキア、しっかりするの! というかあなたとソネシエ、属性的に逆ではないの!?」

「わたしもそう思う。ヒメキア、頑張って」

「あたしがんばるよ、ソネシエちゃん!!」


 応援されて空元気を出しているヒメキアだが、体質はそれぞれなので、無理しない方がいいとリュージュは思う。

 デュロンも同じ考えのようで、ヒメキアを勝手に捕獲して隣に座らせている。


「ネモネモ、ちょっとヒメキアを借りるぜ」

「許可するの! なんとか元気にしてあげてほしいの!」

「つーわけで……なんかねーっすか、姐さん」


 丸投げされるのも頼りにされている証拠だ、リュージュは微笑みながらポケットを探る。

 まだ脳が半分寝ていると思しきひよこちゃんに手を差し出すと、あむあむ言いながら食べてくれた。


「むぐぐ……リュージュさん、これなに? おいしいよ」

「ああ、それは元気の出る種である」

「いちおう訊いとくが、やべーおくすり系じゃねーよな?」

「もちろん違うとも。栄養が豊富で、徐々に体が温かくなるくらいの効果のものだよ。今日も暑いし、水も多めに飲むといいだろう」

「リュージュさんありがとー。……あっ、ソネシエちゃん、水をくれるの?」

「あげる」

「ありがとー。ねーソネシエちゃん、新聞によると今日の世界はどう?」

「めちゃくちゃ雑にスケールでけー質問だな……」


 紙面を確認し終わったソネシエは、端を揃えて丁寧に畳み、極めて簡単に総括した。


「今日もわたしたちの世界は、おおむね正常に運営されている模様。もっとも、明日はわからない……わたしたちの未来は、いつでも既定されていない」

「こっちもこっちで持って回った言い草をするものであるな……」

「マクロでオフィシャルな大世界は新聞に預けて、リュージュはミクロでプライベートな小世界を解放するとよい。この場ではそれが求められている」

「お前今日どうした、朝からすげー意識たけー感じの喋り方になってんぞ」


 もしかしたら自分が参加していた喧嘩祭りの結末が気になり、ソネシエなりにハイになっているのかもしれない。

 求めに応じて、リュージュは封書の宛名を確認した。


「うむ、セルゲイからだな。なんとも数奇なタイミングではある」

「セルゲイ……? あー、例の色男か」

「おいおい、タピオラ姉妹の放言を真に受けているわけではないだろうな? あいつら、異性や色恋に関しては平気で話をでっち上げるぞ」


 実際に手紙を広げて三人にも見せてやるが、生真面目な筆致で書かれているのはいつも通り、地道な近況報告の域を出ない。

 ただ、〈ロウル・ロウン〉のことには言及してあり、労いの言葉がやや重めに記されていた。

 相変わらず、あのスーパー自由なタチアナの兄とは思えない律儀さである。


 ヒメキアとソネシエが文面を詳しく検めたい様子なので、手紙は二人の好きにさせて、リュージュとデュロンは欠場している彼に思いを馳せてみる。


「別に消息が確認されてる奴らは絶対全員出なきゃなんねーってわけでもねーんだな」

「今回、ミレイン開催という裏技が実現したのも、たまたまアクエリカが承諾したからでしかないからな。去る者は追わぬが、可能なら参加しろよくらいのノリだ」

「セルゲイくん、実力的にはどうなんだ?」

「中堅以上なのは間違いない。あいつは妹と違って正統派の風使いだから、組む相手によって戦い方が千変万化し、さぞかし厄介な展開を見せてくれたであろう」

「なら、そいつがいないだけまだマシってわけだ。……よし、そろそろ出るか?」

「ああ。ではヒメキア、ソネシエ、行ってくるぞ」


 ポンと頭に手を置いて声をかけると、二人はリュージュをじっと見上げて返事をしてきた。


「うん! 二人とも、頑張ってね!」

「手紙は、あなたの寝室へしまっておく」


 ソネシエのさりげない言葉に、リュージュは少し戸惑ったが、デュロンの直言で思い直す。


「どうした? 終わってから部屋でゆっくり返事を書けばいいだろ?」

「ん……そうだな。頼む、ソネシエ」

「……了解した」


 訝しげなソネシエの視線が尾を引くが、それをいなすようにリュージュは席を立つ。

 玄関先まで見送りに来てくれる二人へ振り返した手で、彼女は固く拳を握り、相棒のそれと打ち合わせる。


 もどかしい感傷の時間は終わりにしよう。どうせ今日中にすべてが決まる。

 黄金色のルピナスをこの眼で見るために、欲しいものはこの手で摑み取ってみせよう。




 その頃、ラヴァは最終日における最初の会敵を果たしていたが、打倒に燃えるべきか、うんざりして萎えるべきか、自分の心を決めかねていた。

 なのでとりあえずシンプルに煽ってみる。


「おぉ出やがったな、ウンコクソ眼鏡。マジで似合ってねぇから早よ外せや」

「汚い言葉遣いですねぇ、君のお姉さんやご両親が聞いたらなんとおっしゃるか……」

「うるっせぇんだわ、学名・ウンコクソクソウンコクソブタムシが。てめぇ、あたしに説教垂れられる立場にあると思ってんのか?

 そうだ、てめぇまだドヌとリョフを虐めた報いを受けてねぇよな? そのクソ寒ぃ冷めたハートから、ちょっと多めに血ぃ流させて燃やしてやるよ!!」


 部分竜化変貌で鉤爪を生成し、早くも炎の息吹をチロチロ漏らすラヴァの強圧的な剣幕にも押されず、チャールドは諌めてくるが、そのヘラヘラ笑いがますますラヴァの神経を逆撫でしてくる。


「まぁ、待ちなさいって。どうでしょう? ここは短絡的にやり合うのではなく、僕と協調してみませんか?」

「はぁ!? ……いや、いいぜ? てめぇのそのスカした顔面ブッ飛ばす快感を上回るメリットをよ、今ここで提示できたらの話だけどな!」

「なら良かった。僕と君の利害は、意外と一致していると思うんですよ」


 交渉可能だと判断したようで、チャールドは指で眼鏡を押し上げながら棒立ちで話し始める一方、ラヴァはまだ戦闘態勢を解かず、疑念に満ちた眼光を送り続ける。


「君はデュロンくんには興味がなく、リュージュと戦いたい。僕と君が組めば、彼らと当たったとき、相手を譲り合うという美徳を発揮できると思わないかな?」

「悪くねぇ提案だが、惜しいな。結局あたしが優勝するには、てめぇも狼野郎も倒さなきゃならねぇんだから、多少順序を入れ替えたところで、さほど差があるわけでもねぇんだよ」

「そこなんだけどね。僕の方ははっきり言ってしまうと、優勝までを積極的に狙う理由はないんです。なのでメリットさえ提示してもらえれば、誰かの目的を共有しても構わないわけです」


 なにを言いたいのかははっきりわかったが、苦み走った顔で口頭の確認を行うラヴァ。


「……お前にとってのメリットってのはなんだ?」

「僕が落ちても君が残れば、目的は達成される……良く言えばある種の分身というか運命共同体、悪く言えば保険を作成できること。そしてこれは君にも同じことが言えるはずですね」

「間違ってねぇが、あたしはどうやってお前を信用すればいい?」


 あ、とラヴァはある種の安堵すら得た。

 やっとクソ鼈甲眼鏡を外し、気持ちの悪い丁寧な言葉遣いをやめて、昔の彼のように本音で喋ってくれるからだ。


「……逆に訊くが、僕が君を騙すメリットってなんだい? そんなことをしてなにか面白いか?

 ことここに至り、僕の唯一の望みがなにか、聡い君ならわかっているはずだ。

 それを叶えるために、僕がリュージュたちに対して、義理立てとか引け目とか遠慮とか、そういうのを考えていられるほど、この期に及んでまだ心に余裕があるように見えるかな?」


 チャールドの濁りきった琥珀色の眼は、どんな美辞麗句よりも抜群の雄弁を誇っていた。

 ラヴァの胸の底に悲しみと哀れみが灯りかけたが、あえて彼女はそれを笑い飛ばし、汚れた手を強く結んだ。


「オーケー、クズ野郎。てめぇを倒すのは、最後の楽しみに取っといてやる」

「二人して勝ち残るというのがもちろん、ベストの形ではあるからね。そして、心配ご無用。僕の方もいざ君と戦うとなったら、格別躊躇う要素はない」

「上等だぜ。利用できるだけ利用したら、残りカスは焼き捨ててやらぁ。てめぇの可食部が多いことを祈るばかりだね」

「やってみろ。君が勝手にてられて、死んでしまわなければの話だけどね」


 チャールドの不快な露悪的態度が、なぜだか今のラヴァには、いくぶん心地良く思えた。

 強敵との一時的な共闘というのは、このくらいの温度と距離感でいいのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る