第177話 ない。ゼロ……無だ

 ヒメキアについて行った泣き虫ちゃん三人衆は、夕食の際には配膳で彼女を大いに手伝った。

 ヒメキアと、彼女による料理の増量提案を承諾したネモネモが、ラグロウル族の子たちの食べっぷりをニコニコ見守っている。


「みんなー、いっぱい食べてねー!」

「ヒメキア、すごいの! 竜の子たちがたくさん集まってくるという予想を当てたこともだけど、みんなとすぐ友達になっているのが、あなたの一番さすがなところなの!」

「へへ……ありがとーネモネモちゃん! じゃあ、あたしたちも食べよっか?」

「そうするの! やー、ここ混ぜてなのー」


 昨夜タピオラ姉妹が好き放題やったこともあり、ラグロウル族の敗退者たちは、寮に住んでいるミレイン市の祓魔官エクソシストたちに歓迎され、仲良く席を囲んで食卓を共にしている。


 ヒメキア、ネモネモ、リョフメト、ニェーニェ、ドヌキヴ、そしてフミネまでが揃って隣のテーブルに就いてしまったので、そっちを見るソネシエが無表情のまま、ちょっとヤバめの嫉妬オーラを放っている。

 食事中に感情酔いを起こすのはさすがにまずいので、誰かこのおちびの気を逸らしてくれないか……というデュロンの願いはすぐに叶った。


 オノリーヌとイリャヒ、そして知らん猪鬼オークのおっさんが連れ立って入ってきたのだ。

 位置取り的に真っ先に気づいたリョフメトが頬張っていた肉料理を吹き出し、お行儀悪くフォークで指して叫んだ。


「あーっ、あたしを敗退させた人! それと、スケベなおじさんじゃん! なんでいるの!? なんでいるの!?」

「その節はどうも。なんでもなにも、私ここに住んでますので、悪しからず」

「あ、俺っちも、その節はどうもっす、一番小さい雪の姐御……」

「一番小さいとか言わなくていいよ!? なに!? ついでに三人の中で一番最初に落ちたねって言いたいの!? 泣くよ!? あたし泣くよ!?」

「あー、ちょっとナイーブになっている様子なのだね。よしよし、いい子いい子」

「わあ!? 初めて会ったお姉さんに頭撫でられちゃった! むふん……悪い気はしない!!」


 姉貴の包容力もなかなかのものだな、とデュロンが感心しながら見ていると、一方何食わぬ顔で席に就いたイリャヒの脚を、ソネシエがわざわざ立って回り込んでまで蹴り蹴りし始めている。


「兄さんがリョフメトを負かしたせいで、わたしもブレントを仕留め損ねた」

「わはは、それは悪かったですね、マイシスタ……痛っ!? ちょ、折れる折れる! いやもう折れてますって! 治りますけども! すぐ再生しますけど、暴力は良くな痛い!」


 食堂のテーブルは基本的に六人掛けなのだが、今夜はいつもヒメキアが座る位置に、デュロンにとっては知らん猪鬼のおっさんが、居心地悪そうに縮こまり納まって、落ち着きなく周囲を見回している。


「イリャヒくん、このテーブル、なんか圧が強くねえか……? 俺、他所移っていい?」

「ダメですよ、ダメ。あなたどうせ眼を離したら、ラグロウルの女の子たちに近づきたがるでしょう?」

「なんだよイリャヒ、猪鬼への偏見は良くねーぞ。淫魔インキュバスのヴィクターだって、いやらしいけど、やらしくはなかったじゃねーか」

「いやいや弟よ、このドエログという名の御仁は、本当にドエロなのだよ。なぜなら……」

「オノリーヌ、やめなさい。その先を口にすると、彼が死にます」

「おいおい、物騒な話をしやがるな。いったいなんだってんだ?」

他者事ひとごとみたいに言ってますけど、デュロン、彼を殺すのはあなたですよ?」

「俺が!? 殺すの!? なんで!? ……あ、ヤベ、理解しちゃったかも」

「ウワーッ!!? イリャヒくん、オノリーヌの姐御、助けて!? 彼、怖いよ!? なんか一発で火が点いて、急に化物オーラ出してるよ!?」

「ああっ!? 誰がテメーの義弟だと!? そういう狼藉を働いたっていいのかこのクソ猪の全身性欲で確定野郎が!?」

「言ってねえ、一言も言ってねえっす! ちょっと君のお姉さんをお茶に誘おうとしてボコられただけなんす! ていうか君、さっき自分で言ったこと忘れてるよね!? 性欲以外もあるよ!?」


 デュロンがシスコン爆発を起こして記憶と理性が消滅しかけたところで、頼れる相棒が肩を叩いてきたので、なんとか鎮静化することができた。


「まあ落ち着け。食事は十分に摂ったな? 明日で決着がつくはずだ、訓練場で最後の詰めを行なっておこうではないか」

「……だな。おいおっさん、次のチャンスはねーかんな!」

「ハイイッ、すいやせんしたっ!? もう不用意に女性に襲いかかったりしねえでやんすっ!!」


 背筋を伸ばして宣誓するおっさんにまだ眼光を飛ばすデュロンを、リュージュが引きずっていく。

 食堂の真ん中を通っていくと、脇のテーブルで椅子を引く音がし、知った声がかけられた。


「調整なら、俺も付き合おう」

「おー、頼むぜギデオン」


 赤帽妖精レッドキャップの隣には目隠しをした魔眼の吸血鬼がいて、口元で笑いかけてくる。


「わたしも見に行っていいかな? ギデオンくんのカッコいいとこ、見たいんだ!」

「おー、いいぞ、パルテノイ。でもお前ら、イチャイチャし始めたら帰らせるかんな」

「心外だな。俺たちがいつイチャイチャしたというんだ?」

「だよねえ。よしんばするとしても、時と場所を弁えるよ」

「え? お前らもしかして、なかったことにしようとしてる? 俺らの眠れなかった夜を幻にしようとしてる? 心臓に鉄製の毛でも生えてんの?」

「なにを言ってるのかさっぱりわからんな。ほら、さっさと移動するぞ」


 非常に腑に落ちなかったが、デュロンは淫行前科妖精の先導に従った。




 地下訓練場でしばらく汗を流したリュージュは、「お疲れ、先に寝るぞ。あー働きたくないなー」といつもの調子で言い置いて去った。

 デュロンは普通に流して見送ったのだが、ギデオンに指摘される。


「寝るというのは、寝室に入るという意味だろう。リュージュにとって一番重要な調整は、手持ちの植物の選択と、戦法の構築と考えていい。そして今、ここには誰がいない?」


 ギデオンが指差した先には、ニコニコしているパルテノイとヒメキア、ボーッとしているイリャヒとソネシエがいる。

 そしてオノリーヌの姿がないのを見るに、彼女はリュージュに付き添っているのだろう。


 相変わらず「部外者や敗退者による助力」の例から漏れるべく「攻撃行動や情報交換しかしていない」で押し通しているわけだが、赤蜥蜴に目溢しされている部分も大きいはずだ。

 一通り近接格闘の組手を終えた後、ギデオンはデュロンの仕上がりに満足した様子で頷く。


「よし、こんなところか。あとは決定戦への備えに時間を割こう」

「あー、そうか……最後、リュージュに勝たなきゃならねーんだった」


 というか、半分はそのために彼女がこの場から離れたことに、デュロンは今気づいた。

 ここにいる四人もほとんど口出ししてこないところを見るに、いちおう中立を保っているのだろう。

 ただ一人、明確にデュロン側についていてくれるらしいギデオンが、丁寧に指南してくれる。


「前提として、お前とリュージュの現時点での実力は、ほぼ互角だ。だが確かお前は、アクエリカから優勝を義務づけられているんだったな?」

「ああ。だからリュージュにも絶対勝たなきゃならねーんだ。なんか手はねーか?」

「ある。といっても、特別なものではなく、この前から訓練に取り入れている、これだ」


 そう言って彼が取り出したのは、最近彼がデュロンに使い方をちょくちょく教えてくれている、金属製の指弾だった。

 文字通りの飛び道具だが、デュロンは渋い顔をせざるを得ない。


「それかー……結構練習したけど、まだ全然当たんねーぞ? 力尽くで飛ばすことはできるんだけどな」

「わかっている。この数週間、お前の戦法の幅を広げようとして色々試してきたが……はっきりした。デュロン、お前に武器の才はない。ゼロ……無だ」

「そんな何回も言わなくていいだろ!? わかってるよ、俺が徒手以外全部ダメなのは!」

「まあそう卑屈になるな。それでもお前はなかなか頑張っている。俺の見たところ、すでに静止している的になら、七割くらいは当たる水準にある」

「本当ですか? それなら実用に耐えるのでは?」


 口を挟んできたイリャヒに、しかしギデオンは首を振ってみせる。


「いや。訓練で動いている的に十割当たって、ようやく実戦でまあ使ってもいいかなくらいになるな。このあたりは意識で照準できる魔術とは感覚が異なるかもしれないが……手動で行う投擲や射撃というのは、そういうものだと理解してくれ」

「そもそもリュージュも、デュロンが指弾の練習をしていることは知っているし、今回組み込んでくることも予想されているはず」


 眠そうにしているのに思考は明晰なソネシエの台詞を受け、ギデオンの顔に薄く、しかし確かに獰猛な笑みが浮かぶ。

 今のデュロンにとってこの上なく頼もしい相手と表情から、信じるに足る言葉が発せられた。


「ああ。だが逆に相手へ筒抜けだからこそ、この手は効くんだ。

 依然付け焼き刃ではあるが、もう少しだけ精度を上げてみよう。

 オノリーヌの表現に倣うなら、これで王手チェックといったところか」


 あとはデュロン次第というわけだ。

 こうしてそれぞれが知恵を絞る精励の夜は、静かに更けていった。

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