第166話 苦しうない、近う寄れ


 リュージュは右拳に息を吐きかけつつ、左手を竜化変貌して鉤爪で斬りつける。

 チャールドが右腕に発現した鱗で受けると同時に、開かれたリュージュの右手から蔓性植物が解放され、チャールドの左腕を絞め上げながら肩口へと登っていく。

 その様子をまるで他者事ひとごとのごとく観察しながら、感心したような息を吐くチャールド。


「ほう……自分が奇策を打てば、相手が繰り出す対策も読めなくなる。だからあえて僕から見えている手で勝負してきたか。いいでしょう、付き合いますよ」


 言いつつ、チャールドはリュージュの左手を弾いた右手で自らの懐を探り、アンプルを取り出して蔓草に刺した。

 見る見るうちに萎れ、力を失った植物を、彼は呆気なく打ち捨てる。

 続くリュージュの突きの連打を捌きながら、彼は余裕綽々で設問を発した。


「さて……君もこれと同じ毒を持っているんでしょうが、自滅防止の建策を他ならぬ僕に依頼し、手の内を明かしたのは失敗じゃなかったのかな?」

「ところがこういうこともあろうかと思って、お前すら絞め殺せるように改良してある」


 今度は左手から新たな蔓草を繰り出したリュージュ。チャールドの言い方に倣うなら、レジストポイズン・バージョン2と言ったところか。

 チャールドは素直に全身を囚われつつも、喉だけ守りながら講釈を垂れ続ける。


「リュージュ……君が寄越した植物のサンプルは、僕の手元に残っていたんだ。君の方がどういうふうに品種改良を行ったのかはわからないが……僕のやったことは簡単ですよ。君の植物に、僕の毒への耐性をつけさせる。そしてその上で、その耐性を突破できる毒物を精製する。それがそのまま、君のバージョン2への対策になる」


 次に注入された毒物は、そのものというより反応した抵抗力が強かったのか、結果的に打ち克つことができなかった植物の体を、苛烈なまでにドロドロに溶かしていく。

 しかしリュージュは気にせず吹き矢を放ち、チャールドの制服の胸に着弾した。


「そうか。ならわたしがどうやってバージョン3の植物を生み出したのかわかるか?」


 再三緑の渦へ呑まれるチャールドへ、リュージュは冷静に語りかける。


「ヴェロニカだよ。わたしとお前の間に入ってくれた彼女に頼んで、バージョン2の毒物を技術的かつ擬似的に合成してもらったのだ。お前の手元にバージョン1の植物サンプルが残っていたように、わたしの手元にもバージョン1の毒物が……お前の言うように、まさに今も持っているのでな。それを改良したものを克服した。さあ、これを破壊できるバージョン3の毒物は存在するか? それとも今ここで、即興のカクテルでもオシャレにシェイクしてみせてくれるのか?」


 答えは……いまだチャールドが言葉を発することができる時点で、すでに指し示されていた。


「なるほど、きちんと対策を積んである。、君の勝ちということでよろしい。だけどね、僕がここで敗退してあげられるかというと、そういうわけにもいかないかな」


 今度打破された植物は、先ほどまでとは異なる枯れ方をしていた。

 どちらかというと、日光に当たりすぎたときのやられ方に近い。


 レジストポイズン・バージョン3……つまり、「リュージュの植物を殺す毒物」に対して二段階上の耐性を得た植物を使ったのだが、そこへ特化した結果、チャールドが生成する他の種類の毒物……この場合で言うとコンセプトファイアには、バージョン1にすら抵抗できなかったのだ。


「ぐっ……!」


 改めて強いられた近接格闘の末、自らの植物と同じくコンセプトファイア・バージョン1を食らってしまったリュージュは、それが動物の体だとどういう効果を発揮するのかを、身をもって思い知らされる。


 魔族は、基本的に風邪を引かない。バカだからと言われればまあそうではあるのだが、単純に肉体活性や循環魔力が原因体を自動排斥するため、呪詛に近いレベルの悪辣なものを除けば、彼らはほとんどの既存の疾病を罹患しない。


 なので異常なほどの暑さを感じて大量に発汗し、眩暈を感じるという致命的ではない不調も、気合や根性でどうにかなるものではなく、リュージュの肉体を明確に鈍らせた。


 たとえばラヴァならこの程度の微熱は跳ね除けるだろうし、リョフなら内部循環に若干冷やす効果があるので自力レジストが可能だろう。

 しかしあいにくリュージュの生命息吹バイオブレスには、体の調子を整える緑色の栄養素を自己生成するとか、そういう健康的な機能はついていない。


 氷はともかく、炎への対策ならいちおう別個でできてはいるのだが、相手がチャールドということで耐毒を意識しすぎ、別角度からの痛撃で呆気なく崩れてしまったのだ。

 柔軟性と対応力の欠如。植物使いとしては一番ダサい、あってはならない敗因である。


 もはや立っているのがやっという状態のリュージュにゆっくりと近づきながら、チャールドは毒殺神父としての教養を遺憾なく発揮する。


「鶏が先か、卵が先かという難題があるね。しかし一方で、毒が先か、薬が先か……これは明確だね。毒は常に先手を取る。ヒメキアさんのような例外を除けば、対策・耐性・克服といった後手は、自ずと圧倒的不利を強いられます。当たり前だ、殺される前に癒すことなんかできない。世界の本質が破壊であることを示しているようで、なんだか悲しいとは思いませんか、リュージュ?」


 明らかにまったく別のことを想起しながら言っている様子のチャールドは、眼鏡の奥に本物の悲哀を浮かべながら、しおらしさはそのままに話題を変えた。


「そういう意味では……僕も君の大切なものを破壊してしまったことで、謝らなくてはなりませんね。平穏は、至宝です。〈銀のベナンダンテ〉の件は、本当に申し訳なかった。勝ちを譲るわけにはいかないが、顔面あたりを一発くらい蹴飛ばしてくれても構わないよ」


 朦朧とした意識の中で、リュージュはほくそ笑んでみせた。

 もはや酔っ払っているかのように安定感がなく、構え一つもままならないその状態では、チャールドからは虚勢にしか見えないだろうが、それでいい。


 チャールドが熱毒を食らわせてきているように、リュージュの方も、相手が想定しているのとはまったく異なるアプローチの一手を、すでに用意してある。

 なので油断を誘って近づかせるため、滝のような汗を流し、もはや外部放出一回すら難しいほど荒れた呼吸の中で、リュージュはあえて純然たる本音を吐露した。


「フフ……なにか勘違いしているようだが……わたしは別にお前のことが嫌いではないし……恨んでも憎んでもいない。


 それどころか、感謝しているくらいである……おっと、これは皮肉ではないぞ。


 もしも……もしもわたしが普通の祓魔官エクソシストとして職を得て、あいつらの〈昼〉の顔しか知らなければ……わたしは今のようには、あいつらと親しくなることはできなかったであろう。ヒメキアに至っては、存在すら知らずに取り零していたかもしれないと考えると、心底ゾッとする。


 確かにわたしの平穏は、狭義においては損なわれたかもしれない。ただでさえ仕事は面倒なのに、その上余計な〈夜〉の使命など与えてくれるなという感じだ。


 しかし最高の仲間たちを得たことで、広義においては、むしろ大きく与えられたと言える。だから憐れんでなどくれるな、チャールドよ。わたしは今、とてつもなく幸福なのだから」


 そしてその平穏と幸福を失わないために、今こうして戦っている。

 だから、も少し近う寄れ、名高き毒殺神父。苦しうない、苦しうないぞ。

 ついでにお前も、苦しむことなく一撃で敗退させてやる。


「それを聞いて安心しましたよ。君が脱落したら、ラヴァはずいぶんやる気をなくすでしょうが、僕が優勝した暁には、無難にあの子かリラあたりを若長へと推薦することを約束します。それですべて丸く収まると思わないか?」

「ああ……それは、悪くないな……」


 本当に悪い話ではないのだが、残念ながらこちらの予定では、リュージュとデュロンが勝ち抜くのは既定路線なのだ。

 なのでこんなところで、毒眼鏡ごときを相手に手こずるなどという、暇なことをやっている場合ではない。


 属性の優劣が覆せないなら、正面からやり合うのではなく、別の攻撃手段を用意すればいい。

 そうだ、いい子だ。食虫植物の甘い香りに誘われて、自ら死へ向かうハエのように、そのまま自ら敗北へ飛び込んで来い!

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