第163話 ヴェノム・オブ・ツインフレイム
「……はっ! どこです!? どこなのですっ!?」
ミレイン市内某所。一人の竜人戦士がキョロキョロと辺りを見回している様子を、リラクタは慎重に伺っていた。
ニェーニェという名のその子は、灰水色の髪と道化師のような涙のメイクが特徴の、大人しそうな顔立ちをした小柄な少女である。
感覚自体はさほどでもないが、勘は鋭いタイプなため、タチアナの
相棒らしき姿はない。もっともそれは、タチアナにも同じことが言えるのだが。
ニェーニェが肺に持つ
リラクタはあえてニェーニェの正面に降り立ち、攻撃準備態勢に入ったのだが、どうせ見えまいという無意識の慢心があったのか、相手に一瞬早い反応を許してしまった。
「そこなのですねーっ!?」
あまり確信が持てていない声音とともに、彼女が吐き出した横殴りの酸性雨がリラクタに直撃する。
激痛と衝撃で眩暈が起こったくらいだが、呼吸を漏らすことだけは耐え切った。
なにもないように見えているのは間違いないようで、ニェーニェの視線はリラクタのいる位置に対して、いまだまったく焦点が合っていない。
チャンスは継続中だ。リラクタは
一瞬前まで全身を循環していた虚空息吹が、30秒の制限時間超過を待たず、リラ自身の呼吸によって上書きされ、その効果を失った。
生まれたままの姿が、ニェーニェの円らな瞳により捕捉されてしまう。
しかしそのときにはすでに雷撃が到達し、雨竜の逆鱗は砕かれていた。
「ぐぇ……っ!?」
ニェーニェはとっさに内部循環での防御を試みたようだが、単純に属性の相性が悪く、凌ぎ切れない稲妻が、彼女の喉から胸を伝って、地面へと流れていく。
白眼を剥いて舌を垂らし、痙攣したニェーニェが仰向けに倒れそうになったところを、すでに背後へ回り込んでいたタチアナが、
「はぁ……さっそく一人狩れたね、リラ……わたしたちの、初めての共同作業……」
「それは結構だけども、わたし上に戻っていい? あなたと違って……」
みなまで言うより早く、気絶から覚醒したニェーニェは、自分を支えている女と自分を撃ち抜いた女が、どちらも全裸であることを認識して慄いた。
「り、リラ……!? ターニャちゃんはいつものこととしても、なんであなたまで裸です……!?」
「ちょ、ちょっと待って? 違うのよニェーニェ? 話を聞いて?」
「うわああああん、ド変態痴女に負けたのです! 里に帰ったら、リラママに言いつけてやるです!」
「ギャアッ!? お願い、それだけは勘弁して!? ニェーニェちゃん!?」
再生限界に至っていないようなのは良かったが、ニェーニェは珠ごと破損したチョーカーの残骸を放り出すと、一目散に逃げていった。
ヤバい、リラのママは怖いのだ。マジ説教は食らいたくない。
「っていうかタチアナ、見てないで止めてくれれば良かったのに!?」
「はぁ……敗退者に対する干渉、良くない……追い打ちと
「だったらこのゆるゆるにニヤケた顔はなんなのかしら、んんーっ!?」
「いひゃい、いひゃい……ひゅう……リヒャ、ほーひん、あんほー……」
ひとまずタチアナを建物の陰に連れ込み、もちもちのほっぺをぐにぐにする罰を執行していると、足元から完全に悟りを開いたトーンの声が響いてきたので、リラクタは思わずビクッとなった。
『リラ……お前、いつの間にそっち側へ……お前はターニャの面倒を見てくれる子だと思っていたんだが、どうやら扉を開いてしまったようだな』
「ヴァルティユさん、誤解よ!? わたしはただ、この子と協調してるだけで!」
『どうでもいいが、この角度だと全部丸見えだから、早くその綺麗な尻を仕舞えよ、リラ』
「うう、口説かれた……わ、わたしだってですね、好きで脱いでるわけじゃ……」
「はぁ……まったくその気がないなら、頼まれたって脱ぐわけがない……つまり」
「つまり、なに!? 珠割るわよ!?」
二人がイチャイチャ絡んでいるのを見て、ヴァルティユは諦めた感じのフラットな口調で通達してきたが、諦めないでほしい。
『ところで、業務連絡だ。お前たち、仲が良いのは結構だが、互いの体を見てみろ。そろそろ出てくる頃合いだな』
言われて、リラクタは気づいた。ぽかんと口を開けて見上げてくるタチアナのかわいい顔に、ところどころ藍色の痣が浮かび始めたのだ。リラ自身も同様で、二人とも全身が冒されつつあった。
「嘘、なにこれ!? 全裸だから!? 全裸がそんなに悪いの!?」
「んん……どうだろ……ヴァルティユさん、これの発動条件は……?」
「そんなの訊いて答えてくれる……?」
『相棒関係、または協調関係にある……つまり互いに敵意を持っていない状態の参加者同士が、互いに二メートル以内に近づくと発症するが、離れさえすれば治まるぞ』
「教えてくれるんだ!? てか、ヤバ……」
「ふぅ……了解……!」
「ひゃっ!?」
タチアナは急にキリッとした顔になったかと思うと、リラの両胸を乱暴に鷲掴みにし、ぐいっと押して突き飛ばして、一つ奥の物陰へ遠ざけた。
絶対わざと触ったでしょ!? というのはこの際後にして、彼女はすでにほぼ消えつつある痣について追及した。
「うわ……この色、露骨すぎない? 絶対チャールドの毒でしょ、キモ……」
「はぁ……リラ、言い過ぎ……これも戦術の一環に過ぎないはずだよ……」
『その通り。この毒の名は「ヴェノム・オブ・ツインフレイム」というそうでな。具体的な症状については詳しく聞いていないが、発症した状態で放置する……つまり離れないでいると、やがて行動不能になることだけは確かだ』
いきなりの情報開示にもかかわらず、タチアナは冷静に分析していて偉い。
「……ヴァルティユさんを通じて条件を明かしてきていることからも、チャールドがわたしたちをこれで殺すつもりじゃなく、あくまで抑止力として従わせようとしてることがわかる。たぶんこれで誰かが死にでもしたら、『そんなつまらない展開にするつもりはなかった』とか言うはず」
「ありそうね。でもそんなの、いつの間に仕込まれたのかしら?」
「ポイズンじゃなくて、ヴェノム……ということは刺すか、噛まれた……使い魔、かな……」
「嘘……? 痛みなんてなかったわよ?」
「リラ……かつての人間たちをもっとも多く殺した生き物って、なーんだ……?」
「えっ? それは、狼とか熊とか……あ、今、毒の話をしてるんだっけ。蛇……蜂……蠍!」
「はぁ……リラ、意外とおバカちゃんで、そういうところがかわいい……好き……」
「う、うるさいわね……あ、そうか、蚊ね!?」
「せい、かい……」
なるほど、それなら視覚的に透明化する能力を常用しているタチアナまでが、簡単に餌食になっていることに合点がいく。
蚊は熱や呼気、匂いなどによって獲物を感知するからだ。
そして残念ながら赤い蜥蜴さんは蚊を退治してはくれないようで、腕を組んで頷くばかりだった。
『うむ。ただし30分ほど経てば自然に体から消えていくそうな。だから、それまでは連携を諦めて、一人で立ち回れという主旨だな』
「ていうかヴァルティユさん、なんでそんな掻き回されるようなのを容認したの?」
『それはお前、こういうイレギュラータイムがある方が盛り上がるだろ?』
そういえばこういう民族なのを自分たちで忘れていた。リラは即座に頭を切り替える。
「それなら仕方ないわね。タチアナから虚空息吹を供給する数秒間の密着すら危険なようだから、現状同行する意味はない。いったんバラけましょ」
「はぁ……わたしとのキスと野外露出の大義名分を取り上げられて、リラ、寂しそう」
「お黙り。さあターニャちゃん、わたしの戦闘服をどこに隠したか教えなさいな」
「えっ?」
「えっ?」
「もう要らないかと思って、捨てた……」
完全に動きを止めた世界の中で、タチアナはゆっくりと悪戯めいた笑みを浮かべて言った。
「はぁ……う、そ……♫」
「……」
「!?」
しかし、無言で怒髪天を突くリラの形相を見て、タチアナの美貌が真っ青になった。
「ご、ごめんなさい……! リラ、反応が面白いから、つい出来心で……!」
「どーこーにーかーくーしーたーのー?」
「ひ、ひゃい……3番目の煙突の陰に隠しました、ごめんなしゃい……」
「まったく……これも嘘だったら、指一本で吊り上げるわよ」
「すみませんでしたマジで勘弁してくださいリラの怒った顔ほんと怖いですわたし死んじゃう」
周囲に目を配りながら指定の場所まで飛んでいくと、ちゃんとあった。
数十分ぶりの戦闘服の感触に安堵を覚え、地上へ戻ってきたリラの背中を、甘え声が追う。
「り、リラぁ……ツインフレイムの時間が終わったら、戻ってきてくれる……?」
「……」
「わたしたち、相棒じゃないけど、親友だよね? ねっ? り、リラ? ごめんね……?」
やがて根負けしたリラはため息を吐き、微笑みながら振り向いた。
「当然でしょー。それまで、ボロ出して負けてちゃダメだからね?」
「ま、ママ……」
「誰がママ!?」
不安そうに見送るタチアナの様子が気がかりだったが、脱落のしにくさで言うと彼女一人の方が上のはずなので、リラクタは心を鬼にして踵を返し、当てもなく街を歩き始めた。
どうやらここから30分は、誰と当たっても恨みっこなし、シングルマッチの時間となるらしい。
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