第160話 訳あってここだけデスマッチ


 灰肉色の髪を中途半端なオールバックに撫でつけ、いかにも世を拗ねていますと言いたげな悲壮ヅラが辛気臭いこの男は、名をユアヒム・アイゼアーズ、ミレインに居ながらにしてブレントの耳にも入ってきた通称を〈ラグロウルの汚点〉という。


 こいつの存在をないことにしている子も多いので、おそらくそれぞれの相棒バディたちには、こいつの情報はあまり出回っていない。というかブレント自身もそうであり、ひとまず相手に相応しい挨拶を口にした。


「おやおや、知った顔だなぁ。といっても記憶から消したいくらいなんですが。君ごときが踏み荒らしてはいけない領域が存在すること……いや、それ以前にまず他者ひとに迷惑をかけてはいけませんと、その齢になってまだいちいち言われなければわからないんでしょうかね?」

「うわああ!? 差別だ、迫害だ! わかってるぞ、俺は体良く故郷から追放されたんだ! 俺だって、バカじゃないんだ! こうなったらもう、この街で好き勝手生きてく!!」

「やめてください迷惑です、せっかくここはいい街なのに、君が住むと臭くなる」


 最初から会話が成立しないのがすごい。この被害妄想の化身をどう扱えばいいのだろうか。

 一方、イリャヒは喋るゴミ袋を見るのは初めてなようで、不思議そうな顔をして尋ねてくる。


「なんですか、この……ちょっとだけ変わった感性の方は?」

「か、変わってるだと!? この俺がか!? 違うよ眼帯くん、変わってるのは君の方なんだ! だって俺が世界の中心なんだから!」

「やかましい、お前に喋っていない。この、自分が官軍だと錯覚しているド賊軍が。お前のことなど誰も知らん、むしろこれからも市民の眼に映るな」

「ヒャアアッ!? 怖い、チャールドがキレた!」


 本当に鬱陶しい。大手を振って歩いているのを見ると殺したくなるが、かと言って隅で縮こまっていても気色悪いものは気色悪い。


「ねーユアくん、この眼鏡のおっさん誰?」

「眼帯の奴もヘラヘラしてて超キモいんですけど」


 認知の歪みを極めていて言い訳以外喋れないゴミ袋の代わりに、ゴミ袋にたかっている獣人の女たちが反駁してきた。

 ユアヒムは称賛以外の言葉をかけられたのが気に食わなかったようで、ピーピー泣きながら喋ってきて死んでほしい。


「い、いいんだ、ぐすん……俺が悪いんだ。ずびびっ……俺が無能で、落ちこぼれだから……」

「ユアくんは悪くないって! 顔はかっこいいし! それに、めちゃくちゃ強いんでしょ?」

「赤い蜥蜴さんに訊いたら、ラグロウル族でも上位の戦士だって言ってたし!」


 普段褒められ慣れていないカス虫くんは、簡単に鼻の下を伸ばしてペラペラ喋っている。


「ま、まあね! でも俺は目立ちたくないから……だから、実力を隠さないと……」

「さすが!」「知らなかった!」「すごい!」「センスある!」「そうなんだ!」


 ブレントが若干八つ当たり気味にヴァルティユの使い魔を睨みつけると、蜥蜴は恣意的な情報の切り取りを恥じることなく、腹の立つ仕草で肩をすくめた。


 なので仕方なく、ブレントもやんわり事実だけを切り取って使うことにした。


「うん、その通り。確かに彼の黴菌息吹ファンガスブレスは、かなり侮れない殺傷能力を持ってますよ」

「ほーらー、眼鏡のおっさんも認め……えっ!? 今、なんの息吹って!?」

「あっ、ふーん……ユアくん、うちら、そのー……あれだから!」

「そうそう、急にあれになったから、バイバイ!」


 どうやらこの二人、男を見極める眼と鼻はあまり利かないが、耳と頭は悪くないらしい。

 そそくさと立ち去る獣人たちをなすすべなく見送り、プルプル震えていたユアヒムは、未形成の人格から未発達の情緒を撒き散らした。


「まただ、いつもこうなんだ! 俺の能力がハズレだから、みんな俺をバカにして遠ざける!! 俺がなにをしたっていうんだ!? うわああん!!」

「うわ、自己憐憫で泣き出す二十歳の男……素直に気持ち悪いんですけど僕吐いていいかな」

「ひどくないか!? だいたいチャールド、あんたわざわざあの子たちにバラさなくていいじゃないか!? 属性で仕分けるのは、良くないよ! いじめじゃないか、これって!」


 なぜ世間知らずの僕ちゃんにお説教を賜っているのだろう、と内心イライラが極限に達しつつ、ブレントは大人として愛想笑いを浮かべた。


「僕は客観的事実を口にしただけで、それに基づき勝手に偏見を抱いたのは、あの子たちの方なんですけどね。だから僕は悪くない♫」

「いや、だって、あんたが言わなきゃ……」

「いや、それは、単に僕が、君のそのウジウジした性格のことを虫酸が走るほど嫌いなだけだよ」

「え、えええっ!?」


 ちょっと直裁に悪意をぶつけられただけで固まってしまうのが本当に気持ち悪いなと思いつつ、ブレントは〈毒殺神父〉という異名の下半分だけを発揮してみる。


「いいですか。たとえば、ここにいるイリャヒくんなんですがね」

「あっ。申し遅れました、イリャヒです」

「お前も俺から奪うのか!? 俺を傷つけつつ通り過ぎていく一人なのかーっ!?」

「変わった挨拶ですね。よろしくお願いします」

「イリャヒくん、こんなのとよろしくしなくてよろしい。

 えーとですね、話を戻すと、僕はイリャヒくんの性格とか物腰とか、仲間や仕事に対する姿勢とかが好きなので、彼のことをこういうふうに紹介するわけだ。

 こちらはイリャヒ・リャルリャドネくん。華麗な炎の魔術を操る優しい美青年で、ミレインの祓魔官でも若手エース級の一人。女性にもモテモテ、上官からの信望も熱い超有望株ですよ、と」

「お褒めに預かり光栄です」


 慇懃に頭を下げるイリャヒをユアヒムが指差し、肥え溜めから生えている神経が発作でも起こしたのか、ワナワナと震えながら金切り声を発した。


「ほ……ほら見ろーっ!? 結局生まれで決まるんじゃないか!? 俺は彼と違って、負け組だから! 持たざる者だから! でも見返してやる! 見返してやるんだからなーっ!?」

「黙れ芋虫、死ねカス。異臭溢れるクソ息吹を吐き散らかすな」

「ヒイイイッ!? おかしい……昔のチャールドはすごく優しかったのに!」


 芋虫が芋虫すぎるせいで、つい剥き出しの本音が出てしまった。

 眼鏡の位置を直し、ブレントは咳払いで仕切り直す。


「そんなことはどうでもいいとして……だけどね、ユアヒム。もし僕がイリャヒくんのことを君と同じくらい嫌っていたら、こんなふうに紹介するはずなんだよ。

 こちらはイリャヒ・リャルリャドネくん、没落した名門貴族の末裔なんだけど、実家の屋敷は廃屋通り越してチンピラの溜まり場になってるらしくてマジ爆笑。ヘラヘラしてて超キモい、貧弱ですぐキレるサディストで、親殺しのシスコン野郎ですよ。固有魔術は身内贔屓のヌメッとした暗ーい鬼火で、はっきり言って救いようのないクズだね」


 これを聞いたイリャヒは、思わず吹き出し、ニヤニヤしながら話しかけてくるので、ブレントも親しみを込めた微笑を返した。


「ぶふっ! ちょっとー、ブレント氏、ひどくないですか? 私、根に持っちゃいますよ?」

「ふふ、ごめんごめん。……と、こういうわけで、ユアヒム。もし僕が君に好感を持っていたら、マイナス情報は伏せるか、適切な形で提示したはずなんですよね。

 もっとも、そんなことはありえないんだけど。君、わざわざ無理してこの世界に生まれてこなくてもよかったのに……」

「俺だって別に、好きでこの世に生まれてきたわけじゃないんだが? もしも……そうだ、人間! 弱っちい人間だらけの世界に生まれてたら……」

「いや、人間さんたちに迷惑だから、すべての宇宙から立ち去りなさい」

「みんなが俺を放っとかないんだが? 俺の代わりなんかいないんだが!?」

「そりゃ、君の代わりはいないでしょうよ。だってそもそも不要な存在なんだから」

「わあああっ!? 怖い怖い怖いっ! 搾取される、使い潰される! 生きる! 俺は強く生き抜く!」

「とりあえず『生きる』って言っときゃなんとなく前向きな雰囲気になるという考えが嫌いです」

「生き残りを賭けた、熾烈なゲェームッ……!」

「君が生き残ることの意義をまず提示しなさい」


 他者ひとの話を聞くという機能が備わっていない豚を相手に、これ以上喋っても仕方がない。

 ブレントはいつの間にか足元まで近づいてきている、赤い蜥蜴に声をかけた。


「それで、例の件は……」

『ああ、お前が聞き及んでいる通りだ。というわけなんで、あと頼んだぞ、チャールド』

「えっ? 頼んだって……ヴァルティユさん? もしもーし? あれ? ちょっと?」


 言うだけ言ったら使い魔は沈黙し、「ぼくトカゲだから、難しいことはわかんなーい!」とでも言いたげにワサワサ這い回り始めた。

 こいつらのこういうところが嫌いで山を下りたというのもなくはないのだが、役割を与えられてしまったのなら仕方がない。

 一度くらい地元の力学に身を委ね、故郷に義理を通しておくかと、肩をすくめたブレントに、イリャヒが遠慮がちに尋ねてきた。


「あー……もしかして彼、地元でなんかやっちゃった感じですか?」

「そうなんですよね。なんということはない。先日そこの豚虫くんは、なにを思ったのか身の程知らずにも、近所の十歳と七歳の兄妹を誘って、山に棲息する魔物を狩りに出かけたそうで」

「へえ、いいじゃないですか。しかしなぜ同年代の仲間や友達を誘うか、一人で楽しむかしなかったのでしょう?」

「そりゃ、あれでしょ? 小さな子供なら、大したことをしなくても『すごい! かっこいい! さすがユアヒムお兄ちゃん!』とか言ってくれるからじゃないかな? ……あ、カスの思考を理解して、ちょっと自己嫌悪です……」

「お、俺は悪くない! 社会が……いや、この世界そのものが間違っているんだーっ!!」


 豚虫の羽音がうるさいが、ブレントは無視して話を続けた。


「で、子供たちへ危害を加えさせることなく、ユアヒムは単独で魔物の討伐に成功したんだけど」

「立派に引率しているじゃないですか。素敵な遠足だったように聞こえます」

「ところがね。このカス豚は事前に兄妹へ、自分の能力を説明していなかった。効果範囲に入ると危ないよという一言を喋れない理由がわからないが……とにかく友軍射撃と呼ぶのも恥ずかしい、初歩的な巻き込み事故が起きたわけだよ」


 ゴミ袋くんがなにか喚こうとして、クソでも詰まったように青い顔で黙りこくった。

 どうやらゴミ袋でも吸血鬼が怒りから放つ膨大な魔力を察知できるらしい、一つ発見だ。


「……そうですか。それで、その兄妹は」

「幸い全快して、後遺症もなかったそうです。というかそうじゃなければ、今ここにクソ虫くんが五体満足で生きていられるわけがない」

「もし子供たちを死なせていたら……彼は八つ裂きとか?」

「それくらいはやるだろうね、うちの地元は」


 純然たる軽侮でユアヒムを射抜き、ブレントは下された結論を口にする。


「でもやっぱりね、こいつが生きてると、ちょっと具合が悪いんだ。同族殺しは掟でご法度になってるから、山に埋めて終わりっていうのも、なんかあれだし……かと言って平地に解き放ってしまうのも、この世界に息づくすべての命に対して申し訳が立たないじゃないですか? なので急遽この僕がこれの処理係に任命されたと、まあ、そういうことみたいですね。ひどいと思わない、イリャヒくん?」

「いわゆる欠席裁判というやつですね。うちの妹も昔、そういうのでゴネて大変でしてね」

「あー、それ見たことあるかも、『いや。行きたくない』って、うつむいて地面を蹴り蹴りしてましたよね、ソネシエちゃん。ああいうところがかわいいんですよね、わかるよー」

「そうなんですけどね、結局あのときも私がついて行ったわけで……」


 せっかく楽しい話に花を咲かせているところへ、鬱陶しい黴菌豚くんがべっちゃべちゃになった汚い顔を歪め、調節不能のクソ声量でキンキンキンキン叫びやがる。

 うるっせぇなぁ……と、ブレントの殺意がさらに高まった。


「な、に、を……勝手なことをーっ!!」

「さて、そろそろゴミ袋が満杯になってきたので、僕は仕事に移ります。あと頼めるかな?」

「承知いたしました。もしもあなたが敗死したら、私が責任を持ってあれを焼却します」

「頼もしい限りだ。というわけで、そういうことになったから、その、ユ……なんとかくん? お前、さっさと死んでくんないかな? 言われる前に率先してやろうよ、指示待ちは良くないな」


 伊達眼鏡を額へ押し上げ、殺しの気運が上がってきたブレントは、もはや建前も外聞もなく言い捨てる。

 対するユアヒムはまだピーピー喚いていた。


「ひ、卑怯だぞ! 二人連続で勝ち抜かないと生き残れないなんて、俺が不利じゃないか!」

「君の大好きな生き残りだ、良かったじゃないか。そもそもお前の交渉・交流能力が勝手にマイナスであることが、どうして僕のせいになる?

 というか、こうして閉所で待ち構えていたというのがバレバレなんだよ。間抜けがどれだけ無い知恵絞ったところで、『小賢しい』の一言で片付くんだが……いや、もういい」


 異名の上半分を証明すべく、ブレントは竜化変貌する。

 灰藍色の鱗に覆われ、鉤爪の伸びた両手を喉の高さで構えて、愉悦ではなく悲憤で牙を剥いた。


「お前と話していても、ひたすら退屈だ。だから、せめて少しでも面白い死に方をして、ほんの一時でいいから僕を笑わせてくれよ?」


 もはや言葉に意味はない。それを悟って黙りこくれる分別くらいは、汚点くんにも残っているようだった。

 そのせめてもの態度に敬意を表するのか、ヴァルティユが使い魔の制御を戻して、イリャヒに話しかけている。


『チャールドは毒殺で忙しくなったみたいだから、イリャヒくん、君が代わりに神父の真似事をしてやったらどうだ?』

「愛より強く結びつく、闇のエンゲージというわけですね。お任せあれ!」


 対峙するブレントとユアヒムに向かって、イリャヒは軽く頭を下げ、相応しい口上を述べた。


「えー、お二人、どうでしょう? 病めるときも、健やかなるときも……なんやかんやとありまして、死が二人を分かつまで、全身全霊をもって殺し合うことを誓いますか?」


「誓う!」

「誓うううっ!!」


 互いの咆哮と息吹だけが万感の殺意をもって正面からぶつかり合い、聖堂内に穢れた塵旋風を巻き起こした。

 イリャヒの言う通りだ。この戦いに限っては、どちらか死なねば終わるまい。

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