第158話 深淵、捉えて、ロング・ロング・ロング・ブレス
隣接するいくつかのアパートの屋上のうち一つになんとか上手く舞い降りたリラクタは、しゃがみ込んだ着地姿勢のままでしばらく驚きから立ち直れなかったが、やがて肩を震わせ、声を上げて笑い始めた。
「あははははは! び……びっくりしたーっ! なにあれ? すんごいタイミングで飛んできたんですけど? やるわねー、リューちゃんとデュロンくん」
そうしてひとしきり笑い転げた後、ふと周囲を見回した彼女は、ゆっくりと立ち上がる。
乱れた横髪を耳にかけながら、パクパクと口を動かしてみて、眼を見開いた。
「あれ……もしかして、ここに落ちたの、大当たりだったかも……?」
リラクタは薄く笑い、誰かに無音で話しかけるかのように、口と腰に手を添える、あざといポーズを取った。
誰もいないところでこんなことをやっていたら、ちょっと痛いお姉さんになってしまうが、そうならないという確信がある。
彼女はゆっくりと歩いて屋上を跳び渡りながら、唇の開閉を繰り返す。
反響定位にも見えるが、実際は
竜人族は感知能力がイマイチである。なので、たとえば内部循環によって姿を消す手段を持ち、潜伏している者がいる場合、他の種族の力を借りないと、見つけるのはかなり困難となる。
そう、他ならぬリラクタを除けば。ある地点で立ち止まり、彼女は静かに声をかけた。
「重力は次元を……そして電気は空気を支配する。こんなふうにね。
いるわね、そこに……。出てらっしゃい。隠れていても無駄よ」
「…………」
宣告から一拍置いて、ついに観念したように、なにもない虚空から、目の醒めるような美少女が現れた。
くるくると遊ぶ長い癖毛は灰白色で、顔立ちは小ぢんまりと整い、三角座りをしている手足も胴体も細く華奢だ。
やや幼く見えるが、リラクタの一つ下、今年で18歳になる。
そしてなにより彼女……タチアナ・ダルマゲバは裸であった。
近くに服を置いてあるとかですらなく、まったく逃げ場のない、一糸纏わぬ堂々たる全裸である。
どこへ行ってもブレないその様子にリラクタが呆れていると、タチアナは大きな瞳でじっと見つめてきて、どこか神秘的な響きのする、囁くような声で話した。
「はぁ……リラクタ、なにか用かな……? わたしは今、自らの
ちなみに、しょっちゅうため息を吐いているのは低血圧だからなのだが、それにかこつけて普通に嘆きや呆れも発していると思われる。昔から言い訳や口実作りの上手い悪童だった。
「確かにあなたの業は深いわね。ついに街中を全裸徘徊するようになるとは……山林原野を走り回るのとはわけが違うというのはわかってる? やっぱりお兄さんが山を下りてしまったことで、あなたを止める人がいなくなってしまったというのが大きいのかしら……セルゲイも罪な男ね……」
「はぁ……人聞きの悪いことを言わないでほしいな……わたしの能力は知っているでしょう……?
「はいはい、あなたは頑張ってるわ。いい子いい子してあげるわね。よしよし」
「えへへ……リラ、優しい……」
雑に褒めて頭を撫でてあげただけなのに、タチアナはデレッと笑み崩れ、体をスリスリしてくる。
明らかに愛情不足で承認欲求に飢えているので、誰かどうにかしてあげてほしい。
実際、見た目がめちゃくちゃかわいいから、その奇行や変態性をギリギリ許されているような存在であった。
色々な意味で崖っぷちの少女タチアナは、そうと知ってか知らずか首をかしげる。
「はぁ……というか、わたしからすれば、むしろ、リラがなぜ脱がないのか、これがわからない……」
「なにを言っているのかしらこの一人裸族は」
「悲しい類別は、やめてほしい……はぁ……リラが加わったら、二人になるよ?」
「いや、意味がわからないから。なぜわたしが露出狂の仲間入りをしなくちゃならないのよ?」
「リラはすごく綺麗だし、スタイルがいいもの……リラのおっぱいさんは、不特定多数に見られたがってるよ。はぁ……もったいない……」
「わたしの高貴なおっぱい様に、勝手に意思を与えないでくれるかしら? というか、あなたは息吹の効果で誰にも見られないのに、わたしだけ丸出しというのは、なんにも平等じゃないし、わたしが滑稽すぎない?」
「はぁ……みんなが注目し賞賛する……わたしも、陰ながら観察して応援する。大勝利だね」
そう言ってVサインをしてくるが、挑発にしか見えない。
リラクタは片手で頭を抱え、タチアナの真似というわけではないが、思わずため息を吐きながら確認した。
「はぁ……つまりそれが、あなたと協調する際の条件だと言いたいわけね?」
「そう聞こえたのなら……あなたの中では……そう定義されている……というような、感じ……」
「ねえ、ターニャ。その、なんか言葉尻をいい加減にぼやかすやつ、かっこいいと思ってやってるならやめなさい、会話しにくいから。強いて言うなら、それがこちらから提示する交換条件よ」
タチアナは意味深に笑い、口元に添えた指を
本当に見た目だけは良く、そして頭は悪くなく、性格はあまり良くない。
そんな彼女をリラクタは面倒くさいなと思いつつも、けっして嫌いではないし、相性の良さも自覚していた。
彼女のことを探していたというのがバレているので、主導権はすでにあちらに握られている。
タチアナはかわいいしたり顔に、少しだけ甘えるようなニュアンスを加えた。この子は本当に自分の資質の使い方をよくわかっている。
「はぁ……大丈夫……リラだけ衆人環視の中で悶えさせるとか、そんな残酷なことはしない……」
「悶える予定はないですけど……?」
「わたしも一緒に悶えてあげるから……」
「それマイナスにマイナスが加算されただけよ!? 悶えずに済む方法を考えてくれない!?」
「それは、リラが……ふぅ……わたしとどれくらい深く協調するかに、よる……かな……」
不意にタチアナの呼吸が変化するのを、リラクタは敏感に捉える。
ただでさえ曖昧だった語尾がほとんど消え入り、彼女が息をすることに集中し始めていることに気づかざるを得ない。
竜人族も他の魔族や魔物、または動物と同じで、その肺活量は基本的には体格に比例する。
ラグロウル族もこの世代の女子の中ではフクサ、次いでリラクタといったところだが、実は男子も含むブッチギリでトップにいるのが、この小柄で細身なタチアナなのだ。
生来の資質なのか、彼女の肺は信じがたいほどのロングブレスを可能とし、本気を出せば一息で一時間ほどの潜水をも実現するという。
しかし、彼女自身はもはや普通の呼吸と同様に
ではなぜ神は、彼女にそんな特性を与えたのかというと……。
タチアナの琥珀色の眼が熱を帯びてギラつき、いささか興奮気味に要請してくる。
「リラクタ……ふぅ……わたしと協調したいなら、今、脱いで……」
「い、今!? 別にすぐに誰かと戦うってわけじゃないでしょ!?」
「ふぅ……そうだけど……わたしはリラと、試しに一回……して、みたいなって、思って……だめぇ……? ね〜ぇ、リラぁ……」
「くっ……!」
あまりにかわいいため、もはや断ることはできない。
リラクタはなにも言わず、今度こそ大きなため息を吐いて……自分の戦闘服に手をかけた。
「……えーと、ターニャちゃん? せめて脱ぐ間、あっち向いててくれない……?」
「あ、そういうのいいから、マジ萎えるからやめてね? 女同士で自意識過剰だよ、王女かな?」
「急にハキハキ罵倒するの心に来るんですけど!? 脱げばいいんでしょ、脱げば!?」
やぶれかぶれになって、勢い任せに戦闘服を上下ともに脱ぎ捨てるリラクタ。その下にはなにも着けていない。
街路からは見えない場所にいるとはいえ、あまりの無防備さに臆し、彼女は内臓が全部冷えるような感覚を覚えた。
初夏の陽気はあるとはいえ、剥き出しになった肌に、異常な量の汗が浮かぶ。
淑女として超えてはいけない一線の向こう側へやって来てしまったリラクタを、タチアナはにんまりと嬉しそうな笑顔で、両腕を広げて迎え入れてくれる。
「ほら……そんなところに生まれたてのバンビちゃんみたいにプルプル震えて立ってると、道から見えちゃうよ……もっとこっちへおいで、リラ?」
「自分のフィールドに立った途端、急にイキイキし始めたわね……」
「ふふ……あ、やわらか……安心する……」
「余計なとこを触らなくていいから、さっさとやることやりましょうってば……」
「ふぅ……そうだね。まず、体の相性を確かめないと……」
もはやいやらしい言い回しを訂正することすらままならず、リラクタはタチアナに身を任せた。
ん、と眼を閉じて綺麗な顔を近づけてくる彼女に抵抗することもなく……二人の吐息は混ざり合い、そして……。
リラクタの体はほんの少しの間、タチアナのものになった……いやらしい意味ではなく。
さすがにまったく異なる
結果、深い深いキスで直接吹き込まれてから約30秒間、リラクタはタチアナの透明化能力を全身に巡らせることが可能であると判明した。
姿を消して標的の背後に回り、稲妻を叩き込むには……これはあまりに十分すぎる時間である。
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