第156話 落とした葡萄は全部甘い


 リョフメトとフクサは身長が30センチほど、体重に至っては下手すれば倍近くの差がある。

 体格の違いというのは誤魔化しが利かず、殴り合いの強さに直結してくる。


 内臓を揺さぶられる強烈な一打を貰い、体をくの字に折られながら、リョフメトはそのことを痛感していた。


「おぶえっ!」


 衝撃が浸透した体内で完結し、吹っ飛ぶことすら許されなかった彼女は、地面に這いつくばり、せっかく奢ってもらったおいしいいちごパフェの成れの果てを、おそらく全部吐いてしまった。


 両の拳で地面を叩き、なんとか立ち上がった彼女を、フクサはむしろ快活に諭してくる。


「あははっ! そんなつるっとしたお腹をしているから、簡単にダウンしてしまうんだぞっ! 頑張れリョフメト、わたしのように極限まで鍛えるんだ!」

「う、うるさいなあ……! あたしは深層筋が強いタイプだから、フクちゃんみたいにバッキバキには割れないの! そういう体質なの!」


 言い返しつつも、面倒なことになったな、とリョフメトは思案する。


 他ならぬ彼女が発した霜雪息吹フロストブレスにより仮死状態に陥ったことで、フクサは今まで使っていたかどうかもわからない光芒息吹レイザーブレスの内部循環に完全覚醒し、恒常的に運用し始めている。

 彼女の鼓動に合わせて約一秒間隔で響く地鳴りがその証左なのだが、これはわかったところで防げるタイプのものではない。


 打撃と鼓動が同時なら、打撃の威力が倍化する。打撃と鼓動のタイミングがズレれば、東洋拳法で言う発勁はっけいの原理に近い、少し前後して二発叩き込まれるようなダメージがリョフメトを襲うのだ。

 外部放出の撃ち合いに持ち込もうにも、容易には距離を取らせてもらえないし、そうなったらそうなったで速射性も破壊力もフクサの方が上だろう。


 客観的には万事休すと思われたが、リョフメトの主観はまだ諦念を抱いていなかった。

 それは過信や倨傲によるものでなく、れっきとした根拠がある。


 むしろ殴られて気分が上がってきた彼女は、フラつきながらも挑発を口にする。


「ヘイ、ヨー、フクちゃん、もっとガンガン打ってきなよ。それともほんとは怖いかな?」


 対するフクサは逆上するどころか、むしろ憐憫を含んだ微苦笑を浮かべてくる。


「やめろリョフ、無理をするな。お前のタネは割れている。手が冷えると拳の握りが甘くなり、突きの威力が落ちる……だったか? 残念だったな。今のわたしは、拳も足も熱くてたまらない! もう一度凍らせられるものなら、やってみるがいい!」


 なにを言っているのだろう、とリョフメトは一瞬考え込んでしまったが、普段自分が吹聴していた内容だと思い出し、申し訳ない気持ちになった。


「あ、ごめん……それ、実は嘘なんだあ。本当の効果は別にあるよ」


 それを聞いたフクサの笑みが、小動物を追い詰めた大型肉食獣のそれに変わる。


「ほう……この期に及んで、なかなかのハッタリを吐くじゃないか」

「ハッタリかどうか、試してみたら?」

「言われずとも!」


 フクサの筋骨隆々の長身が迫る。

 リョフメトは先ほどまでと同じように、一発退場だけは避けるべく、喉の高さにガードを上げた。


 必然的にガラ空きのお腹が、またしてもフクサの大きな拳で狙われる。


「!!」


 あまりの体重差で突き上げられたため、若干足が地面から浮くのを、リョフメトは自覚していた。


 勝利を確信したフクサの顔が……攻撃のために前屈みの姿勢になっているので、ちょうどいい位置にあった。


 なのでリョフメトはその左頬を、右の鉤突きで思い切り打ち抜いてやる。


「おぼっ!?」


 ストン……とリョフメトの両足が地面に下りて重心が据わるのと、インパクトを加えるタイミングがほぼ同じだったため、なかなかの威力が乗り、フクサは豪快に吹っ飛んで地面に転がった。


「……な、なんだ……!?」

「なにがかな? あーいたい……」


 なにごともなかったようにお腹をさすってみせるリョフメトを、フクサは戦きながら見上げてくる。

 形成が逆転するこの瞬間に、リョフメトはなによりの快感を覚えていた。


「お、お前……もしかして、自分の腹筋を凍らせてガードしているのか?」

「うーん、原理的にはそういうわけじゃないんだけど、イメージとしては近いかな。触れた物体の運動力を減殺する性質があるって、ヴァルさんが言ってたよ」


 リョフメトに息吹ブレスの内部循環を教えてくれたヴァルティユは、まるで雪の塊を殴っているようだ、と評していた。

 肉の薄い箇所は別だが、リョフメトの体は息吹の内部循環を使うと、殴られれば殴られるほど緊張が高まり、打撃への耐性が一時的にだがどんどん高まっていくようだ。


 炎や雷、斬撃などといった、打撃以外全般は効くのだが、フクサの光芒息吹レイザーブレスの性質を考えると、おそらくそこそこ止められる。

 というわけで、リョフメトはにんまり笑って通告した。


「ここで残念なお知らせでーす。たぶんフクさん、あたしに対して、ちょっと相性悪いみたいだよ?」

「そうか……ならその劣勢を、力で覆すまで!」


 残念だがそれは技術でカバーできる範囲なので、逆転は無理だ。

 もはやフクサの有効打点はリョフメトの正中線上にほぼ絞られた。

 それを意識して、特に首から上を念入りに防御しておけば、負け筋は可能な限り減らせる。


 勢いよく体を起こして、そのまま突っ込んでくるフクサに対し、リョフメトは右足を前にして半身を見せて立ち、右腕を盾のように縦に、左腕を剣のように横に、両拳を握って喉の高さで構えた。


 ここからは調理の時間だ!


「むふんっ!」


 まずは右足を踏み込みながら、槌を振るうように右裏拳を打ち込むと同時に、左腕を引いて弓矢のように絞る。

 出鼻を挫いたところで大胆に左拳を突き出すと、強烈なボディブローを食らったフクサの顔が悲壮に歪み、食い縛った歯の隙間から呻き声が漏れた。


「うぐ……!」


 やはりバキバキの腹筋ガードにも限界はあるらしい。

 地味に攻撃時……インパクトの瞬間にも内部循環を使っていて良かった。


 おくれた左足を陽気に踏み込んだら、最後は跳ねるように元気な右拳の突き上げで、フクサの喉の珠を掠めて、やたら高い位置にある生意気な顎ちゃんを下から粉砕!


 相手は悲鳴も出さずに吹っ飛び、地面に仰向けに倒れた衝撃で、ヒビの入っていた朱色の珠が綺麗に砕け散る。これにて調理終了!!


「ぷひゃあ……手こずったあ……。やっぱ強いよ、フクさん……」


 安心すると口から変な息が漏れて、リョフメトはその場に膝をつく。

 フクサはどこか晴れやかな表情で口を開いた。


「はは……やられたよ、リョフ。お前の実力を見誤っていた。ひょっとして私のパンチで吐いたのも、油断させるための芝居か……?」

「そうだよって言いたいとこだけど……実はここに来る前に、変な妖怪に捕まっちゃってさ。あたしのこのちっちゃいお腹ちゃんにとってはちょっとだけ大きめのパフェを食べさせてもらって、それをまだ消化できてなかったんだよ」

「の……残して、その妖怪に食べてもらえばよかったのでは……?」

「だ、だって、美味しかったし! 妖怪はキモくても、いちごパフェちゃんに罪はないから!

 ……まあ、結果的にフクちゃんを騙せたみたいだから、いちごパフェおじさんには感謝しないとね! キモいけどね!!」

「そ、そうか……都会は怖いな、リョフよ。しかし一方で、素敵な出会いもある」

「そこに関しては同意だね。……あっ、噂をすればソネちゃん! おーい!」


 相棒バディがもそもそ歩いてやってきたので、リョフメトは声をかけた。

 この吸血鬼の女の子、戦闘中は機敏なのだが、日常動作はおっとりというかもっさりしていて、リョフメト的に好感が持てる。

 だがなにか忘れているような……?


「そうだ、リューちゃんとデュロンくんは?」

「逃げた」

「え!?」

「どうやらデュロンはフミネを追いかけて落とした後で、あなたとフクサ女史の戦いを見ていた様子。あなたが勝ったので、デュロンはリュージュに加勢して、わたしを振り払い退散していったので、わたしは止められなかった。ごめんなさい」


 いきなりぺこりと頭を下げてくるので、リョフメトは慌てて手を振った。


「いやいや、いいよいいよ、それは仕方ないよ。

 なるほど、リューちゃんたちにとって、あたしとソネちゃんは相性最悪だからね。

 で、もしフクさんがあたしに勝ってたら……」

「あなたが落ちると、相棒バディであるわたしも自動的に落ちるので、あとは疲弊したフクサ女史を、リュージュとデュロンは挟み撃ちで倒す」

「あーそっか、だからデュロンくんはフミちゃんを先に落としたんだね。狼ですなあ」

「彼らはとても狼。彼の姉と、わたしの兄の悪影響を大きく受けている」

「怖いねえ。こっちももう少し立ち回り方を考えないといけないかもね」


 属性面の不利要素という点では、ソネシエやリョフメトもけっして他者事ひとごとではないので、本当に要検討である。

 と、そこまで考えたところで、もっさり系の足音がもう一つやって来て、倒れた姿を見つけて涙声を漏らした。


「うぅぅ、フクサさぁん……ごめんなさぁぁい」

「ああ、フミネ、泣くな泣くな。見ろ、わたしもこの体たらくだ。実力で負けたのだから、悔いはないよ。それに、結構楽しかったぞ」


 それを聞いてリョフメトが振り返ると、ソネシエもこくりと頷く。

 お祭りなのだから、楽しいというのが一番大切なのかもしれない。

 そしてその点においては、リョフメトも負けるつもりはなかった。


「フミネ……あなたに敵として向き合うとは思わなかった……わたしは、あなたを……」

「そ、ソネシエ……! 違っ、わたしそんなつもりじゃ……! 信じて! 信じてよぉぉ!」

「……いやいやいや、ちょっと待ってね!? そのやり取り、たぶんどうしても一回してみたかったんだろうけど、今からやっても茶番にしかならないよ!? 大丈夫!?」

「あなたのことは、親友だと思っていた……」

「わ……わたしも、そう思ってたので……!」

「しかも続けるの!? なにその小芝居、流行ってるの!?」

「ううう……くそおおお! やっぱり悔しいものはく・や・し・いーっ!!」

「うわあ、こっちは25歳の女がガチで駄々捏ねていてエグいよお……」

「えぐい」

「フクサさん、やめてぇぇ!? 10個ぐらい年下の二人にドン引きされているので!!」


 声を上げて笑い、物寂しさなどとうに消え去っているリョフメトは……だからこそ、ラヴァやリラがどうしているかが、ふと気になるのだった。

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