第155話 北風と太陽に見せかけた北風ゴリ押し


 デュロンはフミネの残り香を追跡していた。意外と健脚なようで、短時間で遠くまで逃げているが、今ようやく後ろ姿を捕捉した。


 もう一度フクサと合流してまた動物さんパレードでもやられたら、今度こそ避け切れる自信がない。ここできっちり落とすのがベターだろう。


 彼女のいる高台に続く階段をダッシュで登りながら、デュロンは極力優しく声をかけた。


「待て、フミネ! 悪いようにはしねーから!」

「絶対悪いようにする、悪い人の言い草だよぉぉ」


 わりと本気で泣きながらも、彼女はキッと振り返り、デュロンを視界に捉えた。


「うおっ!?」


 おそらく空気でできている、動物さんたちの核であろう透明なレンズ状の魔力構造物が大量に射出され、ちょうど体重を移した足元の光をぐにゃりと歪まされたデュロンは、階段を踏み外し、背中から転げ落ちていく。

 その隙にフミネはさらに先へと逃げ去り、また距離が開いてしまった。


「おい! これマジ危ねーから、俺以外の奴にやるんじゃねーぞ!?」

「ごめんなさい! 草食動物の意地と捉えてほしいわけなので!」


 そこだけキッパリ開き直っているのが怖い。

 そういえば昔、姉が言っていた。普段喧嘩慣れしていない草食獣や小動物は手加減を知らないので、いざやり合うと凄惨な血みどろの殺し合いを繰り広げることがあるとかないとか。

 これは早めに決着をつけるのが吉だ!


 今度は逃げ場のない路地の途中で、岩塊が次々に飛んでくる。

 幻影だとわかっていても思わず避けてしまいそうになるくらいリアリティがあったが、グッと堪えて正面突破するデュロン。

 実体も質量もない障害物を通過して安堵の息を吐き、さらに疾走する。


 ついに行き止まりに追い詰めた。フミネが登り詰めた先には壁しかない。


「ハー、ハー……ったく、手こずらせやがって」


 不意に、フミネは真っ青な顔で震え出した。

 デュロンが乱暴すると思われているのなら心外だが、どうもそうではないらしい。

 彼女はデュロンの背後を指差して言った。


「お、おばけぇぇ……!」

「え? ……は!? ああああっ!??」


 つられて振り向いたデュロンは、その場で腰を抜かしそうになる。


 長い髪を振り乱し、異常な相貌を持つ巨大な女が顎の外れた大口を開けて笑いながら、デュロンの肩にしな垂れかかるところだったのだ。

 相変わらずの無音無臭だが、視覚だけでも迫力は満点である。


 幻影とわかっていても、今夜の夢に出てきそうなクオリティだ。

 フミネがビビり倒している様子なのは、迫真の演技というより、自分でやっておいて予想以上に怖かったのだろう。


 それはわかるが、デュロンも普通に怖い。このタイプのは本当に苦手だ。

 なので一般市民相手に気が引けるが、ギリギリ暴力に含まれないと信じたい。


 そう願いつつ、彼は地面を掠めるように蹴りつける。

 巻き上がった砂埃がフミネの眼を反射的に閉じさせたことで、デュロンの背後霊が霧消した。


「あー……マジ怖かったー……」


 ここまで走ってきたのと比較にならないくらい、デュロンは今ので息が上がり、脂汗をかいていた。

 眼を擦っているフミネを可哀想に思いながらも、まだちょっと腰が引けつつ歩み寄る。


「すまん……後でまだ痛むようなら、ヒメキアんとこ連れてくから……」

「うぅ……き、気にしなくていいので……わたしもだいぶ卑怯なことをしたわけで……」

「いや、こっちこそ……つーわけで、そろそろ敗退してくれるわけには……」


 フミネの肩がビクッと反応し、充血した眼でデュロンを見上げると、両手で喉の珠を庇い、その場にしゃがみ込んで丸くなってしまった。


「だ、だめなのでっ……! フクサさんのために、せめて限界まで時間稼ぎをさせてもらうので!」


 デュロンはそこで、最後の関門に気づいて青ざめた。

 もしもフミネを力尽くで倒して脱落させ、それが後でソネシエにバレたら……どうなる?


 なんとか珠だけ破壊しなければならない。

 そのためにはその手を非暴力で引き剥がさなければならないのだが……ふとデュロンは閃いた。


 そもそも以前聞いたソネシエの話によれば、フミネの固有魔術〈共有幻想シェアイリュージョン〉は元々、自分が抱いたイメージを相手の背後に投影するという能力だったはずだ。

 意を決して、彼は普段敵にしか使わない、ドスの効いた低音を発する。


「おい、フミネ。俺を見ろ」


 ハッと顔を上げ瞠目し、それでも両手は喉から離さない長森精エルフに対し、人狼は話しかけるだけで、その場から一歩も動かない。


「本当はこんな手を使いたくねーんだけどよー……お前が粘るからしょうがねーよなー……?」


 ただ完全獣化変貌形態に移行し、さらに肉体活性により筋骨を膨張させて、巨大な二足歩行の金狼と成り、爆発的な気迫を放つだけだ。


「ソネシエに聞いたか知らねーが、俺も〈亡霊〉の一人なんだ……の恐ろしさってやつを見せてやらねーとな……!」


 獣人が獣化変貌するメリットというのは、毛皮の防御力や爪牙の攻撃力という恩恵がメインである。


 一方で、肉体活性で体をデカくするというのは、錬成系の能力を併用でもしない限りは質量が変わらないため、通常は筋骨の密度をいたずらに下げる、嵩増しの虚仮威しでしかないのだ。


 一部の例外を除けば、パワーもタフネスも上がらないし、いたずらに表面積が増えて無駄に風を受けるため、スピードはむしろ下がる。


 だがこの場面、この相手にはその張りぼてこそがなによりも有効なのだ。

 フミネのオレンジ色の眼に映る、彼女自身が作り上げてしまったデュロンのイメージは……実際よりはるかに恐ろしい、上顎が天にも届く巨大な狼として、デュロン本体の背後に立ち現れ、眼と鼻から温度のない火を盛大に吹き散らした。


「ひ、ひぃぃ! ば、け、も、のぉぉ……!!」


 もはや凶悪すぎるその幻を見ていることにすら耐えられず、フミネは両眼を手で覆う。


 無防備な被捕食者でしかない彼女に向かって、デュロンは容赦なく魔の手を伸ばした。


「……はい。これで終わり」


 鉤爪の尖端が朱色に輝く珠だけを優しく砕いて、即座に引っ込められた後で、フミネはようやくなにが起きたかを理解したらしい。

 両手を下ろしてぽかんと見上げてくる彼女へ、すでに人貌状態に戻ったデュロンは、ニヤリと笑ってみせる。


「わりーな。おどかすことが、お化けの仕事だぜ」


 自らのミスによる敗退を悟ったフミネの眼から、大粒の涙が溢れた。

 悔しげに顔を歪めて、小さな拳でデュロンのお腹をボカボカ叩いてくる。

 筋肉や内臓には響かないが、そのさらに奥にある心は痛んだ。


「うぅ……うぅぅーっ! ずるい! 狼さんなので! スケベ狼さんなわけでーっ!」


 幸い近くには誰もいないが、それでもデュロンは周囲を見回し、放言するフミネの肩を掴んだ。


「おい、誤解を招くこと言うなよ!? 騙したのは悪かったが、スケベ要素なんかねーだろ!?」

「上着が吹っ飛んでシャツが弾けた筋肉パンパンの上裸男性がそれを言うのぉぉ!?」

「あっ!? 本当だ……! いや、これは違うから! 不可抗力だから!」

「狼さんはみんなそう言うって、ママが言っていたので!」

「クソーッ、三メートルくらいまでは体に合わせて伸縮するよう制服の仕様を変えてくんねーとよー、いつまでたってもこういうふうに、痴漢扱いされるって悲劇が繰り返されるんだよ!」


 厄介な幻影系魔術の使い手を敗退させたというのに、なぜか達成感が少ない!

 あちらは今頃どうなっているだろうかと、デュロンは遠い眼をして、時計塔周辺に思いを馳せた。

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