第154話 朱色の果実は酸っぱい葡萄


 まずい。今すぐここから離れた方がいい。

 しかしその判断すらも、少々遅かったのかもしれない。


「むふん!」


 いつものように妙な掛け声、というかもはや鳴き声とともに、リョフメトは霜雪息吹フロストブレスを一息放つ。

 それだけでフクサが広げかけていた皮膜の翼は凍りついて、一時的な機能停止に陥った。


「ぐっ……!」


 リョフメトの息吹は普段と比べて、威力も範囲も速度も、段違いに上がっている。

 原因は彼女の隣に佇む、長い黒髪の女の子で間違いないだろう。


 彼女が掲げているのは玲瓏な氷製の、長い柄のついた大きな輪っかだった。

 どうやら強力な凍結魔術によって造られた代物のようで、これの大穴を通す形でリョフメトが息吹を吐くと、冷気が倍化するという、邪悪なシャボン玉遊びを実現しているのだ。


 そして、今のはあくまで飛行による退避に対する牽制で、次に来るのが本命攻撃だ。

 しかし、フクサは脚ももう寒さで動かない。

 あと残された手段は、反撃しかない!


「むぐっ……!」


 彼女は鼻と口を両手で覆い、そこに残った温かい空気を思い切り吸い込んだ後、両腕を翼のように広げ、牙を剥いて発射体勢に入った。

 だがそれもリョフメトの方が、初動が少しだけ早い。彼女の平らなお腹が凹むところを、フクサは漫然と見ることしかできなかった。


「むふーっ!!」


 小動物の威嚇とともに、容赦のない猛吹雪が押し寄せる。

 吐こうとした息吹すら唇で押し留められ、フクサの視界は即刻ホワイトアウトしていた。



「やったよ、ソネちゃん! フクさん倒した!」


 フクサを氷像に仕立てたことで、リョフメトは屋根の上で小躍りしていた。

 固有魔術〈紅蓮冽華クリムゾンブルーム〉で精製した即席の冷気増幅器を破棄したソネシエは、隣の相棒を冷静に諌める。


「リョフメト、油断はしないで。珠を割るまでが〈ロウル・ロウン〉。

 ……なぜわたしの方が訳知り顔をしなくてはいけないの、これはあなたたちのお祭り」

「堅いこと言わないでよ! じゃああたし、割ってくるね!」

「了解した。わたしは横槍が入らないよう、ここで見ている」


 わかった! と言ってかわいい翼を広げ、リョフメトは完全に凍りついたフクサも前へ降りていく。

 殺してはいない仮死状態のはずで、脱落させた後なら、救命措置を取るつもりがある。


 それにしても大したものだと、ソネシエは凍りついた領域を見渡した。


 ここへ来る前に検証したが、リョフメトの息吹の攻撃範囲は、通常時だと一息で半径五メートル程度だった。

 それがソネシエの冷気を乗せると、半径十五メートル程度まで拡張されている。


 上部が崩れた時計塔も、下半分くらいが霜に覆われていた。

 ……と、そこでソネシエは、断続的に起こる小さな地響きのようなものを、耳と足の両方で感知する。


「リョフメト」

「なあに、ソネちゃん? この振動のこと? なんだろね、これ」

「そう。今回の参加者の中に、巨大化などの能力者がいるの」

「いないねえ。とにかく、割っちゃうよ!」


 果実をぐように、フクサの喉元へ手を伸ばすリョフメトの様子を見ながら、なぜかソネシエは数十分前にしていた、彼女との会話を高速で思い起こしていた。


『……では、そのフクサという女性が、息吹ブレスの内部循環というものを使うと、どうなるの』

『うーん、わかんないや。使ってるとこ見たことないし。全身が光るんじゃないかなあ?』


 いや、おそらく違う。あくまでソネシエの私見だが、息吹の内部循環というのは、なにも自分の血管に炎や氷、影や光そのものをブチ込むわけではないだろう。

 外部放出するときに起こる現象ではなく、魔力の段階で各属性が持つ、それぞれの本質が鍵となるはず。


 なので、フクサの足元の地面についに蜘蛛の巣状の亀裂が走り、不意に動いた彼女の手がリョフメトの腕を掴んで食い止めたことに対し、ソネシエはむしろ自分の予感を裏付けられたように感じていた。


「なっ……!?」

「あっははは!」


 しかし当のリョフメトは、そう冷静ではいられない。まだ体表が凍ったままで、溶けた鼻水を垂らしながら哄笑するフクサに、まるで子供に振り回されるぬいぐるみのように投げられたのだ。


「ぎゃん!」


 首の珠を優先的に庇い、受け身を取り損ねたリョフメトは、自分が凍らせた地面に顔から激突して、小動物のような悲鳴を上げた。

 警告や援護をしてやりたかったのだが、ソネシエ自身も思い至るのが遅れ、結局間に合わず、傍観するような形になってしまった。


 冷凍睡眠からの起き抜けとは思えない、活力に満ちたフクサの視線を、ソネシエは屋根の上でまっすぐに受け止める。

 およそ一秒間隔で起きていた謎の振動は、ようやく鳴りを潜めていた。


 フクサの光芒息吹レイザーブレスの本質は、なにかにぶつかったときに起きる、物理的な反発力にこそあると見た。

 直前でやっていた吸気を、彼女はとっさに外部放出から内部循環へと切り替えた。


 全身を巡る魔力は、靴底に圧迫される足裏の血管に到達するとき、わずかな衝撃を生む。

 それが地面に伝播し、また彼女自身へ生体振動を促して、肉体活性を加速させ、体内温度の上昇を早めたのだろう。


「…………」


 フクサは口を開いたが、打って変わって沈黙を保ち、引き絞られる瞳孔が映した獰猛さが、言外になによりの雄弁を示している。

 改めて放たれた光芒息吹を、ソネシエは左へ一歩跳ぶことで躱した。


 直撃した屋根の煉瓦が、砕けて跳ね上がる。

 息吹の照射が終わるまでの刹那に、フクサがそのままわずかに顔を振り、光芒が横薙ぎに追ってきたので、ソネシエはやむなく屋根から跳び下り、翼の展開が着地に間に合う。


「……むっ」


 という回避行動を取った後で、ソネシエはそれが誘導されていたことに気づいた。

 フクサは最初、ソネシエの右半身を掠めるように狙っていたのだが、回避方向を左に……つまり今、リョフメトが転がっているのとは逆へと限定されていたのだ。

 目的は二人の分断以外にない。


 作戦などの考案時ではなく、に知能が上がるタイプの者がたまにいる。

 デュロンなんかがまさにそれなのだが、どうやらフクサもその一人らしい。


 こういう奴を自由にさせると危険だ。ここで落としておくしかない。


「リョフメト」


 小さいながら鋭い声で、ソネシエは相棒を呼ぶ。

 フクサの眼がそちらへ向くが、雪の子はまだ鼻血を拭っている段階である。


 フクサの懐へ一気に滑り込んで朱色の珠を狩るべく、刃を精製しようとしたソネシエの左手が……しかし反射的に、それを盾へと切り替えた。


「ふんぬっ!」

「むむ……!」


 真横から割って入ったリュージュの跳び蹴りを、とっさに正面から受け止めるしかなく、膂力の差で押し切られて、ソネシエは子供に八つ当たりされたぬいぐるみのように思いっきり吹き飛ばされる。


 リョフメトとの合流を優先したいところだが、彼女はフクサの至近から逃れられず、すでに殴り合いに発展していた。

 そしてリュージュがソネシエに迫りながら叫ぶ。


「フクサ! わたしがソネシエを抑えておくので、お前はリョフメトを落とせ!」

「お、おうっ!? 構わんが、なんだリュージュ、お前さてはわたしのことが好きだな!?」

「ああ、好きだとも! だからもっとお前のカッコいいところが見たいぞ!」


 これは事実上、協調の申し出なのだが、フクサはリュージュの意図をわかって受けたのだろうか?

 まあいい。今、ソネシエにできることも同じで、リュージュを迎え撃つしかない。


 ソネシエは固有魔術〈紅蓮冽華クリムゾンブルーム〉を発動し、いつもの双剣を精製する。

 戦術上の疑問は後回しにして、彼女はまずリュージュに戦法を問う。


「それで結局、見つかったの」


 普段ともに戦い、手の内を知り尽くしている間柄だ。

 以心伝心というほどでもなく、打てば響く回答が返ってくる。


「ああ、『凍らない植物』か? ダメだな。冬越え可能、つまり死ななかったり芯までやられないものなら自然界にもいくらもあるが、わたしが求めているのは要するに寒中でもグングン伸びてくようなのという意味だから、お前やリョフメトがもたらす極低温下では、やはり苔などを生やすので精一杯だったな」

「つまり、樹林境界線は超えられない」

「というのが、差し当たっての結論ではあるな。ただし……」


 ソネシエは危険な兆候を感じ、みなまで言わせず斬りかかる。

 それをリュージュが防いだのは、いつの間に取り出したのか、太い生木の枝だった。


 相当に硬いのか、リュージュが上手く繊維が引っかかる方向に受けているのか、ソネシエの刃はしっかり止められてしまった。

 しかしやはり、その鍔迫り合いの間に双剣が伝播させる冷気が、生木を一気に凍らせる。


 そこで生じた違和感に従い、ソネシエは剣の舞を披露する。

 果たして都合六度の斬撃は、そのすべてが凍った生木で受け捌かれてしまった。


 尖端の尖った、おそらく針葉樹と思しきそれを、リュージュは器用に振り回し、脇構えで静止する。


「……硬く、凍裂を起こさず、凍ると鉄のように硬くなる木なら、この通り見つけたぞ」

「そう……しかし、それよりもわたしは、あなたが武器を使えることを知らなかった」

「勘違いはするなよ、隠していたわけではないぞ。体術と息吹を伸ばすことに専念していて、披露する機会がなかっただけだ。あとそんなにいくつも訓練出るのはめんどくさい!!」

「最後のが本音。一般的にはサボりという。

 ……ところで、デュロンはどこへ行ったの」


 一番気になっていたことをさりげなく尋ねると、リュージュは悪戯っぽく笑む。


「あいつなら、フクサの相棒を追っていったぞ」

「……そう」


 おそらくリュージュは、ソネシエがフクサの相棒を見たかを知らない。

 なのでハッタリ半分で、揺さぶりをかけるつもりで言っているのだろう。


 実際にはソネシエは、朱色の珠を首につけた零番目の友達の姿を、この零番街ではっきりと目撃している。

 それを踏まえて、彼女は冷静に氷刃を閃かせる。


「なら安心して、こちらへ集中できる」

「くそ! こんなことならもっと性格の悪い、最低の外道とでも組んでおくべきだったか!?」


 信頼の裏返しでしかないその台詞を聞いて、頰を緩めることができないことを、ソネシエはほんの少しだけ悔いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る