第149話 君の誇りに稲妻のようなキスをしよう


 リョフメトはフラつきながらも、毒殺神父の教導には従わない。


 彼女は大きく息を吸い込み、口から吐くのではなく、鼻から抜いた。

 それだけで彼女の背中から汗が引いていき、血色も普段通りに戻る。


 気づけばそこにはいつもの、冷静でマイペースなリョフメトが立っていた。

 良かった、とリラクタは胸を撫で下ろす。


「ふうっ! アイス食べといて良かったあ」

「だから、そういう仕組みの子だと思われちゃうから、嘘吐くのやめなさい」

「わかったよ、おかん! よーし、張り切って反撃しちゃうぞー!」


 お子様が元気で、おかんは嬉しい。

 しかしチャールドは子供が嫌いなようで、満面の笑みを憎悪で歪めて、背中越しに相棒バディへ話しかけた。


「……ねえ、イリャヒくん?」

「はい」

「君はああ言ったし、僕も一度は納得したけど……やっぱり殺す用のやつを使わないと、この子たちを倒せないんじゃないかと思うわけですよ」

「はあ」

「吸血鬼の血には、多少なりとも治癒能力があるんだよね? 一回全員瀕死にして、その後全員を蘇生みたいな感じにはできないかな?」


「おい」


 それに振り返りもせず反問したのは、イリャヒでなくベルエフだった。


「それは当然、この俺も含まれてるって理解でいいんだよな?」


 もはやその殺意を向けられる立場ではなくなったリラクタですら、圧の余波だけで縮み上がる。

 しかしチャールドは笑みを崩さず、平然と牙を剥いてみせた。


「あなたが例外だと言ったかな、ベルエフさん」

「やってみろ」

「こちらの台詞だ。が、今は……」


 みなまで言わず、チャールドは凶行を言葉に代えた。

 抜く手も見せぬ早業で彼の左腕が動いたかと思うと、リョフメトに向けてアンプルを投擲する。


 その光景がなぜかスローモーションで見えた理由を、リラクタはワンテンポ遅れて理解した。

 なんということだ。本命の「殺す用」を、とうに握り締めていたとは思わなかった。


 無防備に構えるリョフメトの、平らなお腹に針が突き刺さる……寸前に、いつの間にか椅子を蹴り、割って入ったラヴァが剥き出しの左肩で、文字通り肩代わりしていた。


「なっ……!?」


 驚愕するチャールドをよそに、ラヴァはそのままリョフメトを抱えて、風のように店外へ脱出した。

 次いでイリャヒが思いのほか機敏に席を立ち、呆然と見送る相棒に声をかける。


「ブレント氏、追いますよ。今のあの二人は、間違いなく体力を消耗している。ここで逃がす手はありません」

「あ、ああ、そうだね。よし、行きましょう!」

「御意です。ベルエフ氏、ごちそうさまでした」

「おう。行くならさっさと行け、おじさん追っかけちゃうぞ?」

「それは恐ろしい。リラクタさん。あなたともまたどこかで会いましょう」

「えっ? そ、それはもちろん、喜んで」


 イケメンに挨拶されてしまった。今のうちに宿を予約しておいた方がいいかもしれない。

 それはともかく、嵐のように四人が去った後、〈喫茶ニルヴァーナ〉にはおそらくこの店の本来の姿であろう、静謐な時間が流れていた。


 丸々残されてしまったリョフメトとチャールドのぶんもゆっくりとコーヒーを飲み干した後、ようやくベルエフがリラクタに声をかけてくる。


「よし、そんじゃ俺らもそろそろ動くか」

「ええ、そうね……」

「親爺さん、すまねえな。今日日きょうびの若者は元気すぎていけねえ」

「構いませんよ。むしろあのラグロウル族の戦闘を直接見られて、得した気分です」


 店主マスターと話し込み、会計を済ませるベルエフを待っている間、リラクタは店の入り口近くで佇み、物思いに耽っていた。


 やがて背後に近づく気配を感じると、彼女は思い切って、勢い良く振り返る。


 自身の視界に踊った灰緑色の髪を搔き上げ、少なからぬ愛着を込めて名前を呼んだ。


「ベルエフさん」

「なんだ?」


 リラクタは答えず、代わりにキスを投げる。


 肺から生じ、唇を通して放たれた極小の稲妻は、岩壁のようにそそり立つベルエフの喉仏に……正確には、それを戒める緑色の珠へと、吸い寄せられるように飛来して粉々に砕き、透明な破片として散らした。


「…………」


 防ごうと思えば反応は間に合ったはずだが、ベルエフは対処するでもなく受け入れ……一方でどこか予期していたのか、驚いた様子は薄く、ただ端的に問う。


「……いいのか?」

「いいもなにも、もうやってしまったもの」

「いや、そうじゃなく……」

「わかってるわ。だけど、知らないおじさまに頼るとか、わたしのやり方じゃないことに気づいたの。やっぱりこういうのは、自分の力を試さないとね」

「……そうか。なら、文句はねえよ」


 ベルエフがニヤリと笑い、巨大な拳を突き出してきたので、リラクタも自然と笑み、それに応じた。

 おざなりに合わせた薄い皮膚と細い骨同士の間には、見せかけの誓いの言葉などより、よほど本物の絆が宿っている。

 彼女はそのことを、背筋を心地良く駆け上がる、痺れるような感覚で理解していた。


「短い間ではあったが、いちおうは相棒だった身として、お前を誇りに思うぜ。そしてしちまった以上は、陰で見守らせてもらう」

「ありがとう。その情熱だけで、十分わたしの力になるわ。

 ……じゃあ、わたしももう、行かなくちゃ」

「おう。敗けてもいいが、死ぬんじゃねえぞ、お嬢ちゃん!」


 最後の最後まで子供扱いだ。だがそれも仕方ないのだろうと、リラクタは微苦笑を浮かべて、〈喫茶ニルヴァーナ〉から退店した。


 ……そしてふと冷静になり、自分の現状を客観視して、思わずその場にしゃがみ込む。


「はあーっ……なにやってんだろ、わたし……? なんで貴重な相棒枠を捨ててんの……? ていうかなんでまずあんな危険な鬼札に手を出したのかしら……自分で自分の行動が意味不明すぎてつらい……」


 しかし、凹んでいても仕方ない。のっそりと立ち上がった彼女は、ひとまず街を徘徊しながら、策を練ることにした。


「あの感じだとラヴァもリョフも大丈夫そうだし、むしろわたし自身の心配をすべき……さすがにこのまま流れで勝ち抜けるとは思えないけど、逆に言うと『悪魔の枷』が外れたから、優勝を視野に入れて動くことはできるようになったわけで……うーん、誰か単独ソロでやってる子に、協調を持ちかけてみようかしら」


 方針が固まると、自ずと頰が緩んでくる。


「となると、わたしと相性がいいのは……やっぱりかな? だいたい居場所の見当もつくし、探してみましょう♫」


 もうここからはささやかな戦略要素もない、行き当たりばったりの出たとこ勝負だ。

 だが不思議と肩が軽く感じ、リラクタは思いっきり息を吸い込みながら伸びをした。

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