第148話 偽りの自我③


 それにしてもこの空間はなんなのだろうと、リラクタは改めて思う。


 彼女の両脇を固めているかわいい幼馴染の少女たちはともかく、眼前の大男を挟む優男二人、しかも三人ともいちごパフェを食べてニッコニコというのが、画面の圧が強すぎる。


 しかし、凡人臭い顔で同族かつ寡夫やもめの上に頭ぐるぐるのチャールドは論外として、イリャヒと呼ばれた眼帯の青年は結構リラクタ好みの顔をしているので、自他ともに認める清々しいほどの超面食いである彼女は、表情と声音をきっちり作った上で話しかけた。


「こんにちはー、はじめましてー♡ わたしたちの世代の〈ロウル・ロウン〉に参加してくれて、ありがとうございますー♡」

「どうも、こんにちは。はじめまして。こちらこそうちの上司がお世話になっているようで、なんだかすみません」


 この顔で、しかも会話が成り立つという優良物件とは、思わぬ掘り出しものだ。

 今夜はこのイケメンお持ち帰りしちゃおうかな、と涎を垂らしていたリラクタの口元を、ベルエフが引き締めにかかった。


「おいリラクタ、こいつこんなツラだがシスコンのサディストで、チャールドと同じくらい頭やられてんぞ。部屋になんか連れ込んだらなにされるかわかんねえから気をつけろよ」

「ちょっとベルエフ氏、本当のことを言うのはやめてくださいよ」


 一発でスンッと冷静になったリラクタは、右隣でラヴァが口を開いたので、そちらに傾注した。


「よぉ、久しぶりだな、チャールドくんよぉ」

「やぁ、ラヴァ。君も元気だったようで、なによりですよ」

「そういうてめぇの方は、風の便りに聞いたんだが……奥さんのことは……あの、なんていうか……なぁ、リラ!? なんて言えばいいんだ!?」

「知らないわよ!? 踏み込み方がわからないのになんで不用意に触れたの!? 火の粉振り撒くのに躊躇なさすぎない!?」


 一緒に火傷させようとしてくるのは勘弁してほしい。考えなしにも程がある。


「はは、大丈夫。もう終わったことですから」

「ラーちゃんマジでなにやってんの? 一番辛い感じで気使われちゃったじゃん。話変えます!」


 そこでちょうどいちごパフェを食べ終わったリョフメトが気まずい空気を切り裂き、口の周りをクリームだらけにして立ち上がり喋り始めたので、リラクタは拭ってやる。


「ほら、もう、ベトベトじゃない」

「むふん……ありがとう、おかん」

「おかんではないわー」


 リラクタの苦情を聞き流して、リョフメトは眼をキラキラさせて一同へ呼びかけた。


「えっとねー、誰と誰が戦る? ていうかさ、あたしと戦りたい人いる? 今あたしアイス食べて冷気蓄えたから、全開で調子いいよ!」

「彼女はそういう仕組みなのですか?」

「彼女はそういう仕組みではないわー」

「いいでしょ、細かいことは! さあさあ、やろうやろう! だれだれだれだれ!?」


 うっかり自分たちで忘れるところだったが、ラグロウル族は戦闘民族なのだった。

 むしろ喧嘩っ早いラヴァがまだ大人しくしているのが不思議なくらいだ。


 ……いや違う、戦いはもうすでに始まっている。全員が牽制し合い、互いの出方を伺っているのだ。優位だからと迂闊に動けば、それもまた隙となる。


 そしてその静寂を破るように、ラヴァと同じくらい爆速でパフェを平らげたチャールドが、空になったグラスに景気良くスプーンを放り、にわかに腰を上げた。


「僕が立候補してもいいですか、リョフちゃん? そして、イリャヒくん?」

「おっ、チャーさん、やる気だね! いいよ、相手にとって不足なーしっ!」

「私からも、どうぞ。まだ二戦目の初心者ですし、けんに徹することにします」


 合意は形成された。二人は摺り足で横移動し、リラクタの視界から消えたかと思うと、ちょうどベルエフの背後にあるテーブルの上に跳び乗り、互いの突きを受け合った。


 店主は咎めるどころか動じることすらなく、人数分のコーヒーを運んできてくれるところだった。

 さすがミレイン、店内での乱闘も茶飯事らしい。


「「……」」


 ラヴァリールとイリャヒは相手が動いたときに機先を制することができるよう、互いへ意識を向けているのがわかる。


「うめっ」


 そしてベルエフは泰然とコーヒーを飲み始めたので、リラクタも見に徹することにした。


「うりゃりゃあ!」

「くっ……これは、なかなか重い……!」


 リョフメトのパワフルな連打を、チャールドは危なげなく両腕で受け切るものの、膂力自体はやや押し負け、後退を強いられて隣のテーブルへ跳び移った。


「逃げんな、チャーさん! ていうか、相変わらず貧弱なままだね、この野郎!」


 ちょっとリョフメトの素の凶暴な部分が出てきている。

 意気軒昂なのはいいことだが……相手が相手だ、冷静になった方がいい。


 果たして攻防が一段落したとき、チャールドは薄い笑みを浮かべた。


「いや、その通りで、恥ずかしい。その点君はずいぶん成長しましたね、リョフメト」

「むふん、そうでしょ? 内……あっ。じゃなくて、えーと、まだ切り札もあるんだから!」


 おバカ、とリラクタは呟いた。さっきから冷気を使わず普通のパンチで戦っているから、まだ手の内を伏せていて偉いと思っていたのだが、やっぱりリョフはおバカちゃんだった。……そこがかわいいというのはあるのだが。


 対して、チャールドは慎重に距離を取って防御の構えを保ちながら、口八丁を披露する。


「そうですか。しかし、どれだけ力や技が伸びようとも、心の有り様は変わらない……というのが僕の持論でね。試してみる気はありますか?」

「なんだか知らないけど、どんと来いだよ!」


 早くも口車に乗ってしまっているリョフに対し、チャールドは制服の内ポケットから、小さなアンプルを取り出してみせた。

 中に封じられた少量の液体を、リョフは眼を細めて注視した後、ストレートに尋ねた。


「それってなあに?」

「ふふ、素直でよろしい。これはね、魔弾ですよ。対・君専用のね」

「……つまり、あたしを殺す専用の毒かな?」

「そして察しもいい。ただし、『殺す』は言い過ぎですね。

 実は僕は昨夜、ドヌちゃんを殺しかけてしまいましてね。幸い彼女は死なないどころか脱落すらしなかったようですが、イリャヒくんに諌められて反省したんです。

 言われてみれば、このルールで致死性は必要ないですからね。なのでここでは弱毒性の、あくまで無力化させる程度のものを使わせてもらうよ」


 これを受けてリョフメトは尻込みするどころか、余裕で口角を上げてみせる。


「へえ。それはまた、よくできたハッタリだね?」

「おや、疑われてしまうか……というより、リュージュから聞かなかったんですか?」


 その名前が出た途端、リョフメト、そしてラヴァリールが纏う空気がピリつくのを、リラクタは肌で感じた。

 それを知ってか知らずか、チャールドは滔々と続ける。


「僕はこの前、彼女が自分の植物で自縄自縛に陥るような事態を想定して、彼女の植物を弱らせるような毒物の精製を頼まれたんですよ。

 それ自体は良い考えなんだけど、サンプルが僕の手元に残っているのが、今回ばかりは命取りだったね。

 したがって僕と当たった時点で、彼女は必敗と言えるでしょう。

 もっとも、植物使いという性質上、君やラヴァちゃんにも対策ができているかは……」


「……よくもまあいけしゃあしゃあと、あの子の話ができるもんだね」


 リョフメトの口から出るのは呼気、冷気、そして怒気だ。

 感情の昂進に伴い肉体が自ずと竜化変貌を遂げ、生え際近くから伸びた二本の角が、灰青色の前髪を押し上げる。

 もはや遠慮容赦はなく、彼女は凍った土足でチャールドの心へ踏み込んだ。


「あのさあ! 奥さん死んで悲しかったのかなんなのか知んないけどさあ! あんたがめちゃくちゃな殺し方しまくって、ジュナス教会の上の方で問題化されたから、あたしたちが蛮族指定なんか食らってさあ! で、その後で山から下りてったからとかって理由で、なんにも悪いことしてないリューちゃんがさあ、〈しろがねのベナンダンテ〉とかいうクソ制度に囚われちゃったわけじゃん!? あんたそこんとこどう思ってんの!?」

「…………」


 対するチャールドは、薄気味の悪い笑みを消し、左手でアンプルを握ったまま、右手で器用に眼鏡を外して畳み、胸ポケットに引っかけた。


 リラクタは固唾を呑んで見守る。あれは彼が本気で戦うとき、または本音を語るとき、あるいはその両方を行うときのサインなのだ。


「確かに……リュージュがあんなことになってしまって、それは僕の行動に因るところが大きいわけで、もちろん申し訳ない気持ちはあります。彼女の自由を奪う権利など、僕にあるわけもないのだから。……けどね」


 チャールド・ブレントは爬虫類そのもののような酷薄な無表情で瞳孔を開き、普段の柔らかい口調を完全に剥ぎ取った、地を這う低音で言い捨てた。


「生きてるんだから、それでいいだろ?

 ガタガタぬかすな、毛も生え揃わない小娘が」


「生え……揃っ……てるわボケえーっ!!」


 完全にキレた……と思われたリョフだったが、意外とまだ冷静なようで、左拳でチャールドの顔面を狙うふりをしながら、右拳を胸元の眼鏡目がけて振り抜いた。

 ダメージを与えるのではなく、嫌がらせで精神的優位を取り戻そうという意図だったのだろう。


 しかしチャールドも一瞬でいつもの自分を取り戻し、即座に眼鏡を避難させて掛け直し、指先でずり上げながら、空虚な笑みを貼り付け直した。


「おっと危ない。伊達だてとはいえ、お気に入りの装飾品であることに違いはないんだ。そうそう壊されてはたまりませんよ」

「ならさあ! あんたのその冴えない顔面ごとブッ壊してやるよ!!」


 一方、リョフの方はいよいよ本気でプッツンしてきている。敵となっているこの状況でなければリラクタが止めているのだが、猛烈なラッシュでチャールドを追い込む。

 チャールドは左手のアンプルを、リョフのラッキーパンチで壊されることを避けるためだろう、後ろ手に回して右手だけでなんとか連打を捌いている。


「ぐぶっ!」


 だがそれにも限度が訪れ、防ぎ損ねた小さく重い拳が、男の鼻を叩き潰した。

 次いで数発ずつが彼の頬を、胸を、腹を殴りつける。


「あはは! 眼鏡だけは無事で済ませてあげるよ、良かったね!」


 アンプルはまだチャールドの手の中で、役目を果たせない無用の長物と化している。

 しばらく好き放題に打ち込んだ、リョフの優勢で終わるかと思われた。


「あえ……?」


 だがあるときを境に、彼女の動きが急激に鈍り始める。

 今、リラクタからはリョフの露出度の高い戦闘服の、剥き出しになった背中しか見えないが、その肌が目に見えて上気し、異常な量の汗で濡れていた。


 息を荒らげ、倦怠感に襲われた様子で項垂れて、リョフメトは呟く。


「な、なに……めちゃくちゃ暑いんですけど、これあたしだけ……? アンプルには、触れもしなかったのに……!」

「はっはっ。まあ、なんというか、これこそ毒使いとしての面目躍如ですかね」


 普段使いの仮面の上に素顔の嗜虐を重ね、チャールドは陰険に笑った。


「体が熱く、脳も茹だり、もはやものを考えられないだろう。

 なので、これは君がおうちに帰ってからの宿題としましょうか。

 問一。君を弱らせた毒の侵入経路とタイミング、及び、この毒のコンセプトを答えよ」

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