第146話 リラクタはそういうとこある
「らぁ!」「せい!」「ふっ!」
「どうした、こんなもんか? もっと強く当たってこいよ!」
わかってはいたが、純粋な徒手格闘では三人がかりでもまるで歯が立たず、訓練指導でも受けているような雰囲気になってしまっている。
ラヴァもリョフも、リラクタ自身もすでに汗だくなのだが、肝心のベルエフは涼しい顔で、いまだ最初の位置からほとんど動いていない。
「「「おおお!!!」」」
「っと、あぶね……」
奇跡的にタイミングが合い、三人がまったく同時に三方向から仕掛けることができても、両腕と片脚で綺麗に捌かれてしまう。
参った、いくらなんでもさすがにここまで力の差があるとは思わなかった。
リラクタは自分と同じく、リョフメトがすでに諦めモードに入っているのを見て取る。
もう二人で逃げてしまおうかとも考えたが、それより早くラヴァが気炎を吐いた。
「へ……やるじゃねぇか、おっさん! ならよぉ、こっちからもあたしらの流儀で洗礼を浴びせてやるぜ!」
言うが早いか、彼女は肺を膨らませ、咆哮とともに
「ごおおおああああっ!」
迫る緋色の熱波に対し、ベルエフはわずかに眼を細める。
そうして腕の一振りで、甚大な火勢を一気に薙ぎ払った。
「なっ……!?」
焦げた空気も風で流され、再生能力で傷の一つも残らない。
わずかに爪先で
「足りねえなあ。おじさんのハートに宿る炎に比べりゃ、まるきり風前の灯だぜ」
自分がどういう相手を敵に回したのか、ようやく気づいたようでラヴァがぼやいた。
「やべぇ……さっき似たようなことを言ってた奴がいたが、このおっさんはガチだ。どういう剛腕してたら素手で火消しができんだよ……」
「だったら、逆はどうかな? あたしにお任せ!
寒くなーれ、おじさん! むふんっ!」
次いでリョフメトが
微動だにせずに受け止めたベルエフは、全身に霜が降りて凍傷を起こし、表情までが硬く凍りつく。
「んがっ!」
釘付けに成功したかと思われたが、直後にデカい左足が胸の高さまで上がったかと思うと、轟音を立てて地面が踏みしめられた。
その衝撃一つで体表に張っていた薄氷が全部まとめて砕け散る。
「うーむ……」
男は自分の長い前髪から降りた氷柱を圧し折り、ものは試しと舐めてみる始末だった。
だがどうやら普通に不味かったようでかなぐり捨て、リョフメトへとウィンクしてみせる。
「確かに逆だ。お前さんはもっと温度を下げなよ、お嬢ちゃん。そうすりゃもっとクールでキュートでスイートな女になれるぜ。そう……いちごパフェのてっぺんに乗ってる、いちごアイスのようにな!」
「すごくカッコいい顔と声で、めちゃくちゃ気持ち悪くてダッサいこと言ってくるんだけど!? あたしはこのおじさんをどう処理すればいいんだろうね!? 誰か教えて!?」
「任せなさい。代謝も膂力も関係ない、回避不能の一閃を叩き込んでやるわ!」
鳥肌を立てるリョフメトの前に割って入り、リラクタも自前の
「はああっ!!」
緑色の稲妻が迸り、的にしやすいアホみたいなトサカ頭に、狙い違わず落雷を食らわせた。
ツンと鼻を突く特有の異臭が漂い、トサカの先端から煙が上がる。
「……かーっ、効いたぜ……」
だが、それだけだ。ベルエフはいそいそと自慢の前髪を直した後、岩山のような両肩を金槌のような両拳で叩き、石柱のような首や腕を回した。
「やっぱ俺、書類仕事は性に合わねえな。一気に凝りが解消されたわ、ありがとよ! でも、おじさんとの約束だ。それ、俺以外の相手に向けるときは、気をつけて使うんだゾッ☆」
「……ッ!」
冗談抜きでゾッとさせられる。けっして平地の、他族の連中を舐めていたわけではないが、たとえばベルエフと歳が近いと思われる、地元の二、三世代上の若長を当てたとして、果たしてこの男を倒せるのだろうかと、リラクタは疑問に思わざるを得なかった。
しかし、この期に及んでまだ諦めの悪さを見せるところが、ある意味ではラヴァの長所だった。
「お前ら、もう一回だけ気張ってくれ! さっきの包囲攻撃を、今度は
「いや、もういい。やめとけ」
作戦が筒抜けとかどうとか以前の話だった。
明確な上位者からの断ち切るような宣告に、さすがのラヴァも言葉をなくす。
だがベルエフは刺々しい失望の言葉を吐くのではなく、茶目っ気を乗せた眉を蠢かし、おどけた仕草で両手を挙げてみせた。
「お前らの実力はよくわかった。まだ若えのに、なかなかやるじゃねえか。
野生のオッサン相手の、なんの得もねえ野良喧嘩で疲れただろう。ここで俺が潰しちまうってのもつまんねえ。
気に入った、ついて来いよ。茶の一つも奢ってやるぜ」
そうして無防備に見せた大きな背中に、しかし嘘偽りの乗る余地はなかった。
顔を見合わせて無言で相談した三人は、結局、彼の提案に従うことを決める。
なにせ、いちごパフェを食べに行くおじさんについて行ってはいけませんとは、小さい頃から親に一度も、言われたことがなかったのだから。
「おう、ここだ。入りな、お嬢ちゃんたち」
リラクタは平地の飲食店に詳しくないが、〈喫茶ニルヴァーナ〉自体に、特に変わった点は見られなかった。
どこか隠れ家的な雰囲気のある、落ち着いた空間としか感じない。
単にそういう時間帯だからだろう、四人以外の客はいなかった。
しかし知らない場所ということもあり、ラヴァが壁際のソファ席に滑り込んだので、リラクタとリョフメトも従う。
いつもの二人に挟まれているにもかかわらず、こんなに落ち着かない気分になったことはないなと、リラクタは乱れた前髪を直してみる。
ベルエフは三人の対面に腰を下ろし、実質的にはあってないようなメニュー表を差し出してきた。
「よし、お前ら、注文決めろよ。金は気にすんな、なんとか経費で落としてやるから」
なにせ今、この空間は彼が支配している。
いで始まってフェで終わる言葉以外、発声は許されていないのだ!
しかし、こういうとき意外とクソ度胸を発揮するリョフメトが元気に、次いで、ナチュラルに空気が読めないラヴァが疲れ気味に暗黙の了解を破った。
「はーい! あたしチョコパフェがいいなー!」
「おかず系のクレープとかってあるか?」
「なんだとおーっ……!!?」
途端にいい歳ぶっこいたおじさんが
「すみません
「かしこまりました。少々お待ちください」
ダンディな髭の店主がカウンターの向こうに引っ込むと同時、ラヴァとリョフが苦言を呈してきたので、リラクタは額で青筋をピクピクさせる羽目になった。
「リぃ〜ラぁ〜、お前なんであたしらのまで決めてんだ、勝手かよ」
「リラちゃんってさあ、ときどきちょっとそういうとこあるよねえ」
「黙りなさい、こっちの台詞よ。……わたしこういう場面で、いつもこういう役回りさせられてる気がするんですけど……」
ともあれ、いちごパフェおじさんの噴火は避けられたので良しとする。
やがて運ばれてきた、ベルエフの言う「宝石の巨塔」に、ラヴァとリョフは状況も忘れて眼を奪われ、固唾を呑んでいる。
ここでもやはり自分が冷静でいなければならないのかと、リラクタは若干胃が痛んだ。
「さあ、溶けねえうちに食いな!」
「あ、その前に……」
なぜか誇らしげなおじさんに対し、彼女はなにかあったときのために持ってきた(もちろんこういう状況はまったく想定していない)一万ペリシ紙幣をテーブルの上に提示した。
「なあーにいーっ……!?」
途端にベルエフの顔色と声音が変わった。それは想定済みなのだが、リラクタはまたしても幼馴染たちから理不尽な糾弾を受ける。
「リラ、おっさんの話を聞いてなかったのか? 奢ってくれるって言ってたじゃねぇか。お前ほんとそういうとこあるよな」
「だよね。
「あなたたち、いい加減にしないと、マジで一回雷落とすわよ?」
そうする前にベルエフが察し、自分の巨塔を崩しかけていたスプーンを止めた。
「ああ、そうか……『非参加者からの直接的助力』だっけ? タダで飲み食いってのがそれに該当しちまうわけだ。お堅いねえ……だがこんなことで脱落なんてのは避けてえって慎重さは理解できるから、おじさんからはなにも言えねえな」
ようやく血の巡りが及ぶ隣の二人を尻目に、リラクタは目上に対する最低限の礼を尽くす。
「別にそうやって、わたしたちを罠にかけようという意図がなかったことはわかるわ。
だからこそ、厚意と甘味だけありがたくいただいて、後腐れなく対価を支払おうと思うの。
ちょうど運動後の補給をしたいと思っていたとこだし、どうせなら美味しいものを食べたいというのには、わたしも同意だからねー」
そう言って、ずずいっ、と紙幣を押し滑らせたのだが、なぜかベルエフは鋭く息を吹きつけて返してきたので、リラクタは顔が引き攣るのを自覚した。
「え、と……三人仲良く脱落しろと……?」
「違う違う。おじさん、いいこと思いついちゃったのよ。要は俺が非参加者なのがダメなんだろ?
だったら俺がお前らのうち誰かの
「「「……!!?」」」
特になんの他意もなさそうなその提案には、今度こそ三人揃って絶句するしかなかった。
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