第142話 すべてはスカッと殴り合うために


 次いで赤い蜥蜴とかげが指差したのは、談話室の片隅でデュロンと格闘訓練に勤しんでいるギデオンだった。


 ソファやテーブルなどはあえてどけず、足場の高低差なども利用した組み手が可能となる。


 赤帽妖精レッドキャップは動きを止め、トレードマークを脱いで一礼した。


「お初にお目にかかる。俺の名はギデオン。かつてエトランゼと呼ばれていて、アクエリカの……」


『そういういわくのありそうな自分語りを聞きたいんじゃなーいっ! ……いや、わかるぞ、お前たちのしようとしている主張が透けて見える!


 要は非参加者に対して喧嘩を仕掛ける権利を行使していると言いたいのだろう?

 どう見たってさっきから三人でローテーションを組んで稽古に勤しんでいるが、確かに互いにしか取っていないと言われればそうだ!

 ここも百歩譲って眼を瞑るとしよう!


 だがまさか、その男もヒメキア嬢の護衛の一部として参戦を見過ごせ、などと言うつもりではあるまいな!?

 敵が彼女を襲撃する道筋の上にたまたまその男が立っていたとか、そんな堅物ライバルの照れ隠しみたいな屁理屈も通用せんぞ!?』


 心配ない、ギデオンがそういう面倒な性格だったのは、パルテノイとイチャイチャし始める前の話だ。

 生来の純粋さを取り戻した愛の戦士は、すこぶる率直にものを言う。


「無論だ。彼らが脱落か優勝するまで、ヒメキア、リュージュ、デュロンに対し他のどの参加者が制圧行動を取ろうとも、俺は一切関知しないと誓う」

『……あえて問うが、それは契約か?』

「ああ。言い方を変えよう。あそこに椅子があるのが見えるな?」


 ヒメキアからかなり離れた位置にある、どこから持ち込んだのかわからない謎のスツールを指差し、ギデオンは誤魔化しのない言葉を発した。


「こいつらを狙う参加者が入ってきたら、俺はあの椅子に座って、素知らぬ顔で観戦している。

 たとえばヒメキアを営利目的で拉致しようとする輩が現れるとか、そういう場合はさすがに別だが、少なくとも誰かが誰かの首の珠の破壊を目的とする限り、俺はあの椅子から腰を上げん。これは契約だ」


 妖精族の謹厳さは知っているようで、ヴァルティユはしばらく考え込んでいたが、やがて重々しく首肯した。


『仕方がない、了承する。だがもうこれ以上はルールを掻き回してくれるなよ? おい、そこの小僧、お前にも言ってるんだからな?』


 昨日と比べてだいぶ風当たりの強くなったヴァルティユの態度にも臆することなく、爽やかな汗を乱雑に拭いながら、デュロンが横顔で凶暴に……いや、彼には珍しいことに、狡猾に笑んだ。


「なーねえさん、俺もおそらくアンタたちと同じ種類のバカだ。だから気づいちまったんだが……昨日から聞いた話のニュアンスを総合すると、要は……どんだけゴチャゴチャやろうと、それが最終的にスカッと殴り合う方向性に収まるなら、お咎めはナシなんだろ?」

『……なんだ? まさか、まだなにか仕掛ける気だとでも……?』

「おっと、わりーな。待ってた客が来ちまった」


 今日のデュロンには、妙なキレがある気がする。調子が良さそうで安心し、リュージュは彼に並び立って、寮の玄関から入ってくる人影たちを迎えた。


 数は三。いずれもラグロウル族の竜人戦士で、すでに首元に携えた半透明の珠が、各自の髪と同じ色に光り……そして、全員が戦意に満ち溢れていた。


「おっかしーんだよなぁ……どう考えたって不自然なんだ」


 灰緋色の髪の少女が開けた扉を左肘と右足で押さえながら、不敵に笑って能書きを垂れてくる。

 昔は扉を蹴り開けたりしていたことを考えると、いささかの成長が見て取れた。


「すげぇフワ〜っとした性質の膨大な魔力が、このへんに薄く漂ってんだが……そこにまったく異なる性質のはずの、ドヌキヴの影のニュアンスが含まれてやがる。いわば、クランベリーのジェラートに、無理矢理イカスミぶっ掛けたような状態なんだわ」


 そう。〈ロウル・ロウン〉の参加票である首の珠は俗に言う魔石の一種であり、魔力を通してもなんらかの効果があるわけではないが、魔力自体の毛色が少しだけ変わる。

 その違和感に対する引っかかりによって彼女らを誘き寄せたのだが……一方で毛色と言うなら、目の前の少女自身の変化が顕著に感じられたため、リュージュは挨拶がてら言及した。


「ずいぶん洒脱な言い回しを覚えたものだな、ラヴァリール。ようこそミレインへ、観光案内なら任せておけ」

「リュージュ……里抜けの裏切りモンが、このあたしに対等の口を利いてんじゃねぇぞ? てめぇを軽ーくボコして身の程を教えてやるってのが、今回のあたしの大きな行動目的なんだよ!」


 そこでラヴァの両脇を固めている、灰青色と灰緑色の少女が口を挟んだ。


「いやいや……『リュージュやチャールドを混ぜなきゃ、この世代の最強決めることにはならねぇだろうが!』って熱弁して、ラーちゃんがヴァルティユさんにゴネ倒したから、ミレイン開催を取り付けてもらうことが実現したんじゃなかったっけ?」

「ラーちゃんシスコンも治ってないわよねー」

「うるせぇよ!? どっちの味方だてめぇら!?」


 また見慣れた顔が揃っているものだなと、リュージュはつい頰を緩めて話しかける。


「リョフメト、リラクタ、お前たちとも久しいな」

「ヤッホー、リューちゃん元気? ラーちゃんが朝からうるさくてごめんね?」

「感動の再会をやろうにも、二年程度じゃ、お互いそんなに変わらないわよねー。ラーちゃんの身長も含めてだけどー」

「てめぇら、そんなに今ここで白黒つけてぇなら、まとめて相手してやっていいんだぞ……!?」


 そこでヴァルティユが口を挟んだ。


『ラヴァよ、私はむしろ、お前たち三人がいまだに徒党を組んでいることが気になるのだがな?』

「ゲッ!? いや、待ってくれよ姉ちゃん! 違うんだよ!

 あたしらだって、当初は市壁超えるときにバラけようぜって約束してたんだけど、この建物からもう明らかに誘い込んでるオーラ出てるだろ!?

 てことは、ここに来りゃ強ぇ奴らと当たれるんじゃねぇかと思って、もうちょっとだけこいつらとつるんで行動することにしただけなんだって!」


 デュロンが肩をつついてきたので、リュージュは頷いてみせる。実際に会ってみるとわかるのだが、ヴァルティユとラヴァリールは髪色は少し違うが、顔立ちや髪質はそっくりな、正真正銘実の姉妹なのだ。


 そしてその合図を見られたようで、ラヴァがデュロンに口角泡を飛ばしてきた。


「あっ!? おいそこの金髪! てめぇ今、『こいつ主催者の七光りで出場してんのかよ、ダッサ』とか思いやがったろ!? 普通に実力だクソが!!」

「お前、常にそのテンションでキレ散らかしてんの? それって疲れませんか?」

「やかましいわ!? つーか、てめぇが誑かし狼のデュロン・ハザークだな? ついでに転がしてやるから、受け身の練習だけやっとけやゴラァ!」


 ひとしきりヒートアップして一旦鎮火したようで、ラヴァはおもむろに声を低めた。


「……で、まぁ、安心しな。そこのクソ雑魚ひよこちゃんが単なる餌っつーか囮で、かつ食わせるつもりもねぇってのはわかってる。今日のあたしはすこぶる機嫌がいいんだ、珠だけを潰して終わりにしてやんよ。珠の肌には傷は付けねぇってやつさ」

「うう……またくそざこひよこって言われた」

「あっ!? わ、わりぃ……つーか、さっきも言われたのか? さては姉ちゃん、てめぇだろ!? 口の悪さ直せやボケ肉が!!」

他者ひとの振り見て我が振り直せということわざを知らんのかこの愚妹クソ団子は』

「ラーちゃんとヴァルティユさんは似たもの同士の合わせ鏡だから、そこんとこ自覚してね?」

「そんなことより、そろそろ始めましょ? わたし焦れてきちゃったわ……」


 ねっとりと舌なめずりをする灰緑髪の女……リラクタが自分を見ているのに気づき、リュージュは痺れるような感覚を味わった。


 それは気持ちの悪いものではなく、懐かしさと愛おしさの混じった高揚を胸に、彼女は同じ質の笑みを返す。


 その様子を横目で見ていたラヴァが、なぜか少し機嫌を損ねた様子で付け加えた。


「もちろんそのつもりだが……ちょっと待て。先に一つだけ消化させてくれ」


 そうしてラヴァは、ついに耐えられなくなったという様子で、ギデオンを指差して叫んだ。


「おい、そこのてめぇ! さっきからスカしたツラ晒して呑気にボーッと静観ぶっこきやがって、ふざけてんのか!?」

「あっ、バカ……」「余計なことを……」


 かかった、とリュージュはほくそ笑んだ。リョフメトとリラクタの呆れた呟きが、すべてを表している。

 リュージュたちはラヴァの性格を考慮し、彼女が勝手に「非参加者に対して喧嘩を仕掛ける権利」を行使して、ギデオンを巻き込んでくれるよう仕向けたのだ。

 所定の椅子に座って脚を組んだまま、戦闘妖精は冷静に両手を挙げた。


「意味がわからんな。見ての通り、俺は誰の相棒バディでもない。完全に無関係な通りすがりの一般市民だから、どうか気にしてくれるな」

「なにを言ってやがる!? 筋肉と得物と殺意を、一つも隠し切れてねぇんだよ!

 姉ちゃんになにを言われたか知らねぇがよ、あたしらが踏み込んだたった今、この談話室はあたしらラグロウル族の崇高な闘技場と化した!

 てめぇはいわば、その聖域に閉じ込められたと考えろ! 喧嘩の現場に立ち会いながら無関係決め込んでやり過ごそうなんざ太ぇ野郎だぜ、その腐った根性をあたしが直々に叩き直してやる!」


 ギデオンはなんてことないふうを装って、ヴァルティユへ端的に確認を取る。


「だ、そうだが、俺はどうすればいい?」


 赤い蜥蜴は嘆息するが、それは必ずしも呆れだけを湛えてはおらず、薄く笑っているのがわかる。


『ああ、みなまで言うな。これ以上私を野暮な女にしてくれるでない。


 ヒメキア嬢は別枠として……この状況で二対三と三対三なら、果たしてどちらが盛り上がる?


 どう考えたって後者に決まっているだろう。


 存分にやり合うといいさ。なんならゴングでも鳴らそうか?』


「いや、必要ない」


 リュージュとリラクタ、デュロンとリョフメトが対峙する。


 ヒメキアは王様の椅子に落ち着きなく座り、猫たちとともに成り行きを見守っている。


 そしてギデオンはラヴァリールと向き合い、いつになく本能剥き出しの獰猛な笑みを浮かべた。


「こいつの言う通りだ。遭遇すると同時、俺たちの間に戦う以外の選択肢は消えている」

「違いねぇっ!!」


 赤い閃光が弾けたかと思うほど、ギデオンとラヴァは苛烈な高速接近を果たしてぶつかり合う。


 次いでデュロンとリョフメトの拳同士が、轟音を立てて正面衝突事故を起こした。


 最後に、ややスロースターターの自覚のあるリュージュが、同じくゆるりと構えるリラクタに向けて宣言した。


「それでは本日の〈ロウル・ロウン〉を始めよう」

「お手柔らかにね、リューちゃん♫」


 言葉とは裏腹に容赦なく炸裂する、美しい緑色の火花を、リュージュは同色の装甲で受け止めた。

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