ロウル・ロウン 1日目 起の段・奇果邂逅

第141話 今回もまた台風の目となるクソ雑魚ひよこちゃん


 今の今まで格闘訓練でもやっていたようで、上気した顔で現れたのは、リュージュ・ゼボヴィッチとデュロン・ハザークだ。

 この二人の名前が漏れているようでは、ミレインの戦力情報を網羅したとは言えない。


 なにか狙いがあるらしい二人の確信的な雰囲気に安堵を得たようで、天使の少女は自分で珠のついたチョーカーを、その細い首に装着した。

 そしてタピオラ姉妹に両脇から耳打ちされ、彼女はたどたどしく宣誓する。


「わ、われら、たましいのはんりょとならん!」


 結果、赤紫色の髪も含め淡く鮮やかな色調で統一されていた彼女の風体の中で、黒く輝く小さな珠が異彩を放つことになった。

 それを確認し、姉妹は慌てて少女に懇願する。


「よっしゃ! そんじゃヒメキアちゃん、お願い!」

「治して治して、その子を治して!」

「わ、わかった! いっくよー、それー!」


 呆気ないほど簡単に五体へ力が戻り、あれほど気張って抑えていた出血がスッと治まったことで、ドヌキヴはむしろこちらが心地の良い夢で、実際には自分は死んでいるのではと思ったほどだった。

 しかし、やはり夢ではない。ドヌキヴは自然に跪き、こうべを垂れていた。


「かたじけない……感激の至りにござる! 拙者、このご恩を万倍にしてお返しする所存!」

「えっ、わ、大丈夫だよ! ケガしたら、いつでもあたしのところに来てね! わーって治しちゃうからね!」


 そしてその後ろで、タピオラ姉妹が聞こえるように陰口を叩いてくるので、ドヌキヴは気づかされた。


「ていうかそのキャラ出せるのね……」

「意外と余裕あったっていうかさ……」

「あっ! ご、ごめんなさいごめんなさい! 助けてくれてありがとう天使さん! 死ぬかと思いました! わわわ、わたしを奴隷にしてください! あなたに一生仕えます!」

「なに言ってるの!? あ、あたし、そんなことしないよ! あたしの魔力は無限だって、パパが言ってた! なくならないから、いっぱいあげても大丈夫だよ! だから気にしないで!」


 天使のパパということは、つまり神の言葉だろうか? これを機に改悛し、ジュナス教へ宗旨替えするのも悪くないとすら、今のドヌキヴには思えた。


 天使には下界の下品な言葉は理解できないようで、薄汚い俗物どもに尋ねている。


「ニゲルちゃんヨケルちゃん、たましいのはんりょってなに?」

「ごめんヒメキアちゃん、巻き込んじゃった! ……あれ? リューちゃん、悪い顔してるね?」

「ふふ、まあな」

「デュロンくんも悪い顔してる。あ、それは元からか」

「俺の扱い……まーいーや。えーと、ドヌキヴっつったな? この場でやり合うのも具合が悪いし、ここは手打ちってことで、このまま話を聞いてってくんねーか?」


 ドヌキヴとしても実質一対二で正面から勝てる相手とは思えないため、黙って頷く。

 デュロンに代わり、リュージュが説明した。


「実はわたしとデュロンは、明日の方針で迷っていた。様子見に徹するという案も、積極的に出歩いて戦うという案もあったのだが……お前のおかげで、良い方に固まったぞ。つまり折衷だ」


 曲がりなりにもニンジャを志す者ゆえ、ドヌキヴもピンときた。


「待ち伏せ……だね?」

「しかり。こちらとしては、面倒な奴らはまとめて叩いてしまいたい。そしてこうなってしまった以上はヒメキアの傍にいて、余計な乱暴を働かれないように守ってやりたい。期せずして上手く噛み合っているわけだが……なんならお前も噛まないか?」


 魅力的な提案ではあるのだが、共闘という名目であっても、これ以上世話になるわけにはいかない。それに……と、ドヌキヴは内心を開示した。


「ううん、やめておく。おそらくブレントは、この罠にはかからない。わたしはとにかくあいつに借りを返したいから、しばらく潜伏して機会を待つよ。また会ったら、そのときはやり合おう。今ここで聞いたことは、すべて忘れることにする」


 リュージュはどこか寂しげな表情を見せたが、すぐに悪戯っぽく頰を緩める。


「おっと、甘いことを言うものだな。我々の作戦を把握した間者を、このまま帰すとでも思うのか?」


 ドヌキヴも自然に笑みが浮かび、相応しい口上を述べ上げた。


「とかくこの世は世知辛く、しかしてなお垂らされた救いの糸に感謝が尽きませぬ。

 けれども申し訳ないが拾ったこの命、手前勝手に使わせていただく。

 それではこの場は一旦閉幕でござる! どうか皆様、ご壮健に!」


 事実上の解散号令を発して、影に姿を晦ませたドヌキヴは、これまでにない高揚を覚え、寮の庭から夜の街へと走っていた。

 体も心も、とても軽くて気持ちがいい。


 勝っても負けても、明日は楽しいことになりそうだ。

 癒えたばかりの胸一杯に、そんな予感がした。




 翌朝、寮の談話室。リュージュはソファの背もたれの上に佇む赤い蜥蜴とかげの前で、拳を包み、膝をついていた。

 ヴァルティユが動揺しているせいか、使い魔はうっかり二足歩行し、両手で頭を抱えて呻き声を発している。


『リュージュよ……私はつい昨夕まではお前のことを大人しい優等生だと思っていたのだが、認識を改めた方が良さそうだな?』

「はい……わたしも自分のことは、そうあれかしと思っていたのですが」

『私がちょっとうたた寝……もとい、眼を離した隙に勝手なことをしやがって……!

 朝起きたら闇の金持ちどもから「ちょっと運営ちゃん、こういうのアリなの!?」「要審議! 要審議でしょ!」という大量の苦情が届いていたときの気持ちがわかるか!?

 あいつらは外から勝手に賭けてるだけだから別に聞いてやる義務はないのだが、それはそれとして貴重なご意見ご指摘の内容はもっともだから、無視するわけにもいかんのだ! うがーっ!』

「ヴァルティユ様、落ち着いてください。一つずつ整理していきましょう」

『お前に言われたかないが、その通りなので従おう!』


 自棄になりつつも冷静で、下の意見を汲める素晴らしい師匠だと思う。

 赤い蜥蜴は器用に地団駄を踏み、談話室の正面奥、暖炉の前を指差して叫んだ。


『まず一つ目! なんであの子を相棒バディにした!?』


 同僚たちの間では「王様の椅子」と呼ばれている一番新しく上等なソファは、今のようにほとんど誰もいないときは、休憩中のヒメキアと猫たちが占領している。

 主含めてビクッと反応した小さな騎士団を身振りで窘め、いけしゃあしゃあとリュージュは述べた。


「それは、ドヌキヴに言ってくださらねば……」

『だ〜ま〜れ〜、お前たちが立ち会っていたという調べはついている〜! ……そういえば元凶であるニゲルとヨケルはどこだ?』

「今日は市内を散策するそうです。『安心してくださーい、戦闘の邪魔はしませーん☆』と言っていましたよ」


 ちなみに、イリャヒが自分に無断でブレントと組んで参加した(彼は昨夜、寮に帰ってこなかった。結婚当時から住んでいたという、ブレントの家に泊まっているのだろう)ことに文句を言っていたソネシエは、今日はに回されることになり、いささか機嫌を直した様子で朝早くに出て行った。アクエリカはこういうところ、本当に融通が利く。


『あいつら、帰ってきたらケツ擦り減るまでシバく。……それはいいとして、お前もわかっているだろう?〈ロウル・ロウン〉は喧嘩祭りだぞ。そこへ来て、なんだ? あの、どこからどう見ても戦闘能力ゼロの、クソ雑魚ひよこちゃんは!?』

「ヴァルティユ様、それは本人が結構気にしていることなので……」

「うう……あたし、くそざこひよこで、ごめんなさい……」

『あっ!? いや、君が悪いわけじゃないからな! ……ほら〜、こういうことになるだろうが〜!』

「申し訳ありません。しかし我々も意図したわけではなく、成り行きといいますか……」

『あーそれはわかっている……だが、という想定外の存在ゆえ矛盾が生じ、理論的には誰にも手出しができないという、いわば閉じ込められた聖域が発生してしまっていることはどう処理するつもりだ!? ドヌキヴを倒すことしか彼女をリタイアさせる方法がないというのは、有利すぎると思わんか!?』


 確かに、まるでルールの穴を突くような不遜な形になってしまったことは、リュージュも忍びなく思っていた。


「その点に関して、こちらから提案がございます」

『……言ってみろ』

「ありがとうございます。ご覧のように、ヒメキアにはアクエリカの使い魔が常時随伴し、彼女を護衛しています。そこで、彼らを看做みなした上で、彼女を戦闘要員の扱いにしていただけませんでしょうか?」

『待て待て、盤上にお前ら側の駒がさらに増えたというのは私の気のせいか?』

「しかし現状、それが次善の策かと」

『お前、調略上手くなりすぎ。さては親友の影響だな? まあいい、それに関しては認め……たいところだが……なあ、さっきからその、ヒメキア嬢が、ものすごい規模で魔力垂れ流してるように感じるんだが?』


 バレてしまってあせあせするヒメキアに代わり、リュージュがハキハキと弁解する。


「はい、これもわたしたちの指示でそうしてもらっています。ご存じの通り、我々竜人族は魔力感知も中途半端。しかしこうして能動的に垂れ流せば」

『あーもういい。わかった、盤内の戦術に関してはなにも言わん。

 だが、もう一つの方はさすがに看過できんぞ!

 なんだそいつは、誰なんだ!?』

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