第138話 唐突に差し挟まれるサイコパス診断


 ブレントはドヌキヴの撃破を確信していた。

 勝利条件が珠の破壊であることはもちろん知っているが、殺した後に勝ってはならないなどとという法もないだろう。

 殺しを抑止する趣旨も把握してはいるが、殺しを否定する常在戦場など、ちゃんちゃらおかしいにも程がある。


 しかし、あまり長いことこうして禿鷹のように、至近距離でじっと見つめて死ぬのを待っていても仕方がない。

 そろそろ初戦の終結に着手しようかと彼が思ったところで、ドヌキヴが苦しそうに顔をしかめた。


「おやおや、かわいそうに……すぐに解放してあげますからね」


 余裕の笑みを浮かべて囁きつつも、彼の中で冷静な部分が無意識に思考していた。


 水をコンセプトとするこの渇殺劇毒サーストポイズンは、意識混濁からの緩やかな絶命をもたらす、静かなる死神だ。

 過去の実証実験における経過観察とは、表情の反応がずいぶん異なることが気にかかる。


 仮に演技だとすれば、狙いはなにか?

 答えは一つ、急速な吸気行動をギリギリまで悟られないための偽装に他ならない!


「shhhhh……!!」


 このときドヌキヴはうつ伏せに倒れていたので、胸部や腹部の膨張をブレントからは見て取ることができなかったというのも大きい。

 彼女の開いた口から無声音とともに、水に溶かしたインクのような質感の、宵闇よりもなお昏い真っ黒な煙状の物質が、ブレントの視界を一気に覆う。


「しまった……」


 慌てて似非ニンジャがいたあたりを手探りで搔き分けるが、死にかけの肉体を掌握することは叶わない。

 ラグロウル族を含む竜人族は、ただでさえ感知能力がどれもこれも中途半端であるところへ来て、ドヌキヴの吐く絶影息吹シャドウブレスは、それら視覚・嗅覚・聴覚・魔力知覚のすべてを遮断する効果があるのだ。


 そして目晦ましを焚いたところで、逃げるための体力、もとい体液が残っていまいと油断していたのだが……どうやらドヌキヴは息吹ブレスに訴え、出血量を恣意的に抑えながら遁走したらしい。

 この数年で成長していたのは、ブレントだけではなかったということだ。


 濃密に滞留していた煙幕が消え去ったのは、悠に10秒も経った頃だった。

 ニンジャガールに見事な「ドロン」を許してしまった毒殺神父は、相棒であるべき眼帯紳士を横目で伺う。


 帽子で仰いで煙を散らすという行動を見せているが、こと彼に限っては呑気な手抜きと呼ばざるを得ない。

 ブレントはそれを糾弾しようとするのだが。


「イリャヒくん、君の固有……」

「しっ!」


 二度目はみなまで言わない……というより、説明代わりに行動で示す、ということのようで。


「そこですね!〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉!」


 吸血鬼は口元に立てた人差し指を、振り返り様に鋭く背後へ向けて叫んだ。

 青い炎が迸り、一見なにもない煉瓦屋根が破壊されたが、何者かが慌てて跳び退き、「やば」と呟くのがブレントにも聞こえた。


 全身を不可視化し、宵闇の中に潜伏していたドヌキヴとはまた別の少女は、その姿を輪郭しか捉えさせず、早急に立ち去った様子だ。誰なのか見当はついた。


 どうやら今回の参加者は、ほぼ全員がを使えると見て良さそうだ、とブレントは辟易で頭を掻いた。

 おそらく赤い蜥蜴とかげの主が、若い衆に惜しみなく教えていたのだろう。


 ブレントは使い魔の姿を探したが、すでにこの場から去った後のようだった。

 つまり、本日の〈ロウル・ロウン〉はおしまい、ということらしい。


 いずれにせよ、あのままドヌキヴが助かるとは思えない。

 勝ち点を競うルールでもないので、一人くらい死んで浮いても問題はない。


 そう認識したブレントは、改めてイリャヒへ笑みを向けた。


「なるほど、君の判断が正しい。煙幕を晴らしても結局ドヌキヴは捕まらなかったでしょうし、あれに君の〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉を使っていたら、タチアナに見られ損でしたね」


「ああ、今の透明の子はタチアナというのですね。ええ、ご理解いただけて良かったです。

 私もあなたも攻撃特化型ですから、攻め手が切れたときが負けるときと考えた方がよろしい。

 今宵はまだ序盤も序盤なわけで、広げる札は少ないに限ります」


「その通り。……ところでイリャヒくん、つかぬことを……その上、失礼かもしれないことを訊きますけど」

「なんでしょう?」


 宣誓時の文言に表れているように、〈ロウル・ロウン〉における相棒バディは魂の伴侶とされている。

 一定以上に協調できる人物であることを、早めに確かめておくに越したことはない。

 ブレントは躊躇なく尋ねた。


「10年前、君は拷問紛いの虐待を働く父親の命を奪ったそうだけど……今もそのことを後悔しているかな?」


 さすがにいきなりなので、イリャヒは当惑した様子を見せたが、すぐに笑みを取り戻す。

 だがそれは彼の本質である憤怒を表現し、嗜虐に満ち溢れた表情だった。


「ええ、毎日のように後悔していますとも。火急の事態だったとはいえ、なぜ一思いに殺してしまったのだろうかと。

 もっと時間をかけて責め苛み、甚振り尽くし……あの偉そうな能無しのゴキブリ野郎がこの私にしたことを千倍にして返すという自然な報いを受けさせ……いったい誰を敵に回したのかを腐り切った脊髄に教え込み、煩悶と絶望の末に似合いの地獄へ叩き落としてやることができなかったのかと、何度も何度も思い返しては、己の未熟さを呪うばかりです。

 なので、命は尊いというあなたのお考えに、強く共感しますよ。だって、たった一つしかないのですものね。

 一度殺してしまったなら、二度と死なせることができない……大切なものは失ってから気づくというのは、まさにこのことですね」


 ブレントはイリャヒに限界まで顔を近づけ、語る彼の眼が純粋な闇を湛えていることを見極める。

 狂気の部分を掬い取って見せられているようにも感じたが……誠実な、しかも好みの答えであることには違いなく、ブレントはとても満足した。


「やはり、君を僕に引き合わせてくださったアクエリカ様は、さすがのご慧眼としか言いようがない。頼りにさせてもらいますよ、イリャヒくん」

「御意に」


 ぴったりの相棒バディを得て、初戦は上出来、夜風は爽やかに通り抜けていく。最高の気分だ。

 今回の〈ロウル・ロウン〉は大いに楽しめそうだと、ブレントは瞬き始めた星々へ報告しておく。




「……っ……! は……ぅ、あぁっ……!」


 自分の呼吸がもはや荒れることすらなく、静かに終息していくのを、ドヌキヴは鈍り続ける頭で感じていた。


 ブレントと眼帯の男を煙に巻いて逃げ果せた後も、彼女は闇雲に走っていたわけではない。


 ミレインの祓魔寮エクソスドームにある浴場には薬湯が湧き、いささかの回復効果があるという情報を掴んでいる。

 自前の再生能力さえ復調すれば命に関わることはまずなくなるので、新米の祓魔官エクソシストかその候補生か、あるいは単に寮生の身内でも装えば、この朽ちかけの身が癒えるまで浸かることくらいはできよう。


 ラグロウル族の気風を根拠とし、犯すと失格を食らう暗黙ルールの一つに、「正当な理由なく非参加者の手助けを受ける」というものがある。

「正当な理由」の内訳は置いておくとして、都市生活における良識も棚上げするとして……盗泉による勝手な沐浴なら、野蛮な喧嘩祭りである〈ロウル・ロウン〉ではむしろ加点対象なくらいだ。


 まだ脱落したくはない。もちろんこんなところであのクソ毒野郎に引導を渡されるというのも、まっぴらごめんの断固拒否である。


 しかし、もう……意に反して、体がまったく動かなくなっていた。


「やだ……やだよ……まだ、なんにも、できてないのに……」


 視界が赤みを増していくのでもうわからないが、彼女が倒れたここは、おそらく寮の庭だ。

 前にこっそり入手した見取り図では、確かこの奥……あと、何十歩……?

 ところで、なん、だ、この芽は……? 植物、リュージュ……元気だろうか……?

 夢、か……? 大きく、なるのか? 夢だけど、夢じゃないのか……?


 思考が淀み切り、眠りに落ちる寸前のように支離滅裂となっていることを自覚しながらも、それは逆らえぬ明晰夢に過ぎず、もはや彼女にできることはない。


「死にたく、ない……マ、マ……助け、て……」


 走馬灯らしきものもいちおう巡ってはいるのだが、ここ一番で役にも立たない答えを吐き出してきやがった。つまり、こうだ。


 たとえば、もしも……なにもせず、存在しているだけで周囲に癒しを与えるような、文字通りに呼吸する祝福ブレスのような魔族がいたら。


 しかもそいつが、都合良くこの瞬間に、機械仕掛けの神のごとく、彼女の眼前に現出したら。


 そんなありえない奇跡が起きたなら、ドヌキヴは命も、喧嘩祭りの参加資格も失わずに済むのに。


「……?」


 しかし、そんなバカバカしい考えも、今際の苦しみを紛らわすための、甘美な幻覚くらいは投げて寄越すようだ。


 今、寮の上階から赤紫色の大きな翼を広げ、肩と腕に計3匹の猫をしがみつかせ、大きな翡翠の眼を見開いた愛らしい少女が降臨するのも、この世界が彼女にもたらす最後の優しさなのだろう。


 ふわりと軽やかに着地した天使は、眉をキリッと吊り上げて、あえかな……いや、やけにハッキリとした幻聴を発した。


「しっかりして! まだ治るよ!!」

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