第137話 脳味噌ぐるぐるの殺害狂


 ドヌキヴとの遭遇から、30分ほど時を遡る。


 イリャヒ・リャルリャドネは、本日の業務を終了しました……と言おうとしていたところで、なぜか彼はアクエリカのオフィスへ呼び出しを受けて、〈ロウル・ロウン〉とかいう傍迷惑な喧嘩祭りについての説明を受けていた。


 質問はいくつもあったが、一つ一つ消化していくしかないなと思い、いつも機嫌が良さそうな感情の読めない上司に、イリャヒは気になったことから尋ねていった。


「グランギニョル猊下、あなたは一般市民への被害という概念をご存知でしょうか?」

「もちろん存じ上げていましてよ。今日、あなたが任務で市外へ出ている間に、街中に広報しておきましたもの。

 そういえば、それとは関係ないのだけど、夕方に東の空からドラゴンさんが飛んできたんです。すごかったわ〜」


 この、肉体と頭脳と魔力が比類なく育った幼女のような才媛、本当に性格だけが6歳くらいで時計の針が止まっているのではないだろうか。

 無邪気に笑う〈青の聖女〉に対し、普段メリクリーゼが抱えている心労の重さを察して、イリャヒは胸中で敬服しながらも続けた。


「そうですか、私も見たかったです。しかし」

「大丈夫よ。開催期間中はあまり外へ出ないように通達しましたし……そもそも彼らラグロウル族は、非戦闘員に手を出すことを極端に嫌う気風を持っているの。

 詳しくは後で誰かが説明してくれると思うけど、違反すると赤バンを食らう、暗黙の禁止事項の一つなんです」

「赤バンとはなんでしょう?」

「あ、わたくしが勝手にそう呼んでいるのだけど、眼に余る行為を働くと、参加票であるチョーカーについている半透明の珠を、赤い蜥蜴とかげがバンってしに来るらしいの。本当よ?」


 午睡で見た夢の話をされているようにしか思えないが、後でリュージュあたりに確認してみようと、イリャヒは思った。

 アクエリカは優雅に肩をすくめて、本題へ戻る。


「それでね、冷静で賢いわたくしと違って、バカで頭のおかしいブレントはそういうことを考えられないでしょうから、あなたに相棒バディとして参加してもらって、彼が暴走しないよう制御してほしいの。

 で、さらに贅沢を言えば、穏当に敗退させてくれればベストなのだけど。ただし、手抜きはナシで」

「サラッと超難度のタスクを課すのやめてもらえます? 前者は鋭意努力しますが、後者は……あれ? もしかして、手を抜いたり、示し合わせたりして、わざと負けるのもタブーだったりします?」

「一番ダメね。赤バンで済めばむしろマシ。助っ人である相棒バディであっても関係なく、最悪のペナルティに巻き込まれる可能性が高いわ」


 参加者同士の勝敗だけでなく、そういう天譴じみた要素も介在するらしい。

 これを逆用して対戦相手を退けるというのもつい考えたくなってしまうが、おそらくこの場合はそれ自体が難物なので、ひたすら触れずに戦闘だけやっておくのがベターと思われた。

 いずれにせよ、イリャヒに許された返答は一つだ。


「心してかかります。そういう欺瞞や韜晦は得意分野ですし……確かにこれは、私より適した者はいないかもしれませんね」

「そうね。狂気と理性の狭間に立っているあなただからこそ、仮初であってもブレントの信頼を勝ち取り、また彼に呑まれずに済むと期待しています」


 急に真剣味を帯びたアクエリカの声音に合わせ、イリャヒも核心に切り込んでみる。


「……以前から噂として耳に入ってはいたのですが……本人に面談したり、正確な資料を参照しておられるであろう猊下のお口から、彼がなんというか、なぜあんな……」

「脳味噌ぐるぐるの殺害狂?」

「脳味噌ぐるぐるの殺害狂になってしまったのか、教えていただけませんか?」


 アクエリカは口元に手を当てて眼を伏せ、記憶を喚起・整理した後、話してくれる。


「3年前、彼が里を出て街へ下りてきた動機は……その頃の彼はまだ頭がアレではなかったから、純粋に世界の広さを見てみたいとか、都市生活を送ってみたいとか、そういう感じだったようね。それどころか、自分が生まれつき肺に宿した劇毒息吹ポイズンブレスを、疎ましく思ってすらいたのだとか。

 そして当時のラグロウル族はまだ蛮族指定されていなかったから、このミレインで腕っ節を認められて、普通に祓魔官エクソシストとなった彼は、恋仲の女性と結婚し、穏やかな家庭を築いていたのだそう。

 わたくしやあなたのような感性の腐ったクズには到底望めない幸せで、眩しいわよね」

「余計なお世話だと言いたいところですが、その通りなので反論しません」


 話の流れが読めたイリャヒが眉をひそめてみせると、アクエリカも美しい面貌に悲壮を湛え、水に波紋が落ちるように静かな語りを続ける。


「しかし、あるとき……仕事帰りの彼を迎えに出た路上で、妻は原因不明の死を遂げた」

「……もしかして、俗に言う〈災禍〉ですか?」

「未確認のものを未確認のやつですと呼ぶのは癪だけど、そういうことになるわね」


〈災禍〉とは、この魔族社会において一定の頻度で起こる、自然事故なのか殺害事件なのかわからない、都市伝説の所産に等しい一連の変死現象を指す用語だ。

〈恩赦の宣告〉の偶発的な反動に近い代物だとか、それと同根の力が無作為に働いているとか、諸説はあるが、いまだ解明には至っていない。


「妻は善良な街娘だったそうで、なぜそんなものがいきなり降りかかるのか、理解も受容も拒んだブレントの心は、一発で壊れてしまったのでしょう。

 妻の亡骸を抱えた彼は、その場で泣きながら笑い出したと、当時の証言記録が残っているわ。


 ここからはわたくしの推測だけど……ブレントは妻の無情な死をなんとか正当化し、一生消えない悲しみを強引に塗り潰すため、娯楽と称して後発の多彩な死を作り出す、悪趣味な芸術家まがいのライフワークを始めたのだと思うの。


 あるいは妻の死の原因を究明しているうちに、死そのものに取り憑かれてしまったのか……

 それとも数年経ってなお彼女の棺に捧げ続ける、副葬の供犠のつもりなのかも」


「そんな人物が、よく今まで解雇されませんでしたね」

「上からは何度か問題化されたようですが、残念なことに、毒使いとしての覚醒を遂げたブレントは、殲滅工作員としてあまりに有能すぎた。

 本質的な危険性を理解しつつも、ジュナス教会は……特にわたくしの前任ミレイン司教が、彼を重宝してきたというのが実態のようですね。

 もちろん敵しか殺していないわけですが、どうもやり方が過剰というか、過激というかね」

「そのド厄ネタを一身に押し付けられた私の気持ちっておわかりになります?」

「がんばれ♡ がんばれ♡ イリャヒがんばれ♡♡」

「魅惑の応援も、信奉者ではない私には効かないんですよねー」

「でしょうね」


 あざとい顔と猫撫で声に飽きたようで、急に真顔かつ地声に戻ったアクエリカはため息を吐く。


「話を聞いていたらわかったと思うけど、たとえばギデオンなんかとそう違いはないとも言えるのよね。だからあんまり酷い罰を与えるのも……」

「呼んだか?」


 無遠慮に扉を開けて現れた戦闘妖精に対し、アクエリカはニコニコしたままで怒りのオーラを発しながら言った。


「呼んだけど喚んでないわよ。ねえギデオン、何度言ったらわかるんですか? 次ノックせずに入ってきたら、わたくしが全身全霊でパルちゃんにいたずらするわよ」

「やはりお前とは決着をつけなければならないようだな。そこに直れ」

「誰に向かって口を利いているのかしら、この筋肉赤キノコくんは?」


 いきなり一触即発の雰囲気になっているが、この二人は結局いつもこんな感じなので、イリャヒは形だけ止めておく。


「ああもう、やめなさい、そこの28歳児と23歳児。メリクリーゼ女史がいないところで喧嘩を始められると、私では収拾がつけられないのですから」

「イリャヒ、俺に加勢しろ」

「嫌です。逆も嫌です」


 ギリギリと押し込んでくるギデオンの斧に対し、水の魔術で拮抗しながら、涼しい顔でアクエリカが最終通告を飛ばしてくる。


「とにかく上手くやりなさい、イリャヒ。今、ブレントも呼んでおいたから、回廊を戻れば途中で鉢合わせるはずよ。

 わたくしは見ての通りギデオンへの指示で忙しいので、顔つなぎはできません。ごめんなさいね」


 自分はブレントに会いたくないので、お前の方で勝手にしてねということらしい。


 了承の意で帽子を胸に当て、イリャヒは喧騒が始まりつつある教区司教のオフィスから退散した。

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