第136話 要は図鑑を作りたい的なアレ


 少し時を進めて、宵の口。

 陽の長くなってきた初夏とはいえ、そろそろあたりが闇に包まれ始めた頃、制服の長裾を生温い風になびかせ、ミレインの街を歩く姿があった。


 黒髪黒眼に黒服眼帯、美形に痩躯の優男。

 最近手に入れ、標準装備に追加された黒い帽子が、ますます古式ゆかしき吸血鬼の典型へと、その風体を完成に近づけている。


 イリャヒ・リャルリャドネは一仕事終え、直属の上官であるベルエフ・ダマシニコフへの報告を終えたので、今から帰寮するところなのだが……その前にこの街における最高上官であるアクエリカ・グランギニョルからの呼び出しを受け、ある因果を含められてきたところだった。


「まったく、また面倒な指示を受けてしまったものです……任務ですから、やりますけどね……」


 ブツブツ言いながらフラフラ歩く彼だが、積み重ねた実戦経験が形成した純然たる直観が、通りすがった小広場の隅、街灯の下あたりに潜伏する存在を見逃さなかった。


「そこのあなた、出てきなさい。覗きとは、趣味が良くないですよ」

「……フフ……バレたか。さすがはミレインの祓魔官エクソシスト、練度が違う」


 なにもない空間から、まるで夜の帳そのものを裂いて現れたように、小柄な少女が姿を見せた。

 最高クラスの精度で闇を透徹する吸血鬼の夜目が、短めに切り揃えられ、風車型の髪留めで飾られた艶のある黒髪が、正確には灰黒色であることを把握する。


 そして彼女は、タイツ地かつやたら露出度の高い、動きやすさを重視していると言えなくもない、奇妙な服装をしていた。

 イリャヒが言及する前に、少女は両手を意図のわからない形に組んで、高らかに名乗りを上げる。


「驚かせてしまって申し訳ない! 拙者の名はドヌキヴ・ナバリスキー! ラグロウル族の竜人戦士であり、ニンジャとして闇を駆る者でござるっ!」

「……この街には、こういうのしか集まらない呪いでもかかっているのですか?」


 胡乱な表情で見返すイリャヒの様子を勘違いしたようで、少女……ドヌキヴはカッと眼を見開いた。


「むむっ? さてはニンジャをご存じない? これはしたり、拙者の周知不足なり! ニンジャというのは、簡単に申すと、東洋の間諜でござるよ!」

「なるほど、よくわかりました」

「わかっていただけて光栄至極」

「それが本当なら、あなたファッションどころか、純粋な偽物じゃないですか」

「初見でそこまで全否定するか普通!? やはり、ミレインは魔境……聞いてた通りでござる!」


 面倒くささの塊のような相手へ、イリャヒは仕方なく業務として対応した。


「それで、私になんのご用ですか? あいにく幸せになれるお薬の待ち合わせはありませんよ」

「あいや待たれい、早合点が過ぎる! 拙者は正気も正気、精神壮健にして、この魂は野心に燃えてござる! ……失礼、お名前を伺ってもよろしいか?」

「イリャヒ・リャルリャドネと申します」

「イリャヒ殿、端的に申し上げる! 拙者と組んで、此度こたびの〈ロウル・ロウン〉を戦ってくださらぬか?」


 来た、というのがイリャヒの正直な所感だった。しらばっくれても話が進まないので、こちらも端的に確認する。


「それはつまり、私にあなたの相棒バディになってほしいということですよね?」

「話が早くて助かるでござるっ! わか、どうか拙者にお力添えを!」

「若はやめてください。……まあ、あなたの能力に興味がありますし、お受けしたいのは山々なのですが……」



「そう。あいにく、先約が入ってるんですよね」



「!?」

 割って入った声に、ドヌキヴが過剰なほどに反応する。


 しかしその震えは精神的な動揺のみを原因とするものではない。

 半分は生理的な代物で、少女の眼、鼻、耳、口から出血が起こり、再生能力を無視して流れ続けるので、彼女はその場にへたり込んでしまった。


 場面に似合わない、陽気な靴音が踊るように近づいてくる。

 チャールド・ブレントは灰藍色の短髪を手持ち無沙汰に掻きながら、眼鏡の奥の琥珀色の眼を光らせ、明確な嗜虐で口元を歪めている。


「だから言ったでしょう、イリャヒくん。君のような精強な吸血鬼が魔力を垂れ流して歩いていたら、スカウト狙いの独り者が容易に釣れると」

「確かにおっしゃる通りでしたが……この手口ってルール違反にならないのですか?」


 ドヌキヴがもはや動けないのをいいことに、ブレントは嬉々として教導を始める。


「おっと、さっきの説明は中途半端だったかもしれません。なぜ交戦が基本的に日中に限られるかというと、我々竜人族が、そこまで夜目が利くとは言えないからなんですよね。

 といってもあくまで、細かいところを見逃してしまう危険性がある、という程度の意味なんですが。つまり、監視や審判をする側の都合ということだね。そうでしょう?」


 最後の一言はイリャヒでもドヌキヴでもなく、いつの間にかブレントの足下を歩いている、小さな赤い蜥蜴とかげに向けられたものだった。

 主催者である遠地の竜人が操るその使い魔は、眼には琥珀色の光を、舌には分不相応な知性を湛えて、主の言葉を代弁した。


『ああ。ここなら民家の灯りと街灯で視界は十全だ。貴様らに張っているお歴々からも苦情は出まい。私からも文句はないな』

「ありがとうございます。いやーやっぱりミレインの平和な街並みは最高だなぁ!」


 あっはっは! と邪悪な快活さを見せるブレントへ、イリャヒは冷静に質問を重ねる。


「いえ、そちらではなく……未エントリー状態で奇襲を仕掛けるというのは、いかがなものかと」

「ああ、そっちですか。僕の言い方が紛らわしかったかもしれないですね。

 確かに君はまだチョーカーを装着してすらいなかったので、僕の相棒バディとして登録されていません。

 ですが、見てください。このように、相棒を設定しなくても、まず一人でエントリーして、その後で相棒を決めるということも可能なんです」


 ブレントは自分が首に着けている珠と、ドヌキヴの喉元で光る珠を順に指し示す。

 前者は藍色、後者は黒色の輝きを、相棒の有無に関係なく、すでに湛えている。

 そしてブレントは自分の珠に、殴りダコの目立つ拳を添えながら解説を続けた。


「僕や彼女は、すでに、こう宣誓してエントリーしています。『我、灰竜の闘技に名乗りを上げん』。で、相棒が見つかったら、追加でこう言うわけですね。『我ら魂の伴侶とならん』」


 そしてブレントは、手渡した新しいチョーカーをイリャヒが着けるのを待ち、その珠に拳を当てて唱えると、透明だったそれが、ブレントのものと同じ藍色に変化した。これで相棒としての登録完了ということらしい。

 晴れて参加者の一員となったイリャヒは、赤い蜥蜴に尋ねてみる。


「このちょっと事後承諾じみたやり方って、あなたたちの民族的にもアリなのですか?」

『アリだよ、イリャヒ・リャルリャドネ。参加ありがとう。この程度は盤外戦術とも呼ばん、常在戦場の範疇だ。ルールを破った騙し討ちというわけでもないし、注意していれば防げたことだ。ドヌキヴが未熟だったと言わざるを得んな』

「いやー、その言い方はちょっと酷かもしれないですね」


 なぜか倒したばかりの相手を庇うように反駁し、ブレントは地面に片膝をついた。

 すでにうつ伏せに倒れているドヌキヴの顔を、彼はどちらかというと愛おしげに覗き込み、空に浮かんだ朧月おぼろづきによく似た酷薄な笑みを浮かべて、恐ろしいほど優しく話しかける。


「どうかな、ドヌちゃん? 里にいた頃とは、僕の息吹ブレスも段違いに進化しているでしょう? 無色無臭で超速効、さらに精密な選択毒性も獲得しているんですよ。

 たとえば今のなら、イリャヒくんには効かないように、僕の同族だけを攻撃する……そういう性質のものを、個別に肺の中で生成できるようになったんだ。そういう意味でも、僕と彼の能力は……」


 親しみを込めた視線を向けてくるブレントの言葉を、イリャヒは口元に指を添えて遮る。


「しっ。ダメですよブレント氏、情報は武器です。誰が聞いているかわかりません」

「おっと、そうだね。市街戦というのはどうも慣れなくていけない」


 納得を示した彼は、再びドヌキヴに視線を戻した。確かに余計なことをバラすなとは言ったが、だからといって死にかけの少女を無言で見つめるのもどうかとイリャヒは思う。

 ドヌキヴ自身もそう思ったようで、出血の止まらない口腔から、掠れた声を絞り出した。


「……な、に……してる、の……?」

「なにって、観察してるんですよ。君の美しい死に様をね」


 にっこりと穏やかに笑うブレントは、頬に流れ続けるドヌキヴの血涙を指で掬い取り、ぺろりと舐めて喜色を示した。


「うーん、まずい!」

「まずいのになぜ嬉しそうなのです?」

「いや、まずいっていうか、思った通りに薄くなってるから、つい。

 この毒のコンセプトは一言で言うと『水』でね、僕なりにアクエリカ様への敬意を表現したものでもあるんですよ。

 具体的な効果はというと、まさに水のように薄く希釈された血液が止めどなく流れ出て、失血死より先に渇死させるというものでね。

 浸透圧なんかに働きかけてるんですが、まあ細かい原理なんかどうでもいい。

 重要なのはマクロの世界で起きている、死という事象そのものなんですから」


 ブレントは指で眼鏡を押し上げながら腰を反らして宵空を仰ぐという、なんの意味があるのかわからないポーズを取り、陶然と語った。


「ああ、やっぱり命は尊い……通り一遍でありきたりな、既視感のある、つまらない死に方をしていい生き物なんて、この世に存在するわけがない。

 もっと色々な、独特の、個性豊かな面白おかしい死に方をして、僕を楽しませてくれないと困るんですよね!!」


 まさか同意を求めているのだろうか、振り向いて眼を合わせてくるブレントに、イリャヒは曖昧な笑みを返すしかなかった。


 その肺に劇毒息吹ポイズンブレスを、その業に毒殺神父を通り名に持つチャールド・ブレント。

 こいつと組まされることは我慢するとして、イリャヒは一点だけこの任務に不満があった。


 こんな頭のおかしい、殺しが趣味のクソ野郎と、同類扱いだけはやめてほしいものだ。

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