第132話 はじめての共同作業と一口に言っても色々ある
「あえ……?」
自分が吹っ飛ばされたことにも気づかなかったようで、呆気なく背後の壁に叩きつけられ、巨大な蜘蛛の巣状の亀裂を拵えたヨケルは、意識を失い倒れ込んだ。
驚愕に彩られたニゲルの右頬を、間髪入れずデュロンの二撃目が襲う。
「承知!」
「ぎゃあっ!?」
なんとか躱したニゲルは、続く数発を凌ぎつつ
「……ん? 今、姉貴の声がしたような……」
「デュロン、気のせいだ。シスコンも大概にしてくれ、集中するのだ!」
「お、おう! つーか、姉妹が片方伸びてら。俺がやったっけ? まーいーや、ラッキー!」
「ちょっ、どういうこと!? ほんとにどんなカラクリ使ってんのよ!?」
いよいよ混乱極まるニゲルに対し、リュージュは親切な解説を加えてやる。
「簡単な話だ。お前たちの
催眠術というのは本来的に極めて繊細なものだ。朦朧状態に割り込み、別の強力な暗示をかけたら、上書きされるのではないかと思ってな。
もっともこれらはそもそも、そんな過激な用途を想定して持ち歩いているわけではないのだが」
デュロンは嗅覚が極めて鋭い。そして匂いというのは、特定の記憶に強く紐付けされる性質がある。
ところでリュージュの制服のポケットには、植物由来だったりそこから精製・調合した様々な物質が入っている。
その中の一シリーズに、彼女が純然たる趣味で作っている、彼女の好きな女や仲のいい女の匂いを再現した香水群というのがあったりした。
しかしこれは断じて一般性癖だ、とリュージュは誰へともなく弁解しておく。
なので、いけるかなと思ってやってみたのだが、思いの外上手くいったことに驚いているのはむしろリュージュ自身だった。
「さて、そろそろわたしも働こうかな」
そう言ってのんびり歩き、リュージュはデュロンと姉妹に近づいていく。
ヨケルはまだ失神中で、ニゲルはデュロンの対処に手一杯だが、そろそろまたデュロンが
そう思ったリュージュは通りがかりに、鈍りかけた彼の頭へ、青い香水を振りかけた。
途端に狼は過剰なほどに覚醒し、恐ろしいほどに青ざめる。
「ダメだ、ダメだダメだダメだ! 冷静に、冷静にならねーと!」
「うわ!? ちょっと、今度はなに!? いきなりどうしたの!?」
「うるせー、ヤベーんだ! 呑まれる! 俺が俺じゃなくなっちまう!」
「なんなのよ!? 普段からなんかキメてんの!? ミレインヤバすぎない!?」
あっちがわちゃわちゃしている間に、リュージュは一時戦闘不能中のヨケルに狙いをつけた。
喉の珠をきっちり割っておかないと、何度も起きられたのではキリがない。
……そう思って、油断していたかもしれない。
リュージュが近づいた途端、ヨケルがカッと眼を見開き、長々と怒声を発した。
「よくもわたしのかわいいお顔を思いっきり蹴りやがったなこんにゃろー高くつくぞ!」
まずい! ただ自棄で叫んでいるわけではない。その口腔は
「さんざん翻弄してくれちゃってなんなのそういう関係なのそれどこで売ってんの!?」
さらに、ヨケルとほぼ同時にリュージュの背後でニゲルが喚き出したので、もはや二人がなにを言っているのか聞き取れない。
そしてもちろん高音だけでなく息吹も二重奏で繰り出されていることを忘れてはならない。
この間合いに迂闊に踏み込んだのは失敗だったかもしれない。
「リュー、ジュ……す、ま、ん……」
加えて、香水の効果が切れたデュロンがまたしても朦朧状態に陥り、背後から迫るのをリュージュは感じていた。
デュロンの攻撃を防いでも、リュージュが堕ちては意味がない。
息吹に対処していては、デュロンの攻撃を止められない。
完全に詰んだ……普通にやるなら。
だが、択を迫られる必要などない。
姉妹の思い通りになど、ならない。
赤紫色の花弁が散りばめられた、脆く小さな香水瓶を右手に握り込んで、リュージュは自信を持って振り返る。
繰り出されたデュロンの左拳を、リュージュの右掌が受け止める。
握っていた香水瓶が容易に破壊され、砕けた
同時に赤紫色の香水が溢れ、主にリュージュの右腕をたっぷりと濡らして滴る。
デュロンの反応は機敏だった。
続いて彼の右掌が、リュージュの胴部めがけて躊躇なく繰り出される。
「う、お、お、お!!」
……次の瞬間、リュージュはデュロンに優しく抱えられた状態で、すでに広場の中央まで退避していた。
完璧に躱されたことに対し、タピオラ姉妹はもはや苦情に近い叫びを放っている。
「なんでそうなる!?」
「おかしいでしょ!?」
「さあな。答え合わせには長くかかるし、内輪ネタになってしまうからやめておこう。それより」
いつまでもらしくもないお姫様抱っこされているわけにもいかないので、いまだ朦朧としているデュロンの腕の中から自主的に降りたリュージュは……悪戯の笑みで酷薄に笑った。
「お前たち、もしかしてそういう趣味があったのか?」
「「は?」」
「違うのか? ではなぜそこを動かない?」
「「え……!?」」
見くびってもらっては困る。リュージュもただ香水を振り撒いたり、珠を砕こうとして失敗するためだけに、ノコノコ近づいたわけではない。
ちゃんと深く息を吐いていたとも。そのあたりになにを埋めてあったかも、もちろん忘れていないとも。
「「ギャアッ!!?」」
リュージュの
緑の触手は矮躯を這い伝い、両腕をまとめて束ね、やかましいお口まで封じてくれる。
「……リュージュ、お前は本気出すと仕事が早いなー。いつも本気出してくんねーかなー」
まだぼんやりしているらしいデュロンに、リュージュは苦笑気味で返事をした。
「せっかく初戦を勝利で飾ったのだ。わたしたちのはじめての共同作業と洒落込もうではないか」
趣旨を理解したようで、人狼少年は悪人面でニヤリと笑う。
「おー、いーね。入刀しても、後で美味しく食べられねーのは残念だけどよ」
置き物と化していたタピオラ姉妹が、これを聞いてモゴモゴ言いながら震え始めた。
構わず二人は目配せし、線対称の姿勢で構える。
「そんじゃ、せーのでいくか」
「ああ。せーのっ!」
美しい弧を描いたデュロンの右脚とリュージュの左脚が、同時に上段蹴りを繰り出した。
「「
「「ぐええっ!?」」
デュロンがヨケルの、リュージュがニゲルの喉元に掲げられていた珠を精確に破壊し、透明な破片と帰して地に還した。
拘束を解かれた姉妹は、リュージュお気に入りの昼寝スポットに仲良く並べて横たえられたが、気絶したまま
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