第3章・闘竜編

第127話 こんばんは、教会の方から来た…わけではないです!


 どうやら神の威光とやらにも照射範囲が……あるいは死角があるようだ。

〈教会都市〉ミレインに程近いこの村で乱暴狼藉を働いても、お行儀の良い猟犬どもが鼻息荒く駆けつけるまでには、今しばらくの猶予があるらしかった。


 というわけで、約50人から成る盗賊団の首領である猪鬼オークのドエログは、村一番の広場に子分らとたむろしていた。

 両脇に半裸に剥いた怯える村娘たちを侍らせ、酒をかっ喰らいながらも、彼は側近たちに抜け目なく指示を出していく。


「おい、てめえら、あと15分で撤収すっかんな。金目のモンも良い酒も、かわいこちゃんもキッチリ見繕って、キリキリ運ぶ準備を万端整えてけって、よく通達しろよ」

「へいっ! さすがはお頭、腕っ節が強えだけじゃなく、頭もキレッキレっすね!」

「ぐははは、あたぼーよ! それがこの業界で長くやってくコツだかんな!」

「しかもお頭、が血筋だけに、下の方も秘めたる魔剣ってやつでさあ!」

「バカヤロー! 今それ言ったらお嬢ちゃんたちが怖がっちまうだろうが! ぐははは!」

「へへ、すいやせん! お楽しみはアジトに帰ってからじっくり……ですよね!」

「そういうこった! わかってんじゃねえか!」


 ますます怯えて縮こまる村娘たちを無理矢理抱き寄せたドエログは、猪のような頭の大きな鼻腔で、彼女たちが発する恐怖を含んだ体臭を、肺一杯に吸い込んだ。

 どんな麻薬や香料より、これが一番キくしキマるのだ。


 ビビった女の脂汗と小便を嗅ぐために生きていると言っても間違いではない。

 しかしこれは断じて一般性癖だ、とドエログは誰へともなく弁解しておく。


 だがその真偽はともかく、是非は天へと問われたようで……広場の入り口に掲げておいた松明が二つとも倒され、この場を照らすのは月と星の光のみとなった。


「落ち着け。どうした? 報告しろ」


 にわかにざわめく子分たちをなだめるドエログだが、魔族たちは大部分が夜目が利くので、そもそも不安を催すにも値しないはずだ。


 灯りを点けておいたのも、お宝を色合いのニュアンスまで精査するためという意味合いが大きい。

 宵闇に覆われたところで、たとえば人物が相手なら、輪郭は依然くっきり見え、せいぜい髪の色がやや不明瞭になる程度なのだから。


「……おい、なんだ? 早く報告を回せ」


 しかし、いつまでも広場の前方から返事が返ってこないことに、ドエログは痺れを切らし始めた。

 それどころか鈍い打擲音が響き、子分どもの悲鳴が押し寄せてくる始末だ。


 どうも半ば壊乱状態となっているらしい。妙だ、祓魔官エクソシストどものご到着にはどう考えたって早すぎる。

 ドエログはたまらず村娘たちを放り出して立ち上がり、その巨躯によって場を睥睨して、怒鳴りつけた。


「おいっ!? なにをやってやがる!?」

「お、お頭……あいつら、いったい……!?」

「どけっ!!」


 呆然と立ちすくむだけの側近たちも掻き分けて、ついにドエログは現状を目の当たりにする。


 驚いたことに、突っ込んできた相手はたった三人であった。


「オラオラァ! 相手ンなってねぇぞ!?」


 真ん中で先陣切って暴れているのが、長い緋色の髪を逆立て、顔を刺青いれずみ……いや、あれは戦化粧だろうか? 黒い紋様の入った小柄な女だ。

 派手な蹴り技で子分どもを吹き飛ばしては、大きく縁取りした吊り目をカッ開いて、犬歯を剥き出し吼えている。


「抵抗は無駄だよー。大人しくしようねー」


 彼女の左翼方向を制圧しているのが、青っぽい髪を二つ括りのお下げに結わえた、彼女よりさらに小柄な、垂れ目に垂れ眉の女だ。

 体格離れした怪力の持ち主なのか、自分よりもはるかに大柄な子分どもを、強烈な突きで次々に撃破していく。


「まあ大人しくしてても、結局潰すけど……」


 緋色髪の右翼を支えているのが、長い緑色の髪で長身の、伏し目がちな大人びた女だ。

 体捌きが巧みなようで、触れた端から子分どもを投げ飛ばし、石畳の地面へ叩きつけて悶絶させている。


 祓魔官エクソシストではないようだが、奴らの制服に少し似た、背広とコートを合わせたような民族衣装に身を包んでいる。

 そして三人ともが盗賊たちには痛撃を与えているが、彼らの傍らに侍らされていた村娘たちに対しては、優しく投げて安全地帯へ退避させるという、徹底したエスコートを行なっていた。


 そして気づいたときにはドエログと側近五人を残して、盗賊団は全員が転がされていた。

 しかもよく見ると三人の女たちは旅装で荷物すら下ろしておらず、ほとんど片手間の姿勢でこの強さなのだ。


「な……なんだ、てめえらは!?」


 もはや狼狽露わに尋ねるしかないドエログを、真ん中の緋色髪の女が気怠げな視線で射抜く。


「いやいや、こっちの台詞っしょ? まだミレインまでもうちょっとかかりそうだし、夜も更けちまったしで、いい感じの村見つけたから泊めてもらおうかと思って来たらよ、なんだこの有様は? お前らあたしらをバカにしてるよな? あぁっ!?」


 ギョロリと剥いた眼の圧に側近たちはたじろぎ、ドエログも言葉を詰まらせる。

 その反応に少し気を良くしたようで、緋色髪の女は獰猛な笑みを浮かべた。


「おっさんたちさぁ、一宿一飯の恩って知ってる? あたしらはさ、それを前払いするだけ……つーわけでよぉ、盗賊ども、身包み剥がされたくなかったら大人しくここで死んでけや!!」

「ラヴァ、それ意味わかんないし、強いて言うなら逆だよ、逆」

「ラーちゃん勢いで生きてるから、喋る内容もほぼノリなのよねー」

「う、うるせぇし! リョフ、リラ、お前らキチッと連帯しやがれ! ミレイン着くまではって決めただろうが!」

「はいはーい」「了解ー」


 緋色が一喝すると、茶々を入れていた後ろの二人は、素早く両脇へと移動した。

 三方向から袋叩きにするつもりのようだが、そう簡単にはいかない。


「お前ら、円陣組むぞ! 背中を見せんな!」


 即座に従う五人の側近を見て、ドエログは安堵を抱いた。

 雑魚の子分どもはともかく、精鋭同士の六対三なら、さすがにそうそう負けないだろう。


「「「…………」」」


 と思ったのだが、そもそも三人は六人を遠巻きに囲むだけで、仕掛けてこない。

 特に緋色髪の女は、精神統一なのか、ゆっくりと息を吸い込み始め、動きもしない。


 攻めあぐねているのか? と考えたドエログだが……この雰囲気に覚えがあることに、彼は遅まきながら気づいた。


 以前森で対峙したことのある、本物のとはさすがに段違いだが……皮膚がビリビリと震え、気圧や重力までが変化していると錯覚させられるこの感触は、まさに……。

 ヤバい、今すぐこの場から離脱した方がいい! しかし間に合うか? むしろ相手の様子を見るに、人質でも取った方が……。


「あっ!?」


 ……と、思ったときにはもう遅かった。青髪と緑髪が急接近してきたかと思えば、一撃も加えず離脱していった。

 六人は攻撃を予測して身構えたのだが……彼らの太い腕の間をすり抜け、彼女たちはそれぞれドエログが侍らせていた村娘たちの救出を終えていて、広場の外へ走らせるところだった。


 あいつらが二手に分かれたのは、そのためだったのだ。そして、今頃意図に気づいた側近たちが辛抱たまらず逃げ出そうとした機先を制して、二人は殴り、投げ飛ばして、頭目であるドエログの元へ送還してくる。このためでもあったのだ。


 ようやく巨漢六人全員の総身になけなしの知恵が回り切り、全員が一斉に逃げ出そうとしたところで、それが叶わなくなった。


「ごおおおおおあああああっ!!」


 腰を折った前傾姿勢となる女は、緋色の髪を振り乱し、腹の底から咆哮した。

 その髪と同色の炎が開き切った口腔から迸り、怒涛のごとく盗賊たちへ押し寄せる。


 なんのひねりもない、破壊と殲滅の象徴……爆炎息吹ブラストブレスの洗礼であった。


「ぎゃああああアアアア!!」


 ドエログは絶叫したが、正確に言うと、それができたのが彼だけだった。

 布陣的にたまたま緋色から一番遠い位置にいたため、数秒で消し炭と化した五人の側近が図らずも盾の役目を果たし、彼だけが一命を取り留めたのだ。


「……っぶは!? あ、がああっ……!!」


 だがそれが幸運だったかは微妙だ。

 一瞬だけ意識を失っていたドエログは、すぐさま生の痛みを思い出し、全身火傷の呻吟に苛まれた。


 丸焦げ猪の無様を笑うなら笑ってほしい。しかし道化を演じたところで、追従すら口にしてくれる者たちは、もう誰一人として残っていない。

 緋色髪の女は発した息吹の射線を一回転し、倒れていた子分たちも、全員まとめて焼き払ってしまったからだ。


 火勢の強さよりもその躊躇のない冷酷さに恐れをなし、ドエログは擦れる皮膚の飛び上がるような激痛を押して、必死に後ずさった。


 しかしその涙ぐましい努力も、緋色の怒気が踏み躙る。


「おい、おっさん。まさかこの状態から逃げられるとか、本気で思ってるわけじゃねぇよな?」

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