第128話 星に月に、神へと祈れ
燃え盛る炎の照り返しによって、改めて三人の姿が、ドエログの霞む眼にもはっきりと映し出された。
彼女たちの髪の色は、正確には灰緋色、灰青色、灰緑色だった。
そのニュアンスは死ぬほど見覚えがあり、ほとんど死にかけていた汗腺が、最後の一滴までを搾り出したほどだ。
恐ろしすぎて地元の街ではほぼ禁句の扱いだったその名を、彼の渇いた口が囁いた。
「て、てめえら、ラグロウル……『灰竜族』の竜人戦士か!? なんでこんなところに!?」
ラヴァと呼ばれていた灰緋色の髪の女が、代表して答えてくれる。
「実は近々、ミレインで祭りがあってね。あたしらはそいつに参加しなきゃならねぇんだ。
正確に言うと、うちらラグロウル族の祭りを、場所だけ借りてミレインでやるって形なんだが……。
どの道お前が知る意味はねぇか。あばよ、おっさん! あの世でも達者でな!」
振り上げられたブーツの底を見て明確な命の危機を感じたドエログは、慌てて陳情した。
「まっ、待て待て、待ってくれっ! 俺の負けだ、降参する! まだ死にたかねえよ!
頼む、俺を役立ててくれ!俺たちがやっておいて言うのもなんだが、この村に泊まっても今夜はさぞかしつまらねえはずだ!
もちろん酒も飯も宝も娘も返すが、それだけじゃどうにもならねえ部分もあるだろう!?」
みっともなく命乞いをする彼に憐れみを感じたのか、あるいは単純に期待薄だなという顔なのか、ラヴァは退屈そうに眼を細めるという微妙な表情をした。
「なんだ? おっさんのしょうもねぇ一発芸なんか見たってしょうがねぇぞ?」
「そ、そうじゃねぇ! 男だよ、男! 村の若衆じゃアンタらほどの女を満足させることなんかできねぇはずだ! そうだろ、
「ほぅ……?」
快か不快か、ラヴァの眉がピクリと動いたので、ドエログはいずれにせよここが契機だと踏んだ。
「俺はよ、実は純粋な
言ってしまってから今のはまずいと気づいたが、もうどうにもならない。
「……あ゛? 今なんつった? てめえみてえなチンカス風情が、女に向かって『抱いてやる』だと? あたしの耳が悪ぃのか? それともてめぇが身の程知らずな口の利き方しかできねぇのか? どっちだ言ってみろボケ饅頭がぁ!?」
「ピギィッ!? すいませんすいません! チンカスなりに、精一杯ご奉仕させていただきますっ!」
「そうだよ、そうだろうがよ! 勘違いぶっこいて踏ん反り返ってっと、今すぐ寿命なくなんぞ!」
何度も頭を踏みつけられ強制的に平伏させられるドエログ。団内では膂力自慢だったはずなのだが、爆炎のダメージによる消耗を差し引いても、一ミリたりとも動かない首から、世界の広さが伝わってくる。
やはり出くわした瞬間逃げるしかなかったのだ、と今さらながら悟る彼の頭上で、他の二人の竜人が話している声が聞こえた。
「へえ……このおじさん、独特な気配がするなーと思ってたんだけど……」
「ええ。
不意に首を掴んで無理矢理体を起こされたと思ったら、意地の悪い笑みを浮かべたラヴァの顔がドエログの眼前にあった。
彼女は返り血と汗で前髪が下りており、凶暴そうな印象に反して、意外とかわいらしい顔立ちをしていることに、ドエログは気づく。
「面白ぇじゃねぇか、おっさん。じゃあ、当ててみろよ。このあたしが焦がれて焦がれて、今すぐ肌を合わせてぇと思ってる相手が、どんな奴なのかをよ!」
「ほ、本当っすか!? この不肖ドエログ、精一杯やらせていただきやす!!」
元来ドスケベであるドエログは、口先だけというわけでもなく、俄然やる気になった。
後ろの二人が訳知り顔でクスクス笑っているのが気になるが……彼女たちが指摘した通り、ドエログは
ただ性欲がアホみたいに強いというだけでなく、魔力も膂力もそれなりに高いし、そして異性の好みのタイプを、相手の記憶からある程度検出できるという能力を持つ。
特定の界隈では有名なあのヴィクター・ヴィトゲンライツほど仔細にはいかないが、実用レベルの精度ではあるはずなのだ。
再生限界状態に陥ったものの、火傷はなんとかほぼ完治に至ったドエログは、残った魔力を振り絞り、淫魔の種族能力である「投影変貌」を発動した。
「ふむふむ……よし、こいつだっ!
言って、ドエログが成り代わったのは、黒髪をぼうぼうに伸ばした、筋骨隆々の大男だった。
男から見ても憧れる、強い男というやつだ。こいつは好きにならねぇわけがねぇ! と自信満々のチョイスだったのだが……。
「てめぇっ、ふざけんな! そいつ、うちの一族のジャドーじゃねぇか! なんであたしがあんな脳筋鼻ホジ屁こき野郎に惚れなきゃならねぇんだよ! バカにしてんのかおっさん!?」
「ぎゃああっ!? すいやせんすいやせん! 次で! 次で当てやすからあ!」
「クソが! 外したら死ぬと思って気張れ!」
頭を思いっきり何度も踏みつけられたドエログは、泣きの一回を勝ち取り、再び己の心眼に賭ける。
「ではでは……んんっ! こいつだ、間違いねえ! この男っすよね!?」
次に姿を借りたのは、栗毛を丁寧に整えた、長身痩躯の青年だった。男から見ても美形なので、女から見たら百発百中だろ! と思ったのだが……。
「全ッ然違ぇわボケがぁ! そいつはこの前イノリアルから来た旅人だが、小綺麗なツラだけが取り柄のつまんねぇヒョロガリの雑魚じゃねぇか! 欠片も興味ねぇんだよ! てめぇは本気であたしを舐めてんのか、擂り潰すぞゴラァ!!」
「ひいいっ!? 姐御、死ぬ! 俺っち死んじゃう! 今度は当てやすから、もう一回だけチャンスをくだせえ! この通りっすからあ!!」
「チッ…これがマジでラストだかんな!?」
なんとか温情に訴えたが、ラヴァの額にはすでに青筋がビキビキに浮かんでいて、本当に後がないことがわかる。
ドエログは生きるために頭をフル回転した。
男日照りがどうとか以前に、そもそもラヴァの交友関係は地元でほぼ完結している様子なのだ。
もしかしたら正解などないクソ問題なのではと思い始めたところで、不意にドエログの脳裏にそれらしき存在が引っかかった。
これだ! なるほど、民族の者でありながら、今は地元にいない。ありそうな線ではある。
ドエログは窮地を脱するこの能力を授けてくれた母親と、正解を引き当てるまで粘れる頑丈な肉体を与えてくれた父親に感謝した。
彼は勢い込んで、起死回生の一手を示す。
「わかりやしたぜ、姐御っ!
あんたの初恋の相手は、こいつでがんしょ!?」
「……!!」
その顔を見た瞬間、ラヴァは眼を見開き、まるで魂を抜かれたような表情をした。
正解だ。とドエログが確信した……のも、束の間のこと。
「てめぇ、が……」
怒髪が爆炎を帯びて天を突き、ラヴァの顔に施されている戦化粧の全貌が露わになる。
彼女の両眼を縁取っているのは、睫毛を牙の列に見立てた、二頭一対の竜の
「てめぇごときが、アイツのナリして見せてんじゃねぇぞ! おっさん、処刑確定!!」
「嘘っ!? 姐御、俺、当てましたよね!? 当てとびゃ!? ごぱっ……やめ! やめびゃばあ!?」
「うるせぇ! 黙れ! てめぇ! あたしが! お前を! どんな! 気持ちで!」
「ぎゃぶ! 姐! 御! 俺っ! そいつ! じゃ! ねえっぺぴゃ!!」
ヤバい。ラヴァはドエログに馬乗りになり、我を忘れて一心不乱に殴りつけてきた。
ドエログは変身能力を使うのが久々すぎて忘れていたが、相手の親しい者の姿を取るというのは、そいつに対する歪んだ愛憎をぶつけられるリスクがあるのだ。
今頃思い出してももう遅い。薄れゆく意識の中で、ふと後ろの二人の顔が見えたが、二人とも呆れたような憐れむような、微妙な表情をして見下ろしてきている。
「やれやれ……当てたら当てたで逆上するんだから、始末に負えないよね」
「ほらラヴァ、もうそんなおっさんは放っておいて、今夜の寝床を確保しましょ。疲れが残ったら本番に響くわよ、その辺にしときなさい」
「そーそー。もうおじさんは戦意なさそうだしさ、これ以上いたぶっても仕方ないよ」
振りかぶった硬く小さな拳がピタリと止まり、強烈なフィニッシュブローを挨拶代わりに、ラヴァはドエログを解放した。
「ケッ、命拾いしたな、おっさん。二度とあたしの視界に入るんじゃねぇぞ。今度会ったら金玉も目ん玉もド頭も全部ブッ潰すかんな、覚悟しろ!」
震え上がってなにも答えられないドエログを放置して、三人は村娘たちを全員引き連れ、広場を出て村の中心へと去っていった。
ぽつねんと取り残された
盗賊団は壊滅。手に入れた道具も食料も金品も全損。残ったのはこの身一つだけだ。
天を仰ぐと、月は堕ちた悪党にも平等に微笑みかけ、夜の祝福を注いでくれている。
「〈教会都市〉ミレイン、か……」
思えば結構近くにあるのに、一度も行ったことはなかった。
幸いドエログは小物なため、まだ指名手配はされていない。
一度死んだ気になって、訪れてみるのも悪くないと思えた。
「お星様お月様……救世主ジュナス様」
ドエログの眼から、自然と涙が溢れていた。
爆心に跪き、両手を組んで
「俺、変われるかなあ!? 今からでも間に合うかなあ!? まっとうな男になれっかなあ!?」
もし……仮にジュナスが肉の器を得て地上を練り歩き、彼の言葉を聞き届けたとして、神たる男は、こう答えただろう。
知らんわ。頑張れば? と。
あるいは……ミレインはいいとこだし、観光でも一度行ってみればいいんでない? と。
いずれにせよ、またしてもかの街に波乱がもたらされることだけは、どうやら確定的なようだった。
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