第126話 良き隣人に清き愛を


 ……そういう経緯があったのを、確かにデュロンも聞いた。

 納得もへったくれもないほどに感じ入ったのも事実だ。

 末永くお幸せに以外なにも言うことはない。

 だが、それとこれとはちょっとだけ別の話な部分がある。


「デュローン……」

「ああ、ヒメキア、お前もか……そうだよな」


 度重なる霊障で安眠妨害を食らい、今宵も不審な音と声に悩まされているデュロンの部屋に、ナイトキャップを被ったヒメキアが、目をこすりながら訪ねてきた。

 後ろにソネシエも付き添っていて、二人がなにを言いたいかはわかる。


「おー、任せろ。最初の晩はまあしゃーねーとしてもだ、こう連夜だとたまんねーよな……俺がガツンと言ってやるから、お前らついてこいよ」


 こくりと頷く二人とともに廊下へ出ると、オノリーヌとリュージュもいるが、この二人はいかにも「面白そうだから来た!」という顔をしているので、どうにも性質たちが悪い。


 何匹かついてくるヒメキアの猫たちをあやしながら、デュロンは後ろへ尋ねた。


「イリャヒは?」

「わたしが起こしに行ったけれど、兄さんは寝たふりをしていて起きない」

「あー……あいつこういうのめんどくさがるよな」


 どいつもこいつも聖職者としての自覚が足りなさすぎて困る。そもそもチンピラのデュロンが、注意する側に回っているのがおかしいのだ。


 目的の部屋に辿り着くと、デュロンは思いっきり扉を開け、暗がりの中へ躊躇なく怒鳴り込んだ。


「うるせーっ!! 壁うっすいんだよ、丸聞こえだバカ! お前はわかってんだろ、パル……」


 言いかけたところで、デュロンは断りなく押し入ったことを後悔した。

 せめて音や声が止んだのを確認してからにすべきだったのだ。


 ソネシエがヒメキアの眼を覆い、オノリーヌとリュージュは「あらら」とか言っている。

 当のパルテノイも動きを止め、紅潮したままの頬で、気まずそうに笑いかけてきた。


「あっ……ご、ごめんね、デュロンくん?」

「い、いやこっちこそ、なんかごめん……」


 一方、ギデオンはまったく悪びれた様子もなく、心底迷惑そうに睨んでくる。

 こんなときまで冷静な声を出せる彼を、デュロンは純粋に尊敬してしまった。


「おい、邪魔をするな。せめてノックくらいしろ、礼儀知らずどもめ」

「えっ、んっ、す、すまんかった……いや、マジで、ほんとに……」


 ちょっと刺激が強すぎたため、なにも見なかったことにして、デュロンたちはそっと退散した。



 翌朝、アクエリカに呼び出されたデュロンは、睡眠不足でどんより曇った眼を泳がせながら、ヒメキアとともに教会の回廊を歩いていた。


「「…………」」


 二人とも不自然に無言なので、お互いなにを思い出してしまっているかはわかる。

 そのまま教区司教のオフィスに入ると、昨夜見たのとそっくり同じ体勢でイチャイチャしているパルテノイとギデオンが座っていたので、二人して思いっきりビクッとした。


「うおっ!? ……なあ、アクエリ姐さん、アンタも聞いてるだろ? こいつら注意してくれた?」

「うるさいわね。女の一人も抱いたことのないお子ちゃまは黙っていなさいな」

「なんで!? 急に厳しいな! 昨日までそんな感じじゃなかったろ!?」


 もちろん冗談で、アクエリカはニコニコしながら猫撫で声で、お気に入りの部下を形だけ諭した。


「パルちゃ〜ん? 寮の風紀が乱れてしまうから、今後は控えましょうね〜?」

「わかりました、エリカ様! もうお互い気持ちが落ち着いたので、大丈夫です!」


 そう言っているわりには、パルテノイはギデオンにしがみついたままで、彼の上から下りようとしない。

 今は服を着ているだけマシではあるが……デュロンは居合わせた味方を頼ることにした。


「旦那、アンタからも言ってやってくれ。こいつら絶対反省してねーぞ」


 ベルエフは由々しき事態を重く見たようで、デュロンに頷いてみせた後、椅子の上でさらに椅子になっている男へ、険しい表情を向けた。


「おいギデオン。お前、ちゃんとパルに『好きだ』『愛してる』って言ってるか? わかってても口に出すのが大切なんだぜ?」

「旦那、旦那。こいつ言ってる。めちゃめちゃ言ってる、超聞こえてくる。だから今こうして陳情してるんだよ、ていうか注意してほしかったのそこじゃねーんだけど!?」


 しかしベルエフは納得してしまったようだ。


「そうか。まあ、幸せにしてやれるってんなら文句なんかねえがよ……俺もその子の後見の一人だってことを、努々ゆめゆめ忘れるんじゃねえぞ」

「御意。この命尽きるまで」

「なら良し!!」

「え? なに? マジで俺の意見はスルーされるシステムになったの? ひどくね?」


 ショックを受けるデュロンを、ヒメキアが頭を撫でて慰めてくれる。やはり彼女だけが味方だ。


「つーかギデオン、テメーいつの間に旦那に敬意向けるような間柄になったんだ」

「強いて言うなら、会った瞬間からだな。今や実力的にも人格的にも……そして、立場的にも尊敬している。

 俺は祓魔官エクソシストにはならないが、お前たちとの訓練に付き合うためなどで各種施設に出入りできるよう、形式的には彼の部下ということになるわけだが、当然異存はない」


 ベルエフがこの場に呼ばれているのは、そういう理由らしい。


「でもお前、パルテノイの側から離れる気はねーんだろ?」

「当然だ。今後俺はこの聖堂に入り浸り、ろくろく働きもせずそのあたりで適当に寝泊まりし、風呂や食事は寮のものを勝手に借り、ときどきアクエリカの使いを果たしては小遣いを貰うが、基本はパルテノイの側を離れない、そんな生活を送る」

「要約すると住所不定無職のヒモじゃねーか!? パルテノイはそれでいいのか!?」

「デュロンくん、忘れてるかもしれないけど、エトちゃん……ギデオンくんは妖精なんだよ」

「ああそっか……とはならねーよ!? その一語で誤魔化せるレベル超えてんだろーが!?」

「安心しろ。アクエリカから出る給金は高いし……それに、実際の俺はもう少し忙しい」


 どうやらアクエリカに訊いた方が早そうなので、デュロンが顔を向けると、彼女はヴィクターの身代金が手に入ったときよりも、さらに上機嫌に話してくれた。


「デュロン、喜びなさい。ギデオンが、あなたたちと契約を結びたいと申し出てくれたの」

「あなたたちってのは、俺とヒメキアか?」

「と、オノリーヌね」


 彼女がこの場にいない理由は、ハザーク姉弟に課せられている〈銀のベナンダンテ〉の特殊規定に基づき、こうした外部との契約を利用した反逆の共謀を避けるためだろう。

 結局彼女にも後で個別に同じ話がなされるのだから、実質的に意味はないのだが、アクエリカはわりと建前は建前として割り切り、形式はきっちり取り繕うタイプのようだ。


「契約ってのは、どういう感じのやつなんだ?」


 デュロンはギデオンに尋ねたのだが、彼はパルテノイを抱っこするのに忙しいようで、無言で見返してくるだけなので、引き続きアクエリカが代わりに説明してくれる。


「召喚契約だそうよ。デュロン、ヒメキア、オノリーヌのいずれかが危機に陥ったとき、指を鳴らすか、彼の名を呼びなさい。

 彼がどうしてもパルテノイから離れたくない状況下か、わたくしが優先指令を言い渡している場合を除いて、いつどこにでも一瞬で現れ、助けになってくれる手筈ですよ」

「おー……それは、マジでありがてーわ。俺も仕事あるから、いつもヒメキアや姉貴の側にいるってわけにもいかねーからな」


 デュロンがヒメキアの頭を撫でると、へへ、と笑っている。先日は寮に侵入されて猫たちが撃退したと聞いているが、その刺客であるギデオン自身が、護衛の側に回ってくれるというのは頼もしい。

 ようやく自分の口で喋る気になったようで、ギデオンが注釈を述べ始めた。


「ヒメキアとオノリーヌに関しては、いつでも俺を呼ぶといい。緊急措置を出し惜しみするようでは意味がないから、少しでもヤバいとか、変だとか、なんか一人になってしまって心細いとか、その程度の理由でガンガン呼び出してくれて構わない。わかったな、ヒメキア?」

「うん、わかった! ギデオンさんありがとう!」


 ニコニコ笑うヒメキアを見ていて、デュロンは気づいた。20年もの間、大切な相手のいない真っ暗闇の中を彷徨っていたギデオンは、デュロンに同じ思いをさせたくないという理由で、こういう措置を申し出てくれたのだろう。


 デュロンが感謝を込めて彼を見ると、妖精は器用に片腕でパルテノイを抱え、もう片方の手で指差してきて言った。


「だがデュロン、お前はもう少し厳密に運用してもらう。具体的には、お前にできないことを俺に投げるな。お前にできることを俺に任せろ」

「ん……? 俺にできることは俺がやればいいだけじゃねーの?」

「ああ。だからお前にできることをお前ができないときに、お前がやっていることとは別に俺を呼べ。俺にできることはお前にできることだけだ」


 なにを言っているのかさっぱりわからない。

 そこで、アクエリカの隣で沈黙していたメリクリーゼが整理してくれた。


「ええと、つまり、デュロンくんが何人いても解決しないような事態に、ギデオンを巻き込むなということじゃないか? デュロンくんが二人いればどうにかなるような……要は単純に頭数が必要とされるような状況になら駆り出していいと」

「そういうことだ。俺はあくまでお前の補佐官だとでも考えろ。メリクリーゼはさすがに聖騎士だな。一方お前はここまで説明されないとわからないとは不甲斐ないな」

「五つ年上のママが二人もできて良かったな、就職するときはついてきてもらえよ。テメーの言い草がクソわかりづれーからだろうが……めんどくささの帝王だな、3歳で人格形成止まってんのかよ」

「かもしれんな……20年前に凍りついていた俺の時間は、ほんの数日前に動き出したばかりだ」

「エトちゃん……」


 今しんみり遠い眼をしていい感じのことを言い出されても反応に困る。やっぱりこいつは……というかパルテノイも含めて二人ともどこかズレているなと、デュロンはため息を吐いた。


 しかしやはり、新たにできた仲間の存在は喜ばしい。

 デュロンとヒメキアがゆっくり歩み寄ると、ギデオンとパルテノイは手を伸ばしてくる。


 しっかりと握り返し、デュロンは笑いかけた。


「改めて、よろしく頼むぜ」

「ああ。俺はもはや愛の戦士だ。愛に生き愛に死ぬ……いや、死ぬつもりはない。つまり俺は不死身ということになるな」

「やっぱなに言ってんだか全然わかんねーんだけど!? テメー一晩で性格変わりすぎだろ!?」


 理解できることなどないのかもしれない。

 それでも、だからこそ、良き隣人に清き愛を。




 アゴリゾ・オグマは帰宅した。もはや、彼にできることはない。

 意気消沈もしていたが、その諦念はどこか晴れやかでもあった。


 では逆にアクエリカを討てていればどうなっていたかというと、別にどうともならないのはまだ良い方で、アクエリカが支えていた闇の均衡が崩れ、世界が意味もなくめちゃくちゃになっていた危険性すらあったのだ。


 そして、こちら……家庭環境の方は均衡もへったくれもなく、マイナスへ傾いてしまった両天秤は、もはや戻ることはないと思われた。


 事実、トボトボと玄関から入ってくるアゴリゾと出くわした彼の娘は、無表情で眉だけひそめ、彼の横を無言で通り過ぎた。

 彼女の父親に対する挨拶が「くさい」、返事が「うるさい」になったのはいつだったろうか。


 なので不意に背後から聞こえた小さな声を、アゴリゾは危うく幻聴として流すところだった。



「パパ」



 アゴリゾがゆっくりと振り返ると、彼の娘はまっすぐに彼を見つめて、顔をしかめている。

 もしかしたら気まぐれで、本気で叱り飛ばす気になってくれたのかもしれない。

 アゴリゾは慌てて、自分のシャツの襟に鼻先をうずめた。ヤバい、自分で嗅いでも結構キツい。


「ご、ごめんね、臭かったよね? すぐ風呂入って引っ込むから、ちょっとだけ我慢して……」

「くさくない」

「……えっ?」

「くさくないよ。今日のパパ、全然くさくない……いつも漂ってる、わけわかんない気持ち悪い感情の臭いが、もうほとんど消えてる……」


 娘は眉間とともに涙腺が緩んだのか、その大きな眼から愛らしい頬へ、ぽろぽろと透明な雫が流れ落ちていく。

 アゴリゾは慌てて駆け寄り、目尻をそっと拭ったが、それをきっかけにますます涙が溢れ、さらに狼狽える羽目になった。


 そんな彼の様子を見て、娘は泣き笑いの顔になっている。


「良かった……パパ、教会の人たちに、悪魔を祓ってもらったんでしょ?」

「悪魔……?」

「ママがいつも言ってるもん。『あの人は昔はあんなんじゃなかった』『パパは今、悪魔に取り憑かれているの』『もう少ししたら、本当のパパが帰ってくるから、そのときは優しくしてあげてね』って」


 それを聞いたアゴリゾの眼からも、滂沱と涙が流れ落ちた。

 彼は自分のあまりの愚かさに吐き気を催し、頭を抱えて、乱れた髪を掻き毟る。


「わ……私はいったい、今までなにをしていたんだ……!? 使命だの世界だの、くだらんよしなしごとにかまけて、こんなにかわいい、大切な宝物を蔑ろにするだなんて……頭がどうかしてるんじゃないのか……!?」



「まったくだわ。死ぬ気で反省しなさいよ?」



 廊下の奥から掛けられた声に、男はビクリと肩を震わせ、恐る恐る振り返った。


 妻は怒りの表情を湛え、腕を組んで威圧してくるが、彼女が全身で泣いているのを、アゴリゾは感じていた。

 彼自身は大間抜けだが、少なくとも嗅覚だけはまだバカになっていなかったようだ。


 ぎこちなく近づき、そっと抱きしめると、彼女の強張った体と、そして心が少しずつほぐれていくのがわかった。

 このぬくもりと匂いをこの距離で感じるのも、果たして何年ぶりだろうか。


 この二人を遺して……いや、巻き込む形で、街ごと心中しようとしていたことが、いまとなっては信じがたい。

 自分が狂っていたことを改めて実感し、愕然とした彼は、その気持ちがそのまま口をついて出た。


「すまない……本当にすまない。君は何度も何度も忠告してくれていたのに、私はちっとも聞いてやしなかった。

 が悪魔だとしても、勝手に魅入られ、討伐ごっこに夢中になってしまったのは、私の方だ。二度とアレに関わらないと誓う。

 いや、もう、関わりたくない。物分かりの悪い私だが、さすがに懲りたよ」


 そんな顔をさせてしまっているのはアゴリゾなのに、こんなことを感じるのは不謹慎かもしれないが……疲れ切り、呆れ果てて、それでも微笑みを浮かべる妻の顔は、本当に美しかった。

 彼女はアゴリゾの乾いた唇に、次いでだらしなく伸びた無精髭を無造作に撫でながら、滔々と彼に尋ねてくれた。


「終わったの?」

「ああ、全部終わったよ。私は結局、ただの小役人だった。怪物に挑むような器じゃなかったんだ。もっと早く気づくべきだった」

「そう。それで、小役人さん、あの部屋に山積している落書きの山は、どうするつもりなの?」

「全部処分するよ。私が20年を費やしてしまったゴミだが、祓魔官エクソシストの中に、引き取ってくれるという子たちがいるんだ。怪物の監視は、若い怪物たちに任せることにしたよ」

「自分で言っていてわかってないでしょうけど、20年よ? いったいどれだけの埋め合わせが必要だと思う?」

「それは……どれだけでも。君たちのいない時間は、私にとって、全部無駄だった。それが今、ようやくわかったんだ。本当に……ごめん……」


 妻はため息を吐き、しばらく髪を掻き毟る。

 アゴリゾがこっそり顔を伺うと、彼女は手と髪で表情を隠したまま、片目だけで彼を見返し、口元だけに笑みを浮かべて、諦めたように言う。


「そう。なら……仕方ないわ。私はとんっでもなく心が広いので、許してあげましょう」


 アゴリゾの心に安堵と喜びが満ち溢れたが……次の瞬間、すでに冷静さを取り戻して見守っていた娘が、とんでもないことを口走った。


「でもさー、ママ、ここ数週間はほんとヤバかったよね。寝言で『あの女さえいなければ』『可能ならこの手で殺してやりたい』『私の夫を誑かしておいて、タダで済むとは』とか言ってたし。ねー、もうあたしもガキじゃないから、言っても大丈夫だよ。ほんとはどっちなわけ?」

「えっ!? ご、誤解だよ!! そりゃ確かに女は女だけど、アレは悪魔で魔女で怪物なんだ! ねえ、君からも言ってやってくれよ」

「そうねえ……不可能なのはわかってるけど、一回くらい駄目元で刺しに行ってみるのもいいかも」

「おいやめてくれ!? それは本当に洒落にならないぞ!?」


 まだまだ意地悪をしてくれる二人の存在を、こんなにも心地よく思える日が来るとは思わなかった。


 まだなんとか、遅くはなかったのだ。

 ここから始めることも、できるかもしれない。




「うっへへー……すかんぴんだあー」


 再び独房から解放されたヴィクターは、今度こそ無事に〈教会都市〉ミレインから脱出することには成功した。

 ただし門をくぐったところで、彼の身柄を引き取ってくれた使者から、ヴィトゲンライツ当主による通告が言い渡された。


 いわく、今回支払わされた身代金は、ヴィクターが溜め込んでいた私財をひとまずすべて補填に充てた。

 それでも全然足りなかったため、これを負債としてヴィクターに課す。

 しかし落ちこぼれのカス野郎に期待はしていないので、返済できる目処が立つまでに敷地内で見かけたら、大好きな銀色の飴玉でしゃぶり殺してやるから、覚悟しておけ。


 予想はしていたし、仕方ないのだが、今後の活動資金がゼロからスタートというのが痛すぎる。

 まず仲間を集めたい。当然、利害関係で一致している、一定以上の暴力を振るえる奴が……。


 そこまで考えて、ヴィクターはギデオンの言っていたことを思い出した。


『それはわかっている。しかし、俺の認識外の視点を埋めておくと、より勝率が上がるはずだ』


 彼の言う通りかもしれない。同じような思考で、同じような手管を繰り返しても、またアクエリカやデュロンのような奴に阻まれるだけだ。


 今、眼も耳も頭も足りていないヴィクターに必要なのは、相棒でも黒幕でもなく、知性や感覚の面で彼と相補的な関係になれる……そしてさらに欲を言えば、利害だけでなく信頼を結べる、一連托生の、半身とでも呼ぶべき存在なのだろう。


 しかしそんな相手が、そう簡単に見つかるわけが……。


「ふざけんな! 適当なことばかり言ってんじゃねえぞ、このインチキ女が!」


 怒声につられて声を向けると、露出の高い衣装を着た、踊り子……いや、道具や状況を見るに辻占い師らしき少女が、チンピラたちにアヤをつけられているところだった。


 中途半端に薄いフェイスベールの下から、彼女の顔が垣間見える。

 気づけばヴィクターは、チンピラたちに声をかけていた。


「いーや、違うな。彼女の占いは本物だね、マジで未来が見えてる。ただし彼女の見えるビジョンは、進行形で変動し続けているだけだ。僕は好きだよ。占うたびに結果が違う方が、現実的で信憑性があってさ」


「ああっ? なんだてめぇは……」

「お、おい、やめとけって! 銀髪碧眼だぞ、例の一族だ! 関わんなって母ちゃんに習ったろ!」

「あっ!? マジかよ、やべぇっ!」


 この七光りのハッタリもいつまで通用するのやらと考えながら、逃げようとしたチンピラたちの前に、ヴィクターは早足で回り込む。

 気後れした様子のチンピラたちに向かって、彼は力なく手を振ってみせた。


「まあまあ、そう構えないでよ。僕はただのヴィクター、見ての通りの雑魚さ。僕のことはどうだっていいじゃないか。それより、君の大好きなミシェルさんに、どこでどうやって告白したらいいか、僕の考えを聞きたくはならないかい?」

「なにぃっ!? まさか、てめぇもあの子を狙ってやがんのか!? この出歯亀……」

「アニキ、そうじゃなくてたぶんこいつ、そういう系の能力者ですぜ……」

「……えっ? そうなの? てことは……」


 急に大人しくなるチンピラたちに向かって、ヴィクターは不敵な笑みを浮かべてみせる。


「そうとも。自分が恋したことはないけど、他者ひとの恋には百戦錬磨! それがこの僕さ! 相談ならいつでも受けつけるよ!」

「うおおお!! 微妙に頼りになるのかならねぇのかわかんねぇけど、ちょっと意見を聞いてみたくはある!!」

「いやすげえっす、憧れるっす!」

「ヴィクター!」「ヴィクター!」「雑魚!」「カス!」「実は奥手!」

「ふふっ、そういう親しみのこもった罵詈雑言も、僕は慣れてる!」

「「「「「うおおおおお!!」」」」」

「はいはい、ちょっと待っててくれよ兄弟たち。今、こっちの用事を済ませてくるからね」


 また新しい友達を作ってしまった。それはいいとして、ヴィクターは占い師の少女に近づく。

 彼女は体を縮こまらせて怯えているが、そのヘイゼル色の眼だけは、キラキラと輝き、まっすぐに見返してくる。


 この子だ、とヴィクターは直観した。運命なんてものを信じる方でもないが、根拠もない確信は拭い去れない。平たく言えば、一目惚れかもしれない。


「未来を見るのが怖い?」

「!」

「もうあんまり見たくはない?」

「……ッ」

「だけど見ずにはいられない?」

「うぐぐっ……!」

「自分にはそれしか取り柄がないから、それで稼ぐしかない?」

「そ、そうよ! だからなんだって……」

「だろうね。だって、僕もそうだもの」


 ただでさえ大きな眼をさらに見開く彼女の姿に、ヴィクターは過去の自分を重ねていた。


「僕は過去が見える。君は未来が見える。でもそれだけじゃない。

 君に見えている未来は、僕が全部引き受けて、僕に見える過去に変えてあげる。

 この世界は生きづらいね。僕にとってもそうさ。だったら、世界の方を変えちゃわない?」


 眼が宿す光に追いつくように少女の表情が、おそらくは本来の生気を取り戻していく。

 震える唇が、やがて躊躇いがちに、彼女の希望を吐き出した。


「……お金が、必要なの」

「あれ、そこも僕と同じだ。じゃあ稼いだら山分けってことにしようね」

「故郷の両親に、楽をさせてあげたいから」

「うっ……いい子すぎる……で、でも動機に貴賤はなし! そういうことで!」

「うん。……でも、未来が見えるなんて、結構ありふれた能力だよ。別に、わたしじゃなくても……」

「まだそんなことを言う。確かに、それなりのレアリティがあるものの、世界で唯一の能力には程遠いかもしれない。

 でも、世界がなんだってんだ? 少なくとも僕にとっては、君しかいない。

 君の代わりを探せって言われても、途方に暮れるしかないんだよ。

 だから、そんな悲しいことを言わないでよ」

「ヒューッ!」「ヴィクターカッコイーッ!」

「OKOK、もうちょっとだけ静かにしてくれブラザーズ!」


 やかましい外野はともかくとして、肝心の少女の反応はというと……顔を真っ赤にしつつも、じっと見つめてくるというものだった。

 あれ? もしかしてスカウト成功? と、自分でやっておいて驚いたくらいだ。


 差し出したその手に含めた打算の割合は、ヴィクター自身にもわからなかった。

 ただ握り返された以上、口にした誘い文句には、責任を取らなくてはならないだろう。


「僕はヴィクター。しがない帽子屋さ」

「わたしはエモリーリ。しがない占い師よ」

「君は前だけ見ててくれ」

「りょーかい。横や後ろは任せたわ」


 ヴィクターにつられて、エモリーリも、彼と同じように表情を変化させた。


 今度こそ、世界をこの手で転がしてやる。彼女がいれば、それが可能な気がする。


 最後に笑うのは、この僕だ。その未来を見るために、ヴィクターは過去へと変貌し続ける現在の只中でも、ずっとずっと不敵に笑い続けるのだと、すでにそう決めていたのだ。


 まだなにも終わってやしない。

 いいや、始まってすらいないのだから。

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