第124話 夢叶う、奇跡、神の祝福


 改めてヴィクターの身柄を引き取りに来たヴィトゲンライツの使者を、アクエリカは自分のオフィスへと招き、丁重にもてなした。

 ちなみにアクエリカ流の歓待というのは、メリクリーゼに加えベルエフ、ギデオン、イリャヒにデュロンと、最大の威圧感を発するメンツを揃えてオフィス内の空気をギッチギチに圧迫するという、すこぶる彼女らしいものだった。


 デュロンはお茶汲みを担当し、粗相のないよう、気をつけて振舞っている。

 アクエリカはいつにも増してニッコニコのウッキウキで、使者へ別の意味の秋波を送っていた。


「ごめんなさいね〜。わたくしが未熟なばっかりに連絡が行き届かず、部下の自主的な行動を抑えられませんでした。

 でも、せっかく捕まえてきてくれたのですから、その労力に報いないと、わたくしにも面子というものがあるわけでして……」


 実際、アクエリカはデュロンにだけ意図的な連絡ミスを犯し、「今ヴィクターが放免されたわ」とかいう断片的すぎる情報を投げて寄越してきた結果、ああいう顛末になったのだ。

 デュロンもなにか変だなとは思ったのだが、捕獲する以外の選択肢はなかった。


「どうしましょうか? わたくしが囲っている猟犬たちみんなに行き渡る、大きなパイがどこからともなく降ってくるような奇跡が起こったりなんかしたなら、こんなに嬉しいことはないのですけど……」


 ねっとりとしたまだるっこしい言い回しを、仮にわかりやすくデュロンふうに言い換えたら、こうなる。


『テメーらヴィトゲンのクソどもがヴィクターの裏からコソコソとバックアップに携わっていやがったことはとっくに割れてんだよ。

 これ以上騒がれたくなかったら、誠意を見せろ。テメーらの軽ーい頭なんざ下げられてもなんの得もねーんだよ、ペリツェ公のご尊顔を最低でも億から見せろっつってんだ。

 ギデオンとアゴリゾって不確定要素を退けた今となっちゃ、なんならテメーらヴィトゲンと直接やり合ってもいいどころか、テメーらの謀りを脚色して王国側へ流し、高みの見物洒落込んでやってもいいんだぞボケコラカス! 分際弁えて喋れや!!』


 要は大口喜捨という名の、身代金支払いのお誘いである。

 ヴィトゲンの当主はそのあたりも心得ていたようで、使者の手から山と積まれた紙幣がポンと出てきた。ペリシさんが一人……ペリシさんが二人……ダメだ、多すぎて数を認識できない。


 使者にヴィクターを連れ帰らせた後、アクエリカは本当に機嫌が良さそうに切り出した。


「さて、こうしてに大きな額が手に入ったので、かねてより滞っていた聖堂建設費の補填に充てまして……残りはなにか使い道が出てくるかもしれないので、プールしておきましょうね。これでようやく、一件落着ということになりましてよ」


 そうして彼女は改めてギデオンに向き直って、先ほどまでの「お金、だーい好きっ!」とはまた趣の異なる、柔らかい微笑みを浮かべた。


「ギデオン……いえ、エトランゼと呼びましょうか?」

「昔の名で呼ぶな。お前に教えたことを、若干後悔している」

「ふふ。ではギデオン、あなたの処遇を決めるわ。あなたは、祓魔官エクソシストになりたい?」


 質問のスタートラインはそこなのか、と意外に思ったのはデュロンだけではないようで、ギデオンも少し眉を動かしたが、正直に答えている。


「いや……なれと言うならもちろんなるが、俺自身特になりたいわけではない」

「そう? なら決まりね。あなたは祓魔官でもなければ、ベナンダンテでもない。それでいい?」

「あ、ああ……」


 さすがのギデオンにも戸惑いが見える。

 そういえばデュロンの方も、20年前にギデオンが殺した人狼と吸血鬼が死後どういう扱いになったとか、遺族への補償がどうとか、そのあたりまでは調べ切れていなかった。


 どうやらもう少し複雑な事情が介在しているらしく、アクエリカは訳知り顔で悩んでみせる。


「うーん、そうね……わたくしと直接結んでほしい契約というのが、今後発生するかもしれないけど、差し当たっては先送りにしておくわ。

 それで、任官するわけではないから部屋を与えるわけにはいかないのだけど、ギデオン、あなたいったんデュロンと一緒に、寮へ行ってくれる?

 そうしたら、すべてが明らかになる手筈が整っているから」


 アクエリカの笑みは完全に悪戯好きな女児のそれと化していて、その顔をデュロンへ向けてくる。


「ヒントをあげましょう。あなたは資料を見たはずですね? ギデオンが殺した吸血鬼の姓は、なんと書かれていたかしら?」


 確かに引っかかっていたので、デュロンは記憶を探るまでもなく即答する。


「奴の名はセオドア・パチェラー、だったな。てことは……」

「そう。詳しいことはから聞いてくださいね」


 デュロンはあまり話したことはなかったのだが、聖ドナティアロの秘匿職員の一人に、パルテノイ・パチェラーという旧家の吸血鬼がいる。

 おおかた読めてきた。おそらくパルテノイはセオドアの姪だかなにかで、結界を張っていた妖精族の報復から唯一生き残り、特殊能力も買われて教会に囲われたとか、そういう存在だったのだろう。


 そのわりにはパルテノイがベナンダンテではないことは気になったが……いずれにせよ、たぶんそのあたりも含めて、彼女の口から語られる真相がまだ残っているということだ。しかもきっとあまり聞きたくない類の話が……。


 と思ったのだが、どうも少し違う雰囲気で、ベルエフが気まずそうに頭を掻いている。


「あー……なんつーか、悪かったな、お前ら。正直俺らも全体像の半分くらいしか把握してなかったんだよ。知ってりゃ言ってやれたんだが、後の祭りってやつだな……」


 なんなのか見当がつかず、デュロンとギデオンは顔を見合わせる。

 ベルエフの他には、アクエリカ、メリクリーゼ、イリャヒも仔細を承知しているようで、三者三様にニヤニヤしていて気味が悪い。


 教えてくれるつもりはないようなので、この性格悪すぎ空間にいつまでもいても仕方ない。

 デュロンとギデオンは素直に寮へ向かった。



 ちょうど休憩時間だったようで、猫をマッサージしていたヒメキアが、笑顔で二人を迎えてくれる。


「デュロン、おかえりなさい! ギデオンさんも、こんにちは!」

「おー、ただいま。ヒメキアも例の件、聞いたんだな。そういや、ギデオンがお前の猫をいじめたとか聞いたが、もう許したのか?」

「もう許した! あたし、もう許したよ! ギデオンさん、ヴィクターに言われて、おしごとでやってたんだよね? なら、仕方ないよ!」


 ソファの上でニコニコしているヒメキアに近づいて、ギデオンは脱帽してみせる。


「こんにちは、ヒメキア。改めて、その節はすまなかったな」

「ううん、いいの! ……あっ、でも、ねこたちはまだ警戒してるみたいだね……」


 ヒメキアが眉尻を下げながら言ったように、誇り高き獣たちは、かつての闖入者を遠巻きに伺っている。

 ヒメキアにマッサージされていた一匹も、リラックス状態を解いて、今にも飛びかからんばかりだった。


 しかし、どうやらギデオンは穏当に折れるのが上手くなったようで、帽子を脱いだまま、猫様たちに向かって五体投地した。

 この行動にはヒメキアも感心している。


 猫教徒としての信心を称えたわけではなく、猫は初対面に近い相手に対し、特に頭の匂いを嗅いで確かめるという習性があることを、ギデオンは知っていたらしいからだ。

 この前のうすらでかい奴が床に突っ伏したので、猫たちはぞろぞろと集まってきて、周りをうろうろしたり、軽く引っ掻きや噛みつきをかましている。


 ヒメキアが緊張気味に見守る中、無抵抗で身を任せるギデオンに対し、猫たちは「まあ、いいだろう」「いちおう信用してやるか」という決議に至ったようで、三々五々ロビーへ散った。

 二人して安堵の息を吐いたところで、デュロンはヒメキアに尋ねる。


「ヒメキア、今パルテノイがいるって聞いたんだが、見かけたか?」

「ノイさん? うん、自分の部屋に上がってったのを見たよ。もうすぐ下りてくると思う」

「そうか、わかった。つーか、お前もあの人と仲良くなったのか」

「そうなの! ノイさんも、ダンスが好きなんだって。今度一緒に踊ろうねって約束したんだー」

「マジか。謎な人だと思ってたけど、そういやイリャヒがふざけて……ん?」


 ふと違和感を覚え、デュロンが振り向くと、ギデオンが硬直していた。


 帽子を取り落としたことにも気付かず、瞠目して口を開け、ぼんやり突っ立っている。


 彼らしくもない、まるで……幽霊にでも出くわしたような態度を不思議に思い、デュロンは彼が見上げた視線の先を追う。



「エト、ちゃん……?」



 左右に分かれた二階への階段が合流する踊り場で、青い薔薇の花束を抱えたパルテノイがギデオンを見下ろし、聞き覚えのない名前を呟いていた。


 彼女が巻いた目隠しの下には、本質を見通すという魔眼が封じられているらしいので、デュロンやヒメキアとは違うものが見えているのだろう。


 しかしそれにしたって彼女の方も、ギデオンよりは冷静だが、尋常な様子ではないことが伺える。

 透き通るような、ほんのり温かいような、デュロンの嗅いだことのない感情の匂いが発散され、ロビーを満たしていく。


「エトちゃん、だよね……?


 わたしのこと、覚えてるかな……?」


「……いったいなにを言っている……?


 覚えてるか、だと……?」


 ギデオンは歯を食い縛り、強い感情に耐えて顔を歪めている。

 それは怒りや恨み、憎しみとは、似ても似つかないものだ。


「覚えているに、決まっているだろう。

 一瞬たりとも、忘れたことなど、ないに決まってる……!

 いつもいつも……何年経っても、お前以外の女のことなど、俺は一度も想ったことがない!」


 なんだ? なにかただならぬことが起きているのはわかる。

 しかしデュロンはヒメキアと一緒にあたふたするしかない。


「エトちゃんっ!!」


 もう一秒たりとも待てないようで、パルテノイは柵を乗り越えて踊り場から飛び降りた。


 ギデオンはとうに着地点に回り込んでいて、危なげなく彼女の小柄な体を受け止める。


 優しく床へ降ろされた彼女は、もどかしげに目隠しを外した。


 固有魔術〈看破邪眼ディストラテクション〉を湛えた双眸は金色の光を放ち、照り返しによって彼女の柔らかい羊毛色の髪を、より美しく彩っている。


 ギデオンはその様子を呆然と見下ろしていたが、再び開いた口から出たのは、まず心配だった。


「……それ……解放すると、眼に負担がかかるんじゃないのか……?」


「うん。余計な情報がいっぱい入ってくるから、いつもならしんどい。


 でも、大丈夫。どうせ今は、きみ以外、なんにも見えないから。


 やっぱり、間違いない。エトちゃん……そして、●●●●ちゃんだ」


 ギデオンの暗緑色の眼から、涙が流れ始めた。

 パルテノイの顔を、髪を、確かめるようにぺたぺたと無造作に触る。


 それでもまだ信じられないようで、彼もまた、彼女を異なる名で呼んだ。

 今度はデュロンにも聞き覚えがあり、ようやく大枠を察するに至る。


「……メイミア、だよな……? 本物か……? いったい、どうやって……」


「うん……うん……わたしだよ。

 今はパルテノイって名乗ってるし、髪も眼も色が変わっちゃったし、もう人間さんでもないけど」


 パルテノイ……メイミアが眼を細めると、黄金の光は再びその瞼に封じられ、漏れ出るのはわずかとなった。

 しかし流れ続ける涙がその色を映し出し、いつまでも止まる様子がない。


「えへへ。結局わたしヘマしちゃって、きみと同じ妖精さんにはなれなかったや。でも、きみのおかげで……」


「もう、いい……!」


 ギデオンは彼女を強く抱きしめた。もう二度と離したくないのだろう、しかしその力は不思議と優しく、二人が吐き出したのは喜びだけだった。


「お前がいるなら、それでいい!


 お前が幸せなら、他のことなんかどうでもいい!


 お前のいない世界は、昼も夜もずっと真っ暗闇だった!


 お前以外で、俺が欲しいものなんか、なんにもないんだ!


 良かった……よく、生きてて、くれた……!」


「エト、ちゃん……わたしも、きみが生きてて、嬉しかった……!」


 不意に袖を引かれて振り向くと、ヒメキアが泣きそうになるのを我慢しながら、デュロンに笑いかけてくれている。

 デュロンも同じ気持ちなので、笑い返して、彼女の小さな熱い手を握った。


 ギデオンとパルテノイの間で揉みくちゃになり、いくつもの花弁を散らして、青い薔薇の花束が床へ落ちる。


 黄金の雫を朝露のように浴びた再会のしるしは、灰色に淀んだ記憶すら鮮やかに塗り替える力があるのだろう。


 ここからまた、始めればいい。

 遅いことなんか、なに一つとしてないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る