第121話 南の空に鴉が飛んだ


 気まぐれな妖精族が結ぶ片務契約というのがどういうことを意味するのか、デュロンは思い至ったのだろうか?

 それはつまり前提として、妖精の側に強い動機がなければ成立しないということだ。

 彼らの結ぶ契約にが存在しないというのは、つまりそういうことになる。


 黒ずんだ床に横たわるギデオンが、ようやく落ち着いてきた頃合いを見計らっていたのだろう。

 気づけば天井に開いた穴から降り注ぐ雨は止み、月を背に負う姿も消えている。


「……こういうのは普段なら、姉貴に頼んで任せっぱなしにするんだけどな……」


 普通に階段を下りてきたようで、デュロンがゆっくりと、かつてメイミアの家だった場所へ入ってくる。


「こんな大事なことを自分でやんねーってのもよ、ガキみてーでダッセーだろ……」


 互いにもはや戦意がないことはわかっている。

 だから言葉も自ずと受け入れることができた。


「だから調べたぜ、柄にもなく。資料を探すのは、ヒメキアに手伝ってもらっちまったけどな」


 デュロンの問わず語りは、不思議なほどギデオンの心に浸透した。

 護衛任務の合間を縫って、そんななんらの得にもならない作業を、コツコツやってくれたらしい。

 この数週間、彼の時間と神経を圧迫し続けていたのは、他ならぬそのギデオンだったというのに。


「メイミア・ハーケンローツ殺害事件は、扱いにされていた。加害者である吸血鬼と人狼が獲物の取り分を巡って相打ちしたってことで片付けられてたんだ。

 人狼の首の切り口と、そもそも刎頸されてること自体を怪しむ声は、当時からあったらしい。

 だけど結局、誰かが真相に辿り着くことはなかった。という事実そのものがあまりに重要すぎたからこそ、その枝葉を誰も本気で追及しなかったんだ」


 どうやらその一点に限っては、世界とギデオンの共通見解であったらしい。


 今となってはどうでもいいのだが、ついでに言うなら、当時専用の結界を張ってまで囲っていたメイミアを妖精たちがそこまで真剣に護衛・救助しなかったのは、後天的に妖精族への転化を遂げる予定だった彼女を、妖精女王ティターニアとして神輿に担いで云々という、魔族社会のパワーバランスへの介入を狙った策謀の側面があったことを、ギデオンは後で(主に力尽くで)調べ上げている。


 彼らもいちおうそれなりの報復には及んだようだが、妖精たちにとってメイミアは、「せっかく手に入れた人類ちゃんの素体の一個で、壊されると怒る政治の道具」でしかなかったということだ。


 ただ一人、当時のエトランゼを除いては。


 デュロンは……まるで20年越しで彼を追いかけ、今ようやく迷宮から脱したかのように、疲れ切り、悲哀に満ちた表情で、床に倒れた戦闘妖精を見下ろして言った。


「お前が、ここにいたんだな。ギデオン」

「ああ、そうだ。俺がメイミアの仇を殺した。この場でもっとも多くの血を流させたのは、俺だ」


 たったそれだけのことを告白したかっただけのような気もする。

 それは赤帽妖精としての誇りだろうか。

 それともあがないを強いた努力を認められたい、単なるガキの自己主張だったのか。


「罪には、罰が必要だよな。お前に相応しい刑は、すでに用意してある。俺らとお揃いのやつさ」


 ギデオンの頭側へ回ったデュロンは、汚れた床に腰を下ろす。

 乾ききり黒ずんだ血の跡を、彼は何度も何度も、確かめるように指でなぞった。

 やがてその手を止めて、ギデオンへ静かに問いかけてくる。


「ここがお前の原点なんだろ。ここへ立ち返っちまったからには、ここが新しい出発点で、分岐点だ。あとは、わかるよな。

 選べよ、ギデオン。このまま過去に囚われた亡霊として彷徨い続けるか、俺たちと未来へ進むか」


 素敵なお誘いだが、どちらかといえばこの身には過大なくらいだと、ギデオンは考えつつも、あえて反問した。


「……それは、なにか違うのか? お前たちだって亡霊だろうが」

「まーな……現状じゃなにも違わねーよ。契約ってやつに縛られてるって点でも同じだ。

 だけど少なくとも、一人で苦しむことはなくなると思うぜ。

 死にたくなっても、抜け駆けしてんじゃねーぞって、誰かが止めてくれる。

 そういう場所なんだ、ここは」


 もう、生きる屍であり続けることは、やめていいんじゃないだろうか。そう言われた気がした。


「……そうか……そうだな……」


 ほんの少しだけ得た活力を灯して、ギデオンはゆっくりと体を起こした。

 フラフラと歩き、茅葺き屋根の家を出る。

 やはり夕立は完全に過ぎ去り、暗雲も散って、黄昏たそがれの空が広がっていた。


 アァ……というどこか詠嘆のような声に振り向くと、見覚えのある大きな翼が横切る。


「あれは……」

「おー、たまに見かけるな、あのデケーの。誰かの使い魔なのかもな」


 後ろから歩いてきたデュロンは、本当に知らないのか、すっとぼけているのか、呑気にそんなことを言っている。

 だがギデオンは、そこに大きな意味があることを知っていた。あれはラスタード王の使い魔だ。


 南の空に〈鴉〉が飛んだ。仮に今から市庁舎へ行ったところで、間に合うわけもない。

 定期連絡が終わってしまったので、少なくとも今日に関してはもう、制限時間超過だ。


 ため息を吐いたギデオンは、踵を返した。

 デュロンは追うでもなく、ただ問う。


「どうした? どっちにするか決めたのか? どこへ行くんだ?」


 ギデオンは足を止め、鍔を下げようとして帽子がないことに気づき、仕方なくそのまま振り返った。


「俺自身が再生限界状態に陥ったため、契約内容が進行不能状況に到達した。一旦退いて、再度出直すことにする。追い打ちしたければ好きにしろ」

「かーっ……懲りないね、お前も。つーか形式張りすぎてやしねーか?」

「契約は契約だ。失効も撤回もされていない以上、続行義務がある」

「はいはい。いいぜ、何度でも相手になってやる。何度でも打ち破ってやるさ」

「やれるものなら、やってみるがいい」


 そして、二人は口約束ですらない、ただの挨拶を交わして、そこで別れた。


「また、会おう」

「ああ。またな」


 自分の頬が湛えた微笑を、もはやギデオンは否定することも、その必要もなかった。


 ただ前へ進むために、今は体を休めよう。

 素直に、そう思うことができたのだから。

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