第120話 月はいまだ満ちず


 天国と地獄の狭間に追い詰められたギデオンは、おそらく走馬灯の一種なのだろう、数日前に交わしたヴィクターとの会話を思い出していた……。



『なあ、ヴィクター。お前から見て、デュロンの得意技とはなんだと思う?』


 当然と言えばそうだが、ヴィクターは訝しげに眉をひそめた。


『変なことを訊くもんだね。戦闘音痴の僕よりも、専門家かつ二度直接やり合った君の方が、そんなの何倍もよく知ってるはずでしょ?』

『それはわかっている。しかし俺の認識外の視点を埋めておくと、より勝率が上がるはずだ』

『なるほど、心理的な死角ってやつだ。じゃあ貧弱なりに考えてみるね』


 ふざけた言い方をしながらも、ヴィクターは結構真面目に頭をひねっていた。

 こういうところが嫌いになれないなとギデオンが再認識していると、やがて相棒は答えを示す。


『やっぱりミドルキックと踵落としかな。決め手になってる割合が高い。あと最近は頭突きを練習しているみたいだね。君の対策だろうけど』


 このときはすでに鐘楼での交戦は終わっていたので、ギデオンは嘆息するしかない。


『それは……もう少し早く知りたかったな』

『フフ、だろうね。あと、あんまり多くはないんだけど、ハイキックも貰うとかなりキツいっぽいね。手技は基本的に補助程度に考えてるようだね。ギャディーヤ戦みたいな連打は別だろうけど』

『そうか。なら……こうしてお前の能力で奴の戦闘履歴を覗き見して分析し、話し合っていることを踏まえた上で、デュロンが選択してくる手はどうなるのだろう?』


 ギデオンの意図を理解したようで、ヴィクターは軽快に指を鳴らした。

 ジャンケンで言うと、相手がグーを出してきそうだというのが今の段階で、こちらが出しそうなパーに対して、あちらが出してきそうなチョキの内訳はなにか、という話をしたい。


 考えすぎると堂々巡りになってしまうが、あまり複雑に考える必要はないというのがギデオンの見解である。

 こういうのは、相手をきっちり一枚だけ上回るというのがセオリーなのだ。


『そういうことね。うーん、それなら……強いて言うなら、ローキックかな』

『なるほど……ん? しかし、ミドル、ハイ、ローだと、キック全部じゃないか』

『あはは、確かに! でも、読みなんて本来そんなものさ。こんなの当たる方がおかしいんだ。

 アクエリカがオノリーヌに奇跡がどうこうって話してたみたいだけど、たぶん同じ主旨だと思うな。策を講じる。で、あとはなんとかその想定内に転ぶよう、ひたすら祈るのみなのさ』


 ずいぶん弱気なことを言ってヘラヘラ笑った後、ヴィクターは不意に硬質の笑みを浮かべる。

 こいつがこういう顔をしたときに言うことは信用していいと、ギデオンもいい加減わかってきた。


『あともう一つだけ! これはたぶん、数回戦っただけではわからないことだと思うんだけど』

『そういうのを待っていた』

『でしょ? あのさ、デュロンの放つ決定打って、大抵は二連撃なんだ』

『ほう』

『突きより威力の高い蹴り主体のスタイルなのは、たぶん彼の体格があまり大きくないから、自分よりデカい奴やタフな奴と張り合うためなんだろうけど……これもおそらくは格上相手を想定してるんだろうね。

 一発目を耐えられても、二発目で倒す。あるいは一発目を躱されても、二発目は当たる。倒せなかったら以下続行って感じかな』


 期待以上の情報を得られたため、ギデオンは感心しつつ復習した。


『基本はローキックからの二連撃に注意ということだな。それ以前にまず、決定機に追い込まれないというのがベストなんだが……』



 ……そんな心配はないだろうと高を括っていたら、結局このザマだ。


 そして、やはりヴィクターの言う通りだった。読みなど当たる方がおかしいのだ。

 そもそも読みが必要になる場面……つまり、守勢に回っていること自体がまずい。


 デュロンの掌によって制限されたギデオンの視界は、空間踏破による急速肉薄をキャンセルされただけでなく、相手の攻撃動作をたった一瞬といえど十全に把握できないという、大きな不利を生じた。もはや対応を情報と予測に頼る他ない。


 左右どちらが来てもいいように、ギデオンは両脚に外向きの力を掛けた。


 直後、左脇腹に爆弾をブチ込まれたような心地が生じて、ただでさえ浅く速くなっていたギデオンの息が詰まった。


「……ッ!!?」


 ただの中段蹴りだ。……のはずなのだが、あまりの威力で意味がわからないくらい思考が混濁する。

 かざされていた掌がせっかく下げられたのに、眼が霞んで視界が戻らない。とっさに挟んで防御した左腕も、ついでとばかりにまとめて折られている。


 落ち着け、次が決定打の本命だ。死へ呑まれるな、耐えて反撃だ!


 今度は右脚がなくなったかと思った。

 まだ立っているはずだが感覚がない。


「ぐあっ……!!」


 しかし耐えた。つまり反撃だ!


 ギデオンの顔は嗜虐で歪み……次いで衝撃でたわんだ。


 左頬の火傷の痕に、当時の熱が甦る気がしたくらいだった。

 首が吹っ飛ぶかと思った。手斧ではない、ただの蹴りでだ。

 受け口の彫り方とはこういうのもあるのか。勉強になった。


 体が傾き、けっして低くはない柵を越えていくのだが、どうにもできない。

 三連撃だった。ミドル、ロー、ハイの順だ。

 ヴィクターの読みを、さらに読まれていたのか。単にギデオンが頑丈なので、念には念を入れただけなのか。


 それももう関係ない。

 風が心臓を縮ませる。

 ギデオンは背中から綺麗に落ちていった。




「う……」


 落下の衝撃と激痛は確かにあったが、意識を保ったままそれを感じることができていることに、ギデオンは驚かざるを得なかった。


 ここがどこかは知っている。嫌というほど、ギデオンが……いや、エトランゼが知っているのだ。


 ミレインの一般的な民家とは異なる、妖精たちが丁寧に拵えたその茅葺きの一軒家は、「最後の人間館」と名付けられ、当時のままの状態を保たれている。

 だからこそ屋根も葺き替えられることはなく、耐用年数を超えていたため、ギデオンの墜落を優しく柔らかく受け止めることを最後の任務とし、一発で壊れて突き抜けてしまったのだろう。


 実際に最後の人間が誰かは諸説あるのだが、少なくともミレイン最後の人間がであったことは、おそらく疑いの余地がないと思われる。


 この家に彼女が住んでいた。

 そして今はもういないのだ。


 20年前、その事実に耐えられなくて飛び出してから、エトランゼは……ギデオンはずっとこの家を避けてきた。いや、そもそもアクエリカに憑き霊のようについて行き、ミレイン自体から逃げたのだ。


 絶滅種・人類史上で見て最悪の惨事が起きた場所なのに、訪れることができない赤帽妖精レッドキャップ……これより滑稽な存在などそうそうない。


 帰省するたび母に、死んだ女の齢を数えるのはもうやめろと、何度も何度も言われた。

 通り名を変えても無駄だ、いいように使われるなとの箴言も無視した。

 ここへ来る前に訪れたとき、母はなにかを察したようで、「絶対に帰ってこい」と、声が涸れるまで怒鳴り続けた。

 それでもやはり、●●●●は現実から背を向けたのだ。


 虚しさに耐えられなかった。

 もうすべてがどうでもよかった。


 勝っても死ねるし、敗けても死ねる。

 これ以上に盤石な両賭けはないはずだった。


 しかし実際には、まるでそれすら見透かされていたかのような、なにもかも上回られ、読み負けた上での完全敗北を喫している。

 この世からの退場という最悪の本懐すら叶えることが許されなかった。


 今、階段の踊り場から見下ろすデュロンが背に負う、雲間から覗いた月は、いまだ満ちるには程遠い。


 廃倉庫で彼の姉がギデオンを、彼の待つ鐘楼へと誘導した理由が、今ようやくわかった。

 相手の癖や動きを学習するというのは、当然ギデオンにも同じことが言えるため、ここに優劣が発生する余地はない。


 そうではなく……ギデオンという強者との交戦経験をたった一回増やすだけで劇的な飛躍を遂げるほど、デュロンはこの完成度でなお、恐ろしいほど未完成だということなのだ。

 それこそ、月の満ち欠けに伴う短期的な力の盛衰など、微差として切り捨てられるほどに。


「そう、か……俺は、敗けたのか」


 ギデオンは顔を両手で覆った。悔しさに仮託し、今まで心の奥底に封じていた様々な感情が、この体に、そしてこの家に満ち、溢れていく。


 一番表情を隠したいこのときに、相棒の血で染められた帽子は、黒幕の本拠地で紛失してしまっていた。


 誓いも、祈りも、願いも、望みも、なにもかもが砕け散っていた。


 ギデオンにはもはや、指一本を動かす気力すら、残ってはいなかった。

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