第119話 ガキの遊び場④


「だあっ、クソ! あの野郎、一般市民を飛び石に使いやがった!」


 デュロンは慌てて追いかけ直すものの、稼がれた距離は小さくない。

 遅れてリチアに追いついたが、声をかけようとしたところで振り返られ、悲鳴を上げられる羽目になる。


「ひゃああっ!? お、おくりおおかみ……!?」

「いや違うから! あいつの言ったこと全部嘘だから! リチアさん、気をつけて帰ってくれよ! その上着は捨てるか、気味悪かったら教会に返してくれればいいから! あと俺は狼だけど狼じゃないから! ほんとだから!!」


 すれ違った後も後ろ向きに走りつつ、言うべきことを言い切って、デュロンは前へ向き直り足を進めた。


 デュロンがミレインに来た10年前、中心街という言葉を初めて聞いたときは、なんとなく貴族的で華やかな、ゆったりした優雅な区画というイメージを抱いたものだ。


 実際に上流階級や高給取りの邸宅がもっとも多いのがここだと言われているが、意外と幅員の狭い、雑多な居住区に近いことがわかる。

 密度が高く立体的な街並みが続いているが、赤煉瓦を始めとして色合いが鮮やかなおかげか、汚い印象はなく、賑やかという感じが強い。


 案の定、ギデオンは三次元上の最短距離を進んでいた。

 デュロンも負けじと跳躍し、壁やとい、屋根や煙突を蹴って追いかけていく。


 ここは雨で良かった。晴れの日は洗濯物が所狭しと干されているので、絶対にどこかで引っかかってミスしていたに違いない。

 などと考えていると、不意にギデオンが振り返り、壁に着地する寸前だったデュロンめがけて、刃の欠けた手斧を投擲してきた。


「どわっ!?」


 なんとか空中で反ったデュロンの鼻先を掠めて、斜めにすっぱり布のように裁断されてある尖った切り口が(そもそもなぜこの手斧がこうなっているのかもわからない)、石壁に突き刺さる。

 ともかくデュロンはその柄を掴んで壁を蹴り、時計の針のように体を体を半回転させて、柄を足場に跳び、壁のてっぺんまで登り切った。


 これで少しは高度を稼いだ、と考え、前に向き直ったところで、向かいの建物のてっぺんにいるギデオンと目が合った。


「…………!」


 デュロンは反射的に、彼の方へ向かって跳躍している。その間ずっと、互いから目線を切らない。


 向かいの建物は結構近く、屋上に直接飛び移ることはギリギリ可能であることは目測していた。

 失敗しても下を水路が流れていることも確認している、着地の問題はない。


 だがそれをギデオンが見過ごすわけがないとデュロンは確信していて、ギデオンもそれは理解しているだろう。


 敵ながら、まるで空中ブランコにおける相方のような、奇妙な信頼関係が発生していた。

 まさにデュロンが予測した通りの、二つの建物のほぼ中間地点に到達したとき、ギデオンの空間踏破が発動し、デュロンの至近で杖を振っている。


「チャオ、ギデオン!!」


 対するデュロンは右足を蹴り込んで、奴の第二の得物を打ち砕いた。

 しかしギデオンはなお冷静だ。欠けて尖った杖の残骸で刺突を放つ。


 受けたデュロンの左前腕に突き立ち、激痛が走るが、これはこれで好都合だ。

 丸腰の人狼に、武器を与えてくれてありがとう。贈り物にはお返しをしなくてはいけない。


 デュロンは腰を捻った体勢から肘打ちを放つ。


「ぼぐっ……!」


 引いて避けたつもりのギデオンの顔面を、デュロンの上腕に刺さったままの杖の残骸が、次いで裏拳が殴りつけ、ほぼ地面に近い壁に叩きつけた。


「ぐっは……!」

「ゴボォッ!!」


 同時にデュロン自身の滞空時間も終わり、水路に落下した。

 衝撃は問題なし。濡れるのもどうせさっきから雨に打たれているので、さしたる体温低下もない。


 水から上がったデュロンは身震いし、腕に刺さった杖の残骸を引っこ抜いて、再生能力で傷が塞がるのを数秒待ちながら、アパートメントと思しき建物を見上げた。


 ギデオンは壁を蹴って跳ね返り、各階のベランダも利用して、どんどん登っていくところだった。

 デュロンも同じようにして後を追うが、焦りが募る。


 このアパートメントは見覚えがある、もうすでにかなりウルエント広場……つまり市庁舎に近いところまで戻ってきてしまっている。

 そしてそれ以上に、せっかくの側にいるのに、このままでは通り過ぎてしまう。


 なんとかギデオンを引き止めなければ!

 そしてその好機は、図らずもギデオンの方から作ってくれた。


「いい加減諦めろ……!」


 再び決定的な距離を、それも絶対優位である縦方向に稼いだので、慢心したのではなく、むしろ駄目押しを図ったのだろう。

 ギデオンは両脚をベランダの柵に絡めて体を逆さまに固定し、両手で指弾を撃ってきた。

 落ちる雨粒と一体化するように、迅速な鉄球が、精確にデュロンの両手を狙ってくる。


「嫌だね!」


 しかし、その精確さが仇となる。デュロンは望み通りに両手を雨樋から離し、空中に身を放った。

 ただし両手それぞれで指弾を受け止め、投擲というよりは投石器に近い、上腕のスナップを利かせる最小限の動きで投げ返しつつ、壁を蹴って斜め上に跳躍する。


 デュロンの狙いはいい加減なもので、一個は明後日の方向へ吹っ飛んだだけだが、一個はギデオンの両手の間をすり抜け、奴の額に命中した。


「ぐっ……!」

「ラッキー!」


 ギデオンはダメージを受けたが怯みはせず、体勢の崩れもすぐに立て直したが、その間にデュロンは向かいの壁を蹴ってさらに跳んでいる。


 次の二秒でさらに二度跳んだデュロンは、ついにギデオンに追いついた。


 左足を掴むのと同時に右足で蹴られるが、もう離しはしない。

 最悪に近い足場でガタガタ揉めてグダグダ殴り合い、最終的に両手同士を組み合って力任せに押し合う状態のまま空中を跳ね回り、錐揉み状態となる羽目になった。


「しつこいぞ!」

「テメーが言うな!」

「なにも知らない分際で!」

「そうでも……ねーんだなこれが」


 デュロンが急に冷静になったのが、見事に目的地点へ追い込むことに成功したからだと、ギデオンは気づいたのだろうか、彼も黙りこくった。


 やはり足を地に着けるというのは大切だ、おかげで心も落ち着いた。

 もっとも奈落を前に、お互い覚悟を決めただけかもしれないのだが。

 それでもデュロンはやはり、虚勢を湛えた笑みを浮かべるしかない。


「どうしたギデオン、踊ろうぜ?」


 なんということはない。二人が到達したのは四方三メートルほどの、単なる階段の踊り場だった。

 ただしかなり見晴らしのいい高台であり、地上までは民家で言うと三階分くらいの距離がある。


 おおよその方角で言うと、東が登り階段、北が下り階段で、西と南は柵こそ設置されているが、乗り越えて転落すると、もはや掴むものがなにもなくなる。


 いや、正確に言うと、南はまだマシだ。クッションとなるものが期待できるので、落ちても死ぬ可能性は低いと言える。

 ただ、西は……単純になにもない。地上は完全に空き地となっていて、無機質な古びた石畳が、世界でもっともありふれた最強の武器として、敗者の頭をカチ割る準備が万端に整っている。


「…………」


 ギデオンは顔が真っ青になっているのが見て取れた。雨で流されて臭いまでが隠されてはいるが、おそらく大量の脂汗をかいているのがわかる。


 こんなやり方は、デュロンとしても本意ではなかった。

 できることならば、完全に近接戦闘のみの実力で勝ちたかった。


 しかし不思議なことに、敵に対する敬意と悪意は両立するのだ。

 今のデュロンはギデオンに対して、誠実な紳士であると同時に、悪辣な餓狼であることができた。


 さっきは牛さん鬼ごっことでも呼ぶべきわけのわからない遊びで、追いかけるか迎え撃つかの二択を毎秒迫られた。

 今度はデュロンがギデオンに二択を迫る番だ。


 東は、ない。登り階段に叩きつける意味はない。北も、下り階段に転がしたところで、この二人の頑丈な肉体では大したダメージにならないため、ほぼない。


 普通に考えたら、デュロンは西へ向かってギデオンを蹴落そうとするはずなのだが、ギデオンの脳裏にはから、南の可能性がチラついているはずだ。


「それ、それ、ほいっと。……いや、マジか」


 相手が嫌だ嫌だと思っているから、自ずとそうなっていくのか。

 何度か牽制の連打を放っただけで、南西の一角にギデオンを追い詰めることができてしまい、驚いたのはむしろデュロンの方だった。


 ギデオンは……もはや誰が見ても明らかなほど、表情に動揺が表れていた。

 逆に彼の顔を流れる雨すら、すべて彼の汗にしか見えない。


 そろそろ終わりにしようかと、デュロンは四肢に力を込めた。

 それを見て取ったギデオンが、最後の足掻きとして、空間踏破による肉薄を図る。


 それを読んでいたデュロンは、ただ掌を突き出して、互いの視界から互いの視線を遮った。

 高速移動はキャンセルされ、蹴りに適した間合いだけが残る。


 大丈夫。この場面で繰り出す攻撃を、デュロンはきちんと考えてきている。

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