第118話 ガキの遊び場③


「……ハァ、ハァ……クソが、手間かけさせやがって……」


 デュロンは雨の降りしきる中、ギデオンの両足を後ろ手に掴んで引きずり、ミレインの中心街を走っていた。

 どうもこの雨が良くない、じきに意識を取り戻してしまうだろう。


 四肢を拘束するような道具は持っておらず、教会に連行するまでに眼を覚まされたら意味がない。

 それよりは少しでも市庁舎から距離を取り、覚醒した後の行動をコントロールしてやろうという魂胆である。


 それとは別に、この方面へ来たのには、デュロンなりの狙いがあるのだが……。


「おっ!?」


 強力な筋肉の発条ばねが収縮するのを感じ、デュロンは掴んでいた両足から手を離した。


「ぬっ……」


 腹筋で上体を起こして掴みかかろうとしていたようで、ギデオンは攻撃姿勢に入った状態で、無様に地面を転がった。

 トレードマークの赤い帽子はとうに脱げており、暗褐色の前髪が額に貼り付き、暗緑色の眼にはどこか疲労が伺えた。


 いつ起きてもいいようめちゃくちゃに走り回っていたのが幸いし、今、デュロンは市庁舎の方角へ進んでいる最中だったので、そちらを背に負い、ギデオンに正面から立ち塞がることができる。


 見当識が戻り、ある程度の土地勘も得ていたようで、ギデオンもそのことを理解した様子だった。


「……なるほど。なら……こっちだ」


 そして次の瞬間、彼は今来た道……つまり市庁舎とは反対方向へ走り出した。


「なんでだ!?」


 思わず声を上げるデュロンだったが、すぐにその意図に気づく。


 この状況でデュロンにとって一番まずいのは、ギデオンの姿を見失ってしまうことだ。

 回り道や近道で先に市庁舎に到達され、任務を達成されてしまったら、せっかく引き離した意味もなくなる。


 なので追うしかない。ただし彼が振り返る瞬間に対して、常に気を配る必要がある。ギデオンが行く先へ至ろうとしているのか、取って返そうとしているのか、一瞬ごとに択を迫られるのだ。


 まるで標的が逃げるせいで無限に続く「牛さんが転んだ」、あるいはどちらが鬼かわからない変則鬼ごっこだ。

 子供の遊びというのは単純なようでいて、意外と心理戦の極意が詰め込まれていることが多いと、昔オノリーヌが言っていたのを思い出す。


 ならいっそのこと、逆に俺が逃げてやろうか? とデュロンの頭に稚気が疼いた。

 デュロンを見失うと困るのはギデオンも同じ……なのだが、これはさすがに却下した。

 デュロンの方が先に市庁舎へ辿り着いても、振り出しに戻るだけで、大きなメリットはないからだ。


 そもそも増援を送れないというのがどういう状況かわからないのだが、あれ以降アクエリカの使い魔からなにも情報が入ってこない。

 仲間や同僚と合流したいが、そもそも雨のために通行者自体が少なく、さっきからほとんど誰ともすれ違っていない。


 ……などと考えていたせいか、すぐに例外となる事態に遭遇した。




 ギデオンは息が荒れるのを自覚していた。

 数分間全力疾走した程度でバテるような、やわな鍛え方はしていないつもりだ。

 ……いや、原因はわかっている。しかし、自覚したところでどうしようもない。


 まさかデュロンは、これを狙ってここに?

 いやまさか、あいつはバカだ。と否定したところで、眼前の光景に注意を奪われた。

 雨の中でもはっきりと聞こえるほど、無駄にデカい声が響いてきた。


「なあ! 別に今すぐどうこうしようとか言ってるわけじゃねえんだわ!?」


 路地の少し開けた場所で、揉めている男女の姿があった。

 正確に言うと五人いる男たちの方が勝手に揉めごとを起こしているようで、ひさしの下から雨の中へと、明らかに怯えた様子の女性を突き飛ばし、転ばせて笑っている。


 詳しい事情など知るわけもないし、、知ったことではない。よくある痴情の縺れだろう。

 今は契約に基づく任務の最中だ。こんな些細なトラブルに関わっている暇などあるわけがない。


「…………」


 たがギデオンはどうしても足を止めずにはいられなかった。

 場所柄そういう情緒になってしまったとしか言いようがない。

 この場面をスルーするのはムカつくし、負けた気分になる。……なににかはわからないが。


 無言で睨むギデオンを見咎め、男の一人が粋がった。なかなかかわいらしい威嚇行動だ。


「ああっ!? なんだてめえは、この女の知り合いか!?」


 答えずにいると、庇の下へもう一人の気配が入ってくるのを、ギデオンは背中で感じていた。


「…………」


 こんなところでなに油を売っているのだろうと、デュロンは訝っているのだろう。

 しかし、雨の中で泥だらけになって腰を抜かしている一般女性と、明らかにチンピラ丸出しで悪意を発する男たちの様子から、状況を把握した様子で、彼はなにも言わず、ギデオンの隣に並び立った。


 どうも力量差の一つも測れないほど節穴を並べているようで、男たちはニヤニヤ笑い始める。


「おっと、だんまりの濡れ鼠が一人増えやがった。誰だか知らねえが、邪魔するポガァッ!?」


 しかし喋れたのもそれまでで、デュロンのうすらでかい拳で顔面を潰され、綺麗に一回転半しながら雨の中へ吹っ飛んで行って五体投地するという殊勝さを、一人目の男が見せてくれた。

 内心の反省を体で表現したのだろう、偉いなあとギデオンは評価しておく。


「な、なにしてやがる!? どこのモンだ、やろうってのカバサンッ!?」


 どうやら今のもよく見ていなかったようで、次の一人がギデオンに掴みかかってきたため、側頭部を蹴って元気にジャンプさせておく。

 実は雨が好きだったようで、地に平伏し天に感謝している様子だ。

 信心深くて結構だなと、ギデオンは感心した。


「ふざけんナバスッ!?」「タダで済バサァ!?」


 続く二人も後を追って転がったので、泥んこ遊びが好きな僕ちゃんたちは放っておいて、デュロンは雨の中へ出て行き、女性を助け起こして、庇の下へ戻ってくる。

 その間に最後の一人を絞め上げていたギデオンは、もう少しで落とせそうなので、そのままの体勢でデュロンと正対した。


 デュロンはびしょ濡れになってしまった女性の上衣を脱がせ、自分も耐水性の高い祓魔官エクソシストの上着を脱ぐと、女性に頭から被せた。

 さっきまで着て戦っていたので汗臭いはずだが、女性は悪い気持ちの顔をしていない。

 どうやらこの男はバカの上に天然らしい。


「おい、ギデオン。テメー、いつまでこんなことを続けるつもりだ?」


 そしてその天然でバカなガキに生意気な口を利かれたため、ギデオンはチンピラEを絞める手につい力が入ってしまう。


「言うにこと欠いて説教か? 聖職者様は立派なんだな」

「ちげーよ、真摯な助言だ。お前、殺……その仕事向いてねーんだよ。ずーっと感情ダダ漏れなのが、プンプン匂ってんだよ、このセンチメンタル野郎が!」


 あまりに図星を指されたため、ギデオンはすでに落ちているチンピラEを雨の中へ力任せに放るしかなかった。

 デュロンは我が意を得たりと、ただし苦笑気味に頰を緩める。


「それが悪いって言ってるんじゃねーんだ。むしろ良いことだと思うぜ。ただ、職業柄どうなのかと思ってな。

 ……お姉さん、ポケットにスカーフが入ってるから、良かったら髪拭くのに使ってくれ。風邪引いたら良くねーからな」

「あ、ありがとうございます……!」

「うん。任官以来ずっとそこに入ってて、一度も使ってねーやつだから、綺麗なはずだ」

「それはそれでどうなんだ?」

「うっせーな……ギデオン、テメーはこっちの話に集中しろ。まだ終わってねーんだよ」


 ギデオンとしてはデュロンと話すことなどない。むしろ素直に髪を拭いている女性と話すことがあった。


「ご婦人、お名前は?」

「ひゃいっ!? り、リチアです……! お、お二人とも、助けていただいて……」

「それはいい。そんなことより、リチア、そいつの顔をよく見ろ」

「か、顔……?」


 リチア女史に視線を向けられたデュロンは、ここ一番で笑顔を作るのに失敗し、不気味な表情を浮かべてしまっている。

 途端にリチア女史は震え出し、ギデオンを縋るように見つめてきた。


「こ、怖い、です……!」

「お、おい、ちょっと待ってくれ……!?」

「だろうな。そいつはミレイン一の送り狼と呼ばれている、不良極まりない最悪の祓魔官エクソシストだ。百人食ったと自慢しているのを聞いたことがある。実際はもっと多いかもな」

「ひゃ、ひゃく……!?」

「違うぞ!? ギデオン、お前なに大嘘ぶっこいてんだ!?」


 苦情を無視して、ギデオンはここぞとばかりに、迫真の演技で声を張った。


「俺が食い止めるので、そのまま走って教会へ駆け込め! 聖ドナティアロは、あっちだ!」

「は、はいっ!!」

「うおおおい!? ちょ、待っ……あああ!?」


 ギデオンの杖による掣肘せいちゅうを腕で受け止め、その隙にリチアに逃げられたデュロンは、額に青筋を浮かべ、頰を複雑に歪めた。


「テメー……自分がちょっと火傷の跡があるだけのまともな男前だからって調子乗りやがって……あとよくもこの俺の清らかで誇り高きツルッツルの童貞ちゃんを言葉の上でも穢しやがったな、許さん!」

「どういう感情なんだそれは……聖職者としては正しいとは思うが……それより、いいのか?」

「なにが?」

「彼女を行かせて」


 やはりバカだ、まだ意図に気づかない。

 ギデオンは、普段は出さない音量を喉に強いて、魔法の呪文を詠唱する。


「リチア!!」


 すでに眼と声の届く距離ギリギリまで離れていた彼女は、急に呼び止められたことで慌てて振り向いた。

 彼女と視線が合ったことで、空間踏破能力の発動条件が満たされる。


 一瞬で彼女の間近に到達したギデオンは、すれ違い様に優しく肩を叩いて用件を口にし、市庁舎の方角へ速やかに走り去る。


「助かった。気をつけて帰れよ」


 返事は雨に紛れたが、それでいい。

 気ままな妖精族に、正義も余韻も似合わない。

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