第122話 捕り物、および憑き物落とし
ギデオンの標的が直接的にはアゴリゾ、間接的にはアクエリカだと確定したため、エルネヴァ護衛の任を解かれたイリャヒとソネシエは、翌日の夕刻、ミレイン市庁舎へと赴いていた。
今やおおよその事情を知ってしまったらしい秘書コニーが、複雑な表情で二人を迎えてくれる。
「このたびは、オグマが大変な……」
「ああ、我々に対して、そういうのは結構ですよ。ほとんど無関係でしたし」
謝意を示そうとするのでイリャヒが手振りで止めると、彼女は苦笑を浮かべて、市長執務室の扉を開け、二人を中へ導いた。
室内は薄暗く、照明もまだ点いていない。
部屋の中央ではアゴリゾが椅子に腰掛け、来客に背を向けて、彼自身の黄昏を見つめている様子だった。
窓の外を見ると、互いに丸一日英気を養って(両者ともにほぼ再生限界状態に到達したらしいので、そこからの回復が必要だったのだろう)戻ってきたようで、デュロンとギデオンが二階の屋根の上でやり合っているのが見える。
昨日の今日でよくやるものだと、イリャヒは呆れながら帽子を脱ぎ、近くにあった机に置いた。
帽子で思い出したが、ギデオンが落としたという赤いトレードマークは、雨が上がった後にデュロンが拾って乾かし、屋根に置いた上で彼を待ち構えていたらしい。もはや単なる仲良しである。
イリャヒが隣を見ると、ソネシエは幽鬼のように静かだが、ちゃんとついてきていた。
イリャヒはアゴリゾに視線を戻し、
「お初に……などというまどろっこしい挨拶は、この際抜きにしましょうかね」
「……それが、いいだろうね」
無論、イリャヒは各種式典などで遠くからだが、彼の姿を目にしたことや声を耳にしたことは何度もあったので、イリャヒの側からはお初ではないというのはある。
ただしミレイン市長アゴリゾ・オグマは、たった一晩で容貌がすっかり衰え、明朗だった声も弱々しく掠れていたため、まるで別人のように思われた。
いくら人狼は特に基礎代謝が高いとはいえ、それなりに良かったはずの体格は目に見えるほど一回り縮み、精悍だった顔立ちは痩せこけている。
当然のように一睡もできなかった様子で、落ち窪んだ眼の下には濃い隈が描かれている。
丁寧に撫でつけられていた髪はバサバサに乱れ、太めの眉すら気勢を失っているように見える。
無理もない。視座によってはこの一昼夜に限った話でもないのだ。
契約と計画を続行することは、できるといえばできなくはない。アクエリカにどれだけバレていようと、彼女がどれだけゴネようと、予定通りの結果さえ出せれば……王国側も薄々以上に察してはいるだろうが、形式上の大義名分を得さえすれば、まだアゴリゾの思惑通り動いてくれるだろう。
元々ある程度はそういった暗黙の了解に基づく、儀式的な側面を帯びた策なのだから。
ただし寄せては返す暗澹たる荒波の恐怖に、アゴリゾ自身の精神が耐えられるかはまた別の話だ。
いわば毎日死刑執行を宣告されては撤回され続けるような状態に身を置くのだから。
しかも、今は月が満ちている最中なため、ただでさえ優勢であるデュロンの勝率が上がっていくが、その後で月が欠けていく週間に入れば、今度はギデオンの勝率が……つまりアゴリゾへの死の到達確率が上がっていく。
平常心で座していられるのはそれこそアクエリカくらいのもので、そこまでいくともはや逆に褒められたものではないくらいだ。
今やほとんど前後不覚の状態だろうと理解しつつも、イリャヒはいちおう言うべきことは言っておくことにした。
「ええと……申し訳ないのですが、我々はなにをするでもなく、あなたのご英断を待つことしかできないのです。できれば早めにお願いしたいところですがね」
反応はないかとも予想したのだが、意外にも市長は二人に視線を向けた。
覇気は失せたが英明の残る瞳が鈍く光り、ひび割れた唇は理性ある言葉を発する。
「……いや……イリャヒくん、他ならぬ君に、頼みたいことがある」
「私にできることでしたら、なんなりと」
「ギデオンを、ここへ
言われている意味が一瞬わからなかったが、イリャヒは納得で膝を打った。
そもそもなぜ彼自身が手っ取り早くそうしなかったかといえば、ギデオンと事前に通じて示し合わせていたことが客観的にあまりにも明らかになってしまうと破綻するため、策の根幹となるもの以外……たとえば召喚に応じるといった余分な契約は結んでいないのだ。
おそらくそちらの便宜的な部分は、すべてヴィクターが担当していたのだろう。
というわけでイリャヒは、言われて察して指を鳴らし、飛び出させるべく名を呼んだ。
「ギデオン!!」
訪れた静寂を呑み込むのに時間がかかり、イリャヒはようやくポンと手を叩く。
「あ、そうでした。私も別に、そういうのを結んでいたわけではなかったです」
テンポの悪い状況に嫌気が差したようで、影のごときおちびさんが口を開いた。
「……わたしの方が少しは勉強が進んでいる。妖精本人がいなくても、召喚契約を結んでいなくても、契約内容の変更や解除を打診すれば、当該妖精を呼び寄せることができる」
「だそうです! よろしければいつでもどうぞ!」
少しは場を和ませる役には立ったようで、アゴリゾは頽廃的な微苦笑を浮かべ、その名を呼ぶ。
「ギデオンくん……いや、●●●●」
そして彼は
「……お前と私が結んでいる、各種の情報保秘……および、私自身の殺害に関する専属契約を、すべて……解除、する……!」
「今のは本当か? これが最終決定となるが」
情緒もへったくれもなく、本当に瞬時に間近へ現れたギデオンは、イリャヒとソネシエには一瞥もくれず、アゴリゾへとまっすぐな意思確認を行う。
これを使って些細な内容変更に
ちなみに窓の外では好敵手がいきなり姿を消したため、蹴りの勢い余ったデュロンが、屋根の上から滑り落ちていくところだった。
本当に彼は芸人としても、そこそこ程度にはやっていけるのではと思われた。
一方の室内では、アゴリゾを諦念だけが包んでいる。
「ああ……契約をすべて、解除する。もう、こんな不健全な関係も、賢しらぶった策謀も終わりにしよう。私や君、そしてヴィクターくんではどうしようもなかった。これが結果だ」
ギデオンもそれなりの感慨はあるようで、躊躇いがちに話していく。
「……そうか……了承する。俺は結局、アクエリカという疫病神が引き連れてきた、遥かに矮小な別の疫病神でしかなかった。これ以上の災いを浴びたくなければ、今回のことも、俺の真名も、できれば忘れてしまうことだな」
「できることなら、本当にそうしたいくらいだよ。もしも君が本物の悪魔だったら、記憶の徴収を願うところだね」
そしてアゴリゾは自虐的な表情を浮かべて、イリャヒとソネシエの顔を伺った。
「……それで、ギデオンの代わりに、君たちが私の処刑を担当するのかな」
「まさか、それでは本末転倒でしょうに。もちろんあなたには、これまで通りにミレイン市長を続けていただきます。それが猊下の裁定です」
飼い殺しという言葉がイリャヒだけでなく、アゴリゾの脳裏にも浮かんだはずだ。
「ハハ……そうか、そうだよね……寛大な処置に、感謝、しなくて、は……」
そこで、張り詰めていた精神が限界を迎えてしまったようで、天井を仰いで白目を剥き、何度か痙攣したアゴリゾは、床へ仰向けにひっくり返り、そのまま動かなくなってしまった。
「市長っ!? 大丈夫ですか!?」
音を聞きつけ、慌てて入ってきたコニーに体を起こされたアゴリゾは、どうやら気絶しているだけのようで、脂汗をかいて
彼に取り憑いていた妄執という名の悪霊は、どうやら落とされたようだった。
「お大事に」
この仕事をやっているとよくあることなため、それだけ言い置いて見送り、イリャヒとソネシエはギデオンに向き直る。
もはや彼は(今、牢にブチ込まれて行動不能であるヴィクターを除けば)完全にフリーであり、なんらの利害関係も介在しない状態にある。
なのでイリャヒは屈託なく言い切った。
「ギデオン、私とあなたが結んでいた、我々に対する攻撃禁止契約を解除します」
「了承する」
ギデオンの体から細かい光の粒が散っていったように見えたが、
それを受けたギデオンの反応は……なにもせず、ぼんやり突っ立っているだけだった。
すべては終わったのだ。どことなく嬉しそうな顔で、ソネシエが彼に話しかけた。
「これで、あなたと訓練もできる」
「そうだな……それは、悪くない」
心なしか、彼の表情も柔らかくなった気がする。なにを話したのか詳しくは知らないが、あの男もなかなかやるものだ。
ちょうど窓からデュロンが入ってきて、しかめっ面を見せるところだったので、イリャヒは満面の笑みを返しながら、一同を促した。
「さ、では、帰りましょうか。
ひとまず、猊下に報告からですかね」
そうしてイリャヒはソネシエ、デュロン、そしてギデオンを連れて、速やかに市庁舎を辞した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます