第116話 私の隣で燦然と輝け
そして現在アゴリゾ・オグマは、市庁舎の三階にあるオフィスで、窓際の椅子に座して、そのときを待っていた。
計画の始動をこの時間帯に設定したことにも意味はあるが、外はあいにくの夕立で、どうにも天には嫌われている。
しかし結局大きな支障はないだろうと判断し、ヴィクターがこっそり送ってきた使い魔のモモンガに対して、ゴーサインを出したわけだ。
護衛をつけられてから、アゴリゾがヴィクターやギデオンに連絡したのは、それが最初で最後だった。交代で張っているデュロンとリュージュに見られたらまずいからなのだが、逆にアリバイを作るという意味では有利に働いたと言える。
アゴリゾが室内に目を向けると、先ほど仮眠を終えたばかりのデュロン・ハザークが、寝起きの運動に勤しんでいるところだった。
「ふっ……ふっ……ふっ……!」
片手倒立腕立て伏せをやっているのだが、回数を決めず、基本的になにか中断する要素が発生するまで続けるというのが彼のスタイルらしい。
待機時間が暇すぎることへの要望として、マット一枚で事足りるというのは、清貧を体得していて素晴らしいと思う。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
秘書のコニーは出入りするたび、傍目には明らかなほどデュロンの方をチラチラ見ていて、アゴリゾの視線に気づくと顔を赤らめて咳払いする様子が観測される。
たった10歳ほどの齢の差なんて気にする必要はないのにと、アゴリゾはにっこりと笑い、デスクの下でこっそりと、両手でハートマークを作り、祝福しておく。
彼女を含め、市庁舎の職員たちは誰もアゴリゾの本懐や本性を知らない。コニーにデュロンの様子を見ておくようあらかじめ頼んだのも、単に彼女の自主性に訴えただけだ。
ヴィクターが銀の弾丸を撃ったのはけっして悪い判断ではなかったが、そのあたりについて彼と若干認識の齟齬があったことは否めない。一方でそれが結果的に、二人が共謀しているという疑念を弱めることに役立ったので、最終的には良かったと言えるだろう。
「……!」
コニーが退室してしばらくすると、急にデュロンが筋トレをやめ、地に足をつけた。
そして、アゴリゾの背後にある窓から、いまだ雨の降りしきる外を睨みつける。
まだ見えているわけでも聞こえているわけでも、嗅ぎつけているわけでもないだろう。
気配を察しているのだと理解し、アゴリゾは素知らぬ顔で、落ち着き払って彼に尋ねた。
「奴が、来たのかい?」
「ああ」
「君は勝てそうかな?」
「勝つさ。そのためにここにいるんだ」
彼はそう言って窓を開け、外へ飛び出していく。
こんな場面を想像してほしい。
祭壇にはすでに生贄となるべき肉塊が鎮座している。そこへ向かって、白い覆面を被った神官たちが両脇に等間隔で立ち並び、松明を掲げている。
彼らが迎え入れるのは、生贄を屠る処刑者だ。祭壇に死が捧げられれば、この魔族時代において竜や巨人や悪魔よりも恐ろしい巨大な怪物が召喚され、敵対する司教へと差し向けられて、彼女が治める街ごと噛み砕く。
今回の策はそんなイメージだ。
そして、生贄の元へ向かう処刑者の前に立ちはだかる一匹の番犬も、この儀式を構成する要素の一つ……成就のために超えるべき試練として解釈できるのだろう。
三階にあるアゴリゾのオフィスから外を見下ろすと、聖ドナティアロ教会に向かって伸びている、市庁舎二階部分の屋根がある。
この一直線の足場は、仕掛けた罠にアクエリカを追い込むという意味でも、どこか今回の策を象徴するものだった。
要は、アクエリカがギデオンを使ってアゴリゾを殺したという事実さえ残れば、それがラスタード王国に対する宣戦布告と見なされるわけだ。
あとは〈恩赦祭〉のウォルコ・ウィラプスとほぼ狙いは同じで、あちこちから諸勢力が介入し、めちゃくちゃになる可能性の方が断然高い。
ヴィトゲンライツ家に限った話ではない。この世界は今、そろそろ戦争をしたくてしたくてウズウズしているところなのだ。
市長といえど所詮は一市民でしかないアゴリゾですら、肌感覚でそれを理解せざるを得ないレベルでだ。
ちなみに、アゴリゾがギデオンの真名を聞き、彼と結んだいわゆる専属契約は、この契約自体を含む諸々の情報保秘を除けば、以下の二文に尽きる。
『●●●●、お前と契約し、これを依頼した者を殺害しろ。
ただしタイミングはアクエリカ・グランギニョルが決めるものとし、彼女がこれと同じ主旨の契約や依頼を求めた時点から遂行開始とする』
つまりアクエリカが締結する通常契約は、アゴリゾが締結した専属契約と矛盾するものなら無効化させられるが、重複するものなら通るというのが要だ。なので彼女が抹殺指令を解いても、アゴリゾが結んだ専属の方が生きているので、ギデオンは止まらないという寸法だ。
アクエリカは気丈な女なので、おそらく表層意識にも上がって来ないだろうが、新しくできたお気に入りの部下たちにしつこくちょっかいをかけられて発生したストレスやプレッシャーは、ギデオンを捕獲するにあたり、この件をさっさと片付けたいという欲求を彼女に少なからず与える。
他のすべての道を塞いだ上で、完璧に舗装された論理的帰結を用意してやれば、刺客であるギデオン自身に取って返させ、黒幕の首を獲らせるというゴールに至らしめることは、そこまで難解ではない。
あとの細かい穴埋めは、配置してあるヴィトゲンライツの兵たちに任せてある。成約した場合に動く金の規模を考えると、彼らが全力を尽くしてくれることに疑いの余地はない。
たとえばアクエリカが自分の名前を伏せた場合に追い打ちとなる状況証拠を喋ったりとか、後から増援を送られた場合に銀の銃弾を撃ち込んでなかったことにする手筈だとかだ。
教会の〈猫〉と違い、王国の〈鴉〉は定時連絡という形を取っている通り、ミレインの状況をリアルタイムで把握しているわけではないので、好戦の気運で押し通すことは可能と見ている。
そして、最後の障壁となるのが、デュロン・ハザークだ。彼を護衛に送り込まれた当初はアゴリゾも頭を悩ませたものだが、ある時点で閃いた。
そうだ。考えてみればこの計画、このままアクエリカがギデオンの黒幕だったことにするには……つまりアクエリカの策謀に偽装するには、いまいちアクエリカらしさが足りない。
他ならぬアゴリゾがアクエリカを発見するきっかけとなった、20年前の、例の「聖ビヨンム修道院壊滅及び修道女大量虐殺事件」がちょうどいいサンプルケースなのだが、アクエリカは死体を始めとする殺害の証拠隠滅が結構杜撰で(見せしめや示威としてある程度は自分の匂いを残す必要があるという、謀殺のセオリーが身についているせいだろう)、代わりにまったく別のアプローチにより欺瞞を施すという、意外にわかりやすい癖がある。ギデオンを犯人に仕立て上げて防衛行動を主張したというのがそれだ。
今回予定されている「ミレイン市長暗殺事件」で言うと、「アクエリカは最後までデュロン・ハザークにアゴリゾを護らせていた」という事実があった方が、逆にアクエリカが謀った疑いを深める後押しをしてくれることが見込めるというわけだ。
その上での実際の成否はというと、アゴリゾが最初にデュロンに会い、本人の口から確かめている。
あのとき、アゴリゾの嗅覚もデュロン自身も、デュロンが実力でギデオンに劣っていることをはっきりと認識している。
それでも彼は挑む。それこそアゴリゾが彼に求めた役割だ。
デュロンには力の限り奮戦し、その上で敗けてもらわなくてはならない。
アクエリカという強大で邪悪な魔女を打ち倒すには、一国の兵力という馬鹿げた、もはや自力で振るうことすらできない規模の鉄槌を傾けなければ、まったく足りないというのがアゴリゾの見解だ。
アゴリゾとてやりたくてそうするわけではない。ただこれしか現実的な方法を思いつかないだけだ。
デュロン・ハザークよ、案ずるなかれ。
君の名はミレイン壊滅に至る引鉄を食い止めるべく、最期まで護衛任務を全うしようと尽力した偉大な英雄として、後世の歴史に燦然と刻まれるだろう。
もちろん、ミレイン最後の市長として有終の美を飾った、アゴリゾの隣でという形になるが。
その暁には君も天国で私をパパと呼んでもいいんだよと、雨の向こうに見える頼りない少年の背中へ、アゴリゾはそっと語りかけるのだった。
窓の外へ飛び出したデュロンに、アクエリカが使い魔を通して発したのは、ごく簡潔な通告だった。
『デュロン、増援は送れないわ。
ギデオンを止め、アゴリゾを護りなさい』
「
市庁舎二階の屋根に両足で着地し、煉瓦を陥没させながら、彼は応答する。
「承知っ! 任せてくれよ、アクエリ
そうして彼は水のベールを裂いて現れた好敵手を不躾に指差し、不敵に笑って宣言した。
「よー、ギデオン。名残惜しいが、そろそろ決着をつけようじゃねーか」
対する戦闘妖精の返事は、前回と同じ無愛想なものだった。
「望むところだ」
雨だけが二人を隔て、月は暗雲に隠れたままだ。
乾坤一擲の気勢を発し、両者は同時に前進した。
結末は、彼らの血と肉と骨だけが知るのだろう。
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