第115話 偽りの自我②


 悪魔は天使の顔をしてやってくる。あるいは逆も然りだ。

 ヴィクターと名乗るその青年をオフィスに迎え入れたとき、アゴリゾは「ここで終わりか」と思わざるを得なかった。


 なぜなら、彼はアゴリゾを一目見るや否や、鼻をヒクヒク動かしながら、先日アクエリカが帰った後のアゴリゾとまったく同じ順路で、部屋をうろつき始めたからだ。

 案内してきた秘書は首をかしげて苦笑するばかりだが、アゴリゾは気が気でなく、慌てて柄にもなく激昂する芝居を打ったほどだった。


「なんだ君は、初対面で無礼な男だな!? なにか気に入らない臭いでもするというのか!? それとも、人狼である私の嗅覚が鈍っているとでも、暗に言いたいのかね!?」


 幸い相手は察しが良く、いかにも得体の知れない青年貴族を演じてくれる。


「だってさあ、僕みたいな若い美形ならともかく、あんたみたいないい歳したオジサンじゃねえ……。一緒の部屋にいるのだって御免だよ。秘書のお姉さんだってそう思うでしょ?」

「えっ? いえ、彼は身だしなみもきちんとしておられますし、全然そんなことは……」

「ああ、コニー、こんな奴にまともに取り合わなくていい。私はね、こういう家柄を笠に着た、世間知らずの若造が大嫌いなんだ。こいつとは、私が話をつける。しばらく他の面会を止めておいてくれ」

「は、はい。どうかお気をつけて」

「すまない」


 秘書が退室し、アゴリゾが一息吐くのを見たヴィクターはニヤリと笑い、アゴリゾの軌跡を辿った行動の終点で、数日前にアクエリカが座っていた椅子に頬ずりし、座面を撫で回し始めた。

 最低すぎる。というか、甚だ遺憾だ。


「おい、ちょっと待て!? 私はそこまではやっていないぞ!?」

「えー? でもやってもおかしくない様子だったみたいだけどね」

「……ヴィクター……やはり君、記憶を読み取る系の能力を……」

「うん。固有魔術〈履歴閲覧ヒストリセンサー〉というんだ。よろしくね、市長殿」


 まずいことになった。こいつは見るからにクソ雑魚芋虫だが、ヴィトゲンライツ製の白芋虫だ。

 腕力で捩じ伏せるのは簡単だろうが、あの毒蛾の親玉みたいな一族から報復を受けている場合ではない。


 一方のヴィクターは、今度は仰向けになって椅子と戯れながら悩んでいた。


「うーん、どこから話せばいいかな……適当なところから逆算して喋っていくね?

 たとえばこうやって、僕が初対面の相手に会いにいくとするじゃない? すると、相手が僕の固有魔術を知っていた場合、相手は『あ、こいつ今から〈履歴閲覧〉で私の弱みを握って持ち帰り、私の攻略法を編み出すつもりだな?』と錯覚する。

 つまりそれを防ぐために僕を拘束して、外部との連絡を絶たせた時点で安心しちゃうわけ。

 で、実際はまったく別のルートであらかじめ情報収集も作戦立案も終わってますってなったら、かなり相手の意表を突けると思うんだ」


 ようやくアゴリゾはヴィクターの意図を理解していた。というか、アゴリゾ自身がまさに今、同じことを錯覚させられていたことに気づく。

 ヴィクターはミレイン市長を脅迫するために攻撃材料を探してノコノコやって来たわけではない。


 たとえばアゴリゾの嫁か娘に会っていれば、アゴリゾが血道を上げる宿願の存在を把握することができる。

 そして、それに利する取引を、こうしていきなり持ちかけに来ることができるのだ。


 相手を正確に認識したアゴリゾは襟を正し、背筋を伸ばして、改めて正対する。


「私はなにをすればいい?」


 ヴィクターも静かな笑みを浮かべて立ち上がり、手と背中を払って、育ちの良さが伺える一礼を見せた。


「僕は勝手な男でね、勝手にあなたを組むに足ると判断したわけなんだけど、勝手に話を進めさせてもらうね? まず、こないだできたばっかりの、僕の相棒を紹介するよ」


 青年貴族が指を鳴らすと、サロペットに赤い帽子のむくつけき男が、どこからともなく召喚された。

 息が詰まるほどの血の臭いが部屋に満ちる。少なくとも、殺しの履歴に関しては、書類審査も不要なようだ。

 そして彼は開口一番、単刀直入にこう言った。


「アクエリカを殺したい。そのための策を募る」

「せめて自分の名前から喋れない!? 会話が下手すぎでしょ!?

 ごめんね、アゴリゾさん。こいつは教会の周りをウロウロしていたアホな戦闘妖精だ。通り名は僕が付けた、ギデオンって呼んであげてね」


 破壊者あるいは伐採者を意味するその名に相応しい、剣呑な雰囲気には納得する他ない。

 そしてアゴリゾは、彼に自分と同類の匂いを嗅ぎ取っていた。

 相手も同じことを感じたようで脱帽し、端的だが真摯に話してくれる。


「あの女はついに砦を得た。騎士の存在も大きい。もはや俺の力では、近づくこともままならない」


 手配した刺客を若干まだ扱いあぐねている様子で、ヴィクターは苦笑混じりに補足した。


「えーと、つまり、ミレインの司教座という堅牢な伏魔殿の奥に引き篭もってしまったアクエリカを誅するのは、普通にやったら魔王の城へ攻め込むくらい難しいってことね。

 ついでに言うと彼女の専任護衛官である聖騎士パラディンは、実は僕の従姉なんだけど、便宜を図ってもらえる可能性は残念ながらゼロ! ゼロなんです」

「ダメじゃないか。それとも、他に仕掛ける端緒があるってことかい?」


 なんとなくこの二人のノリを掴んできたアゴリゾが尋ねると、ヴィクターは首肯する。


「もちろん! たとえば一見完璧に見える僕の従姉ねえさんにも弱点があって、あの人は教会勢力にドップリ浸かりすぎたせいで、実家とのパイプを失っているんだ。

 ビッグなビジネスチャンスを持ちかければ、ヴィトゲンライツは絶対に僕側の意向を優先する。

 ……といっても別に、僕が嵌めたい相手は従姉さんじゃない」


 ギデオンに肘で突かれたヴィクターは、不意に真剣な表情でアゴリゾに向き直った。


「僕が見返したいのは、実家の連中だ。あいつらを丸ごと罠にかけて取り潰すか、そうじゃなければ、ぐうの音も出ないほどの超大口注文を取り付けて、ざまあ見ろ! 僕が本気を出せばこんなもんさ! とでも言ってやりたい。とにかくあいつらに吠え面をかかせてやりたいのさ」


 その明け透けな告白で、アゴリゾはヴィクターに対し、ますます好感と信頼を覚えた。アゴリゾが17歳の頃も、だいたいそんなふうに攻撃欲求や承認欲求を抱えていたからだ。

 黙って頷くと、ヴィクターは自信を得た様子で、いよいよ腹を割って話し出す。


「僕はアイデア出しと現場での調整、交渉や脅迫、武器の調達なんかができる。ギデオンは実力行使を担当する。

 でも、僕らにできるのはそれくらい。だからアゴリゾさん、あなたには全体の絵を描いて、主導する黒幕になってほしいんだ」

「なるほど、基本私の好きにしていいわけか。なかなか破格の厚遇だね」


 ……実はすでに、アゴリゾの頭には計画の外郭が浮かび上がっていた。

 前に考えたもので、周辺状況を整えるのが難しいせいで諦めていたが、骨格自体はシンプルな手だ。


 これをそのまま流用できるかもしれないと考え、彼は二人に話してみた。

 反応は、ギデオンは納得を示し、ヴィクターは青ざめるというものだった。


「……ちょっと待って? それって成功したら、君ら二人とも死ぬよね?」

「だろうね。だけど、命を賭けるくらいじゃないと無理だと、私は思うな」

「同感だ。死ぬくらいでは生温い。それが命懸けということだ」

「怖いなぁ……ヤバい奴らと組んじゃったよ、わかっていたけどさ」


 他者事ひとごとのように尻込みする青年貴族に、アゴリゾはギデオンと顔を見合わせ、強めに発破をかけておく。


「だからヴィクター、鍵はお前だ。俺とアゴリゾ氏が死んだ後のことは、全部お前のその貧弱極まりない双肩にかかってるわけだが、できなかったら死んでも殺すぞ。お互い死んでいても殺しに行くという意味だが」

「そういうことになる。私とギデオンくんが作った傷口を、ちゃんと広げておくれよ。私は地獄でまで追いかけるとは言わないが、君の枕元に現れるくらいはするかもね」

「君らが言うと説得力が違うんだよ、生きてる今の時点で怨念が強すぎるでしょ!?

 わかったよ、やるよ! 僕にとっては特に、最後までやり果せないと意味がないからね。言わなくても必死こいて煽るさ!」


 半ば自棄になって叫んだ後で、ふと冷静になったヴィクターが気遣わしげに尋ねてきた。


「だけど……アゴリゾさん、あなたはそれでいいのかな?」

「なにがだい?」

「ギデオンはアクエリカを殺せるだけでも満足できると言っていたよ。僕は大量の武器さえ捌けりゃ、それがまったく使われなくたって構わない」

「うん。でも私のプランなら、ギデオンくんの本望通りに世界をめちゃくちゃに分断する大戦争に発展させられることが見込めるし、ヴィトゲンライツがそこにじゃんじゃん武器を投下すれば、それが君の手柄として大儲けに繋がるわけじゃないか」

「そりゃ、そうなれば僕らは当然、大満足さ。でもあなたがアクエリカを殺したがっているのは、そもそもこの世界の安寧秩序を守るためとか、そういうんじゃないの?」


 ヴィクターがなんのことを言っているかようやく気づき、アゴリゾは思わず笑い声を上げた。


「あははは! ああ、すまない。君たちにとっては信念を偽るというのは、あまり感心できないことかもしれないから、申し訳ないんだけど。

 私が博愛主義を標榜していたのは、単に穏健派の印象を植え付け、より深く潜伏するために過ぎないんだ。

 ……いや、違うか。昔は私も、世のため他者ひとのためと思っていた。でも違ったんだ。あの女が私をこんなにしてしまった。もう、修復は不可能だろうね。

 私はアクエリカを殺せるなら、この世界のその他がどうなろうと、どぉーっでもいい。細かいことは気にせず、パーッとやろうじゃないか、パーッと!」


 アゴリゾ自身、最近ようやくわかってきたことだったのだが、策謀に余計な枝葉は要らず、根幹一本をブレずに貫き通すことが理想であり、あまり余禄を拾おうと余所見をするのは良いことではない。


 やはり浮気は大罪なのだ。幸いなことに今、アゴリゾはアクエリカしか見ていない。


 彼女の命脈が断たれる瞬間を、可能なら亡霊と化してでも見届けたいものだ。

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