第113話 戦闘妖精と青い追憶
どんなふうにどれだけ走ったかわからない。
気づけばエトランゼは、濡れた
どうやら体力が尽きて意識を失い、知らない間に倒れて眠ってしまっていたようだ。
休息を取って回復したようで、再生限界状態からも脱してしまっている。
エトランゼは自分が健在であることを呪った。
そして一度寝て冷静になり、冴えてしまった自分の頭も恨んだ。
世界への報復などバカバカしいし、あの優しいメイミアがそんなことを望むわけがないことくらい、わかっているのだ。
では自分はどうすればいいのか。
問うたから答えられたわけでもないのだろうが、眼前にその一端となる光景が広がっていた。
「〜♪♪♪」
涼やかな声が讃美歌を口ずさんでいるのが、雨の中でも聞こえてくる。
建物に見覚えがあり、エトランゼはここが聖なんとか女子修道院であることを理解していた。
「〜♪♪♪」
だが讃美歌の音源は礼拝堂ではなく屋外、それもエトランゼが今いる、修道院の裏庭らしき場所だ。
歌っているのは修道女だった。年格好は、たぶんまだ10歳くらい。眼の醒めるような青い髪がしっとりと雨に濡れ、きちんと閉じられた修道服の襟をさらに覆っている。
細められた群青の眼は、労りと慈しみに溢れているように見えた。
彼女が胸倉を掴んでぶら下げている、無惨な殺され方をした別の修道女の遺体を無視するならだが。
「♪……あら、こんにちは。ご機嫌いかが? 見たところあまり良くはなさそうね」
無造作に近づいていくエトランゼの姿に気づいた彼女は、讃美歌を止めてにっこりと笑い、修道女だったものを放り投げた。
「雨はいいわね、昼も夜にしてくれる。夜は好き。いつでもこういうことができますからね。なので農民たちだけでなくわたくしも雨を、天の助けだと思っていますよ」
「そうか。お前は誰だ?」
「わたくしはアクエリカ・グランギニョル、いずれ教会世界の頂点に立つ女でしてよ」
今にして思えば、よく初対面のガキに自分の最終目標を語ったなと、ギデオンは記憶の中の彼女に呆れる。
どうやら敵味方は別にして、よほど波長が合ってしまったようだ。
しかし当時のエトランゼは彼女の言う意味がわからず、もちろん興味もなかった。
「おれは……エトランゼだ。アクエリカは、なんでそいつをブッ殺したんだ?」
彼女はようやく地面に落としたボロに目をやり、物憂げにため息を吐いた。
「ああ、これね。なんだかわたくしに嫉妬していたようで、色々と嫌がらせをしてくるから、我慢できずに処理してしまったの。ここももう潮時ね」
「しっとってなんだ?」
「いいなーうらやましいなー、自分と違ってすごいのがムカつくなーってことよ」
「なるほど。アクエリカはきれいだからな」
それは子どもによる客観的評価に過ぎないため、アクエリカは無感情な笑みで受け入れた。
「あら、ありがとう。でもそれだけじゃないのよ。肉体も頭脳も能力も家柄も、これはわたくしになに一つ勝てなくて、悔しがって足を引っ張ってきていたの。才能や努力という概念を、どうやらついぞ知ることはなかったようね。他者に害意を向ける者は、殺されて当然だと思わなくって?」
「思う。アクエリカは正しいよ」
「そうよね。わかってくれて嬉しいわ」
「アクエリカは、すごく強くて賢いんだな。あと、家もすごいんだ」
「そうね。でもその家は2年前に焼け出されてしまった。それで今はここに住んでいるの」
「そうなのか」
「まあ家ごと全員焼き殺したのはわたくしなのだけどね。あの日ばかりは晴れて良かったわ」
「そうなんだ」
いくらガキとはいえ反応が薄すぎたせいだろう、アクエリカは明らかに退屈そうな顔になっていた。もっとも、後で調べたら彼女も当時8歳だったことがわかったので、そんなものだろうとは思うが。
「それで、どうしたの? なにかわたくしに訊きたそうに見えましてよ?」
「すごいな。アクエリカはなんでもわかるんだ」
「いずれはなんでもわかるようになりたいものね。それより、早くしてくれない? いちおうそれを片付けないといけないのよ。あなたが手伝ってくれるというなら別だけど」
「聞いてくれたら手伝うかも」
「ませた言い回しをするお子様だこと。いいわよ、言ってみなさいな?」
「よく言われる。アクエリカの言った、きょうかいせかいのちょうてんってなんだ? 」
「つまりは、教皇のことね。司祭とか修道士とかの中で一番偉い存在のことよ」
「そっか、教会で一番偉いってことか。それじゃ、アクエリカがそうなると、世界はどうなるの?」
真摯に答えようと思ったようで、アクエリカはしばらく考え込んだ後、訥々と語り出す。
「そうね……簡単に言うと教会を……つまり救世主ジュナス様を中心に、世界は一つにまとまります、という感じかしらね。
圧倒的な権力と暴力によって悪意のすべてが抑止されれば、みんな平和に、ひいては幸福になれると思いませんこと?
……あ、ちょっと難しかったかしらね」
「うん、難しい。さっぱりわからない」
「ごめんなさいね? あなた賢そうだから、ろくに噛み砕かずに喋ってしまったわ」
「でも、おれにもわかったところもあるよ」
「あら、説明して良かったわ。どこはわかってくれたの?」
「世界は一つ、みんな平和」
「なるほどね」
「アクエリカ」
「なにかしら」
「お前を殺す」
「それは残念」
「ブッ殺す!」
「あらら……」
対話が決裂する瞬間というのを、彼はそのとき生まれて初めて経験した。
しかしけっして悪い気分ではなく、むしろ病みつきになりそうな心地だ。
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