追憶の果て

第111話 戦闘妖精と赤い追憶


〈人間裁判〉という概念がある。

〈恩赦の宣告〉が起こった数年後には早くも確立されていた、そのそこはかとなく不穏な字面から想像される通りの、野蛮な方法論の総称である。

 記憶にはないが、20年前当時3歳だったギデオンも、何度かは耳にしていたはずだ。


 簡単に言うと魔女裁判や神明裁判の逆なのだが、魔族たちは人間たちよりシンプルで即物的な考え方をする。

 つまり、こうだ。


 極一部の例外を除いて、ほとんどの魔族には通常再生能力が備わっている。

 要は、人間ではないかと疑わしい人物がいたら、人間であれば致命的となるような傷を与えてみて、死んだら人間、生きてたら魔族、という乱暴極まりない判定手段である。


 これは理論上、魔族並みに頑強な人間が存在したらすり抜けてしまうわけだが、そこは「人間の中にそんな面白い奴がいたら、普通に同胞ってことで良くない?」というノリだったらしい。

 なんともいい加減な話だが、それは敷衍すると、魔族社会は元人間の魔族も(差別もあるので、隔離されたりもするが、いちおう)受け入れるという意味でもある。


 メイミアが妖精族に囲われているのは一時的な隠匿措置に留まらず、彼女が近々妖精族へ転化するための儀式を控えているという理由もあったのだ。

 もうすぐきみと同じになれるねーと、メイミアは嬉しそうに微笑んだものだ。


 しかし、やはり彼女が懸念していた通り、当時黎明期であった魔族社会はいまだ思想的にも不安定な時期だった。

 元人間の魔族に対してだけでなく、異種族間……特に長森精エルフ小鉱精ドワーフ、そして人狼と吸血鬼の対立は深く、街を歩いていればそこかしこで見られた。


 その日もギデオン……メイミアの呼ぶエトランゼは、彼女の家からの帰り道で、仲裁の必要を感じる諍いに出くわした。

 だが彼は振り上げかけた拳の、下ろす先を見失う羽目になる。

 それは人狼の親爺と吸血鬼の青年だったのだが、こんなことを言い争っていたのだ。


「てめえ、何回言わせんだよ!? 女体において、おっぱいより尊いものはなし! もしかしてお前、おっぱいになびかない俺カッコイイとか思っちゃってねえか!? 吸血鬼ってやつはそうやってスカしてねえと死ぬ生き物なわけ!?」

「さっきから黙って聞いてりゃ、何回おっぱい連呼するんだよ!? これだから薄汚い人狼は、なににおいても品がなくて困る! 女は脚! 脚を見れば、すべてがわかる! これ世界の常識!!」


 エトランゼは3歳なので彼らの言っていることはよくわからなかったが、なんとなくとりあえず両方一回死ねばいいんじゃないかなと思った。

 しかし実際に殺すほどではないので、側でボーッと見守っていると、アホどもが話しかけてきた。


「おうチビ、お前もそう思うよな!? おっぱいが至高! 巨乳最高! こんなんガキでもわかるだろ! な? あと尻とか太ももも良いけどな!」

「こんな純粋そうなチビくんに歪んだ価値観を植えつけるな! チビくん、女に会ったらまず脚を見るんだ! 特にふくらはぎから足首までをねっとりと観察しろ! あの華奢な造形に哲学を見出すんだ! それこそが大人になるってことだぜ!」

「バカか、歪んでんのはてめえだろ! 一生足の指だけしゃぶっとけ、このおしゃぶり種族が!」

「喧嘩なら買うぞ! 絶対に理解させてやる、そのほぼ筋肉でできてるカチカチの脳味噌にね!」


 ギリギリと睨み合う2人を「ダメだこいつら」と頭を抱え、エトランゼは見送るしかなかった。



 アホに関わってしまった無駄な時間はどうしようもないとして、そそくさと帰宅したエトランゼは、母に相談したいことがあるのを思い出した。

 夕食の席において、早速持ちかけてみる。


「ねえ母さん。明日はメイミアが生まれた日なんだけど、なにをあげたらいいかな?」


 母親は匙を運ぶ手を止め、にわかにニヤニヤし始めた。


「ほー? お前、その歳でもう女に誕生日プレゼントを贈ろうってのかい? ませたもんだね!」

「おれは、ませてるよ。メイミアにもよく『エトランゼは、おませさんだね』って言われるし」

「その上、惚気のろけときたか! わかった、あたしの負けだ。一緒に考えてやろうね」


 椅子の上で仰け反って顔を覆い散々笑った母は、おもむろに真剣な表情を見せ始めた。


「……さて、どうするかね。こうやって親に入れ知恵されたことはどうせバレるにせよ、三つのガキがあんまり凝ったものを選んでも可愛げがない。基本としては相手が好きなもの、気にいるもの、これに尽きる。余計な驚き要素は無用さね」

「メイミアはお菓子が好きなんだ。お菓子をあげるといいかな?」

「待て待て、そう焦りなさんな。●●●●や、もう一つ条件がある。それは相手が持っていないものや自分では買ったり作ったりしないものだ」

「そうかあ。メイミアはお菓子を作るからね」


 ますますわからなくなった●●●●が振り仰ぐと、母は話や考えごとをするときの癖で、煙草に火を点け、一服の後に言葉を吐き出した。


「そうさね……結論としては、花がいいんじゃないかとあたしは思うね」

「花……? でも、花ならメイミアの家の庭に咲いてるよ。メイミアの持ってるものだ」

「まあ聞きな。ところで確かこの本は、お前がそのメイミア嬢ちゃんからもらったものだよね?」


 母がダイニングの隅にある●●●●用の小さな本棚から抜いてきたのは、花言葉について書いてある、薄めの辞書だ。手に取りながら●●●●は頷く。


「うん。メイミアはもう全部覚えたから、おれにあげるって、くれたんだ」

「よっぽど花が好きなんだろうね。そういうときはその気持ちを共有する形で、ものに込めて贈ればいいのさ」

「さっぱりわからない」

「だろうね。いいかい●●●●? お前は明日の朝起きたらすぐ二丁目の花屋に行って、薔薇の花束を作ってもらうんだ」


 すぐにピンときた●●●●は、該当するページを探し当てる。


「うん、わかった。えーと……ばーら、ばーら……あった。母さん、何本がいい?」

「ああ、そうか……本数の方もあったね。そっちの花言葉はやたら重いのばっかりだから、適当でいいだろう。

 裏技を教えてやるよ。枝分かれしてるやつとか、茎だけのやつとかを混ぜといて、結局トータルでは実質何本なのかわからなくしておくのさ。それだと本数に意味はないと伝わるはずさね。

 そうだ、この辺のことを全部書いとくから、明日これを花屋に渡しな」


 母が認めたメモを受け取ると、そこには花の色についても指定してあった。


「白いバラなんだ」

「ああ。現時点ではそれがベストと見たね」

「しーろ、しーろ……あった。えーと、白いバラの花言葉は、心からのそんけい! むじゃき! そうしそうあい! 約束を守る! わたしはあなたにふさわしい! あなたの色に染まる! など!」

「こらこら、そういうものを大声で読み上げるもんじゃないよ、風情もへったくれもありゃしない……間違っても直接言うんじゃないよ、自分で思い出させるのさ。まあ確かに、趣旨としてはそういうことだけどね、あくまでスッと渡しなよ」

「そうなのか。じゃあおれ、白いバラを贈るよ」

「それがいい。ほれ、釣りは取っときな」


 妖精界でだけ通用する貨幣を放られ、ポケットに仕舞った●●●●は、ふと首をかしげた。


「ありがとう、こづかいが増えた。……そういえば母さん、メイミアん家の花畑にはバラがないって、なんでわかったの?」


 母は得意げにニヤリと笑い、彼女の鼻を指差したものだ。


「さすがに人狼には劣るが、あたしもそこそこ嗅覚はなは利く。薔薇の香りは特徴的だからね。お前からその匂いがしたことが、一度もなかったことくらいは気づくさ」



 翌朝、●●●●……エトランゼは母の言いつけ通りに白い薔薇の花束を抱えて、メイミアの家へ歩いていった。

 中心街へ到達した彼は妖精たちが張った結界の中へ、周囲に誰もいないのを確認してから、一気に足を踏み入れていく。


「……?」


 なぜだろう、境界を越える際に眩暈めまいがした。いつもはこんなことはないのに、結界に歪みでも生じているのか?

 すぐに立ち直ったエトランゼだが、冷や汗は引くどころか、ますます量を増して流れ落ちた。


 心地よい陽射しを浴びて朝露の輝く花畑に、踏み荒らされた足跡を見つけてしまったからだ。


 それは2人分あり、メイミアの住む家に向かって続いていた。


「……うそだ……」


 こんなに暖かい春の日なのに、エトランゼの脚は震え、歯がカチカチと音を立てる。


「そんなわけない」


 どうしても起きていることを受け入れられず、その現実から目を逸らすかのように、エトランゼはいつものように花を避け、メイミアが整えた道に沿って歩いた。

 まるでまだ手遅れではないかのように、この期に及んで彼女に叱られることをなによりも恐れているかのように。


 手の中の花束が揺れる。ついにたまらず、彼は走り出していた。


「メイミア……メイミア……!」


 しかし彼の頭は、すでにすべてを理解し、悟っていたのだろう。

 ドアを開く前から血臭が酷い。そして中の状況は予想を裏切らないものだった。


 視界一面がやけに赤い。

 エトランゼは玄関先に立ち尽くし、大事に抱えていた花束を取り落とした。


 白い花弁が床に散らばり、残酷な悲劇の溶媒に浸され、落ちない色を染み込ませていく。

 ピチャピチャ、クチャクチャという不快音に混じって、薄闇の中から気さくな声がかけられた。


「……ん? なんだ、昨日のチビすけじゃねえか。おめえもここを嗅ぎつけたのか?」

「バカだな、嗅ぎつけるもなにも、チビくんは妖精族だ。普通に入ってこれるんだよ」

「バカとはなんだ、クソが。……そうか、最初からチビすけに頼れば良かったんだ。そうすりゃこんないけ好かねえ野郎と組む必要もなかったのに」

「こっちの台詞だ。誰が好き好んで、お前みたいな下品な奴と行動をともにするか」


 わかっていた。この場所には人間どころか普通の魔族ですら、感知能力では、そこになにかがあることさえ看破できないレベルの隠蔽が施されていた。

 それまでの時代の常識では、人狼と吸血鬼が共謀するということは、結界を構築した妖精たちにとっても、完全に想定外だったのだ。


 メイミアが望んでいたはずのそれが、メイミアにとって最悪の形で実現してしまった。


 エトランゼの様子がおかしいことに気づいたようで、2人はの手を止めた。

 人狼と吸血鬼は、悪びれるどころか満面の笑みを浮かべる。


「やべ……もしかして俺ら、おめえの獲物を横取りしちまった? すまんチビすけ! まだから、は全部おめえにやるよ。な? だから機嫌直せって!」

「そうそう、俺らはもう十分堪能したし。良かったら、いっとく?」

「おー、こいつまた酒でも勧めるノリで性癖を押しつけやがる。上司にしたくねえタイプだわ」

「うるさいな、それはチビくん次第だろ!?」


 エトランゼの耳は音を拾っているが、意味内容を認識してはいない。


 メイミアの眼は虚ろに開かれていて、もはやなにも見てはいない。


 いずれにせよ、幼いエトランゼにもわかることがあった。


 鳩尾みぞおちより下のなくなった人間が、生きていられる道理などないということだ。

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