第108話 雨を切り裂いて


 ほぼ同時刻。リュージュはデュロンと交代し、市庁舎から教会へと戻るところだった。

 歩き慣れた路地を進んでいると、ついリラックスして口から願望が漏れてくる。


「あーあーあー、働きたくないものだなーあー!」


 雨音に紛れるということもあり、誰にも聞かれている様子はないが、別に聞かれたからどうということもない。


「🎵きのこ、きのこ〜。き〜のこっ。わたしは、きのこに、なり〜たい〜」


 自分でもわけのわからない歌を口ずさんでいると、本格的にやる気がなくなってくる。

 正確に言うと、ただでさえ元からゼロである労働意欲が、いよいよマイナスの値に張り切っていく感じだ。


「……ああーっ、だるいのであーるっ!! 仕事が終わったらまた別の仕事! いったいわたしはこの労働とかいう呪いから、いつになったら解放されるのだ!?

 そもそもわたしの方が労働に追われているという状況がもうおかしくないか? なんか考えていたらだんだん腹が立ってきたぞ……違うのではないか? むしろわたしの方が、労働くんを追いかけてやる立場なのではないか?

 つまり、わたしの方で仕事を選んでやればよいのだ。ちなみにわたしの方針は来るもの拒み、去るもの追わず。

 というわけで、今日はもうサーボろっ!」


 たどり着いたのは広場の片隅なのだが、建物と樹木が上手く衆目からの死角を作っているという絶好の空間だ。

 しかもそこだけちょうどよく屋根の下になっているので、濡れずに済んでいるという全天候型の昼寝スポットなのだ。


 実は最初からここへ向かって歩いていた。石畳の地面を掌で撫でて確認し、ポケットを漁る竜人。


「ああ、また枯れてしまっているな。仕方ない、『どこでも熟睡キット』の新しいのを卸そう」


 言って取り出した種に息を吹きかけると、苔の一種により、柔らかい植物質の絨毯が展開された。

 リュージュはポフポフ叩いて具合を確かめると、にっこりと満足し、ベッドよろしくダイブしようとしたのだが……。


「んん?」


 その寸前に、小ぢんまりとした広場の向こう端、アーチが作る影の中から発せられる、強い視線に気づいてしまった。

 なので面倒なのだが、仕方なく体勢を立て直す。


「なんだ? なぜよりによってこのタイミングなのだ? 昼寝の邪魔は万死に値する……と言いたいところであるが、命令なので生け捕りで済ませてやるからありがたく思えよ!」


 その命令を下したアクエリカはというと、どういうわけか少し前から使い魔とのリンクを切っているようで、青い有翼の蛇はリュージュの左腕に絡みついたまま、うんともすんとも言わない。


 だからサボろうと思い立ったわけだが……考えてみればアクエリカが手の離せなくなるような事態が起きているということは、それがなんだろうとリュージュたちにとって良いこととは思えない。


 つまり、また仕事が増える凶兆なのだ。

 クソが! ヴィクターもそうだが、元はといえば他ならぬコイツが悪い!


「ギデオンとか言ったな? お前が来てから、この街はずいぶん騒がしい。

 お前はいったい今までどこで動いていた? その世直し的なんらかの活動も、ヴィクターに入れ知恵されてやっている感じには思えんがな」


 影の中から出てきたところで、奴の纏うくらいオーラに変化はない。

 いかにも陰気に喋ってくるが、幸い雨は土砂降りというほどではなく、会話も視界も妨げない。


「……時期を考えれば、自ずとわかるだろう。それより今は、リュージュ・ゼボヴィッチ、お前を排除したい」

「フン。お熱いラブコールに胸が踊るね。おおかたデュロンではなく、彼の交代先となるべきわたしを出会い頭で潰しておこうという魂胆なのだろうが、そう上手くいくかな?」

「どうだろう。やってみなければ、わからんな」


 同感だ。濡れることも厭わず、二人は雨の中に進み出て、広場の端と端で対峙した。

 隔てる距離は約10メートル、中距離戦の間合いだが、二人とも固有魔術を獲得していない。


 ならば即座に詰めてくるかとリュージュは身構えるが、ギデオンはまだ動かない。


 なるほど、と彼女は内心ほくそ笑んだ。デュロンに一度手痛いカウンターを食らったことで、迂闊に近づくことを逡巡しているのだろう。

 賢明だ。実際、リュージュも対策を用意している。同時に次の手も読めた。


 ギデオンはおもむろに右腕を掲げる。だがこれは視線誘導だ。リュージュは奴の左手が腰撓こしだめに構えられるのを見た。


 その指が動くと同時に、リュージュの右手も鞭のようにしなっている。

 降りしきる雨を切り裂いて、まっすぐに射線が伸びた。


 ガァン! と甲高い音を立てて、二人の中間地点で二つの小さな球体同士が激突し、互いに元来た方へ弾き飛ばされて転がった。

 ギデオンが放ったのは金属製の指弾であり、リュージュが投擲したのは硬い植物の種子だ。


「「…………」」


 数秒の沈黙ののち、今度は二人の両手が同時に動いた。

 今度は四つの弾丸で同じことが起きる。


 技量が互角すぎて、もはやどちらがどちらの軌道を読んでいるのかわからない。

 ギデオンの口元が緩んだのを見て、リュージュも同じ表情になる。


「やるな。相当に練習しただろう。俺もそうだ」

「まあな。しかしわたしの場合、この精確性はお前とは少し意味が異なる」

「……どういうことだ?」

「こういうことだ」


 リュージュは一見なにも持っていない右手を掲げ、五指を筒状に丸めて口元に寄せると、鋭く息を吐いた。

 照準が大きく外れているため、ギデオンは反応しない。


 事実、リュージュが放った吹き矢は、彼の斜め前に着弾した。

 、石畳の隙間に刺さる形でだ。


 ギデオンにはなぜ吹き矢なのかを考えてほしい。固有の息吹を獲得している竜人族ゆえ、肺活量が特に大きいというのももちろんある。ただ、それだけの理由ではない。


「!」


 そら見ろ。ギデオンが見送った吹き矢の着弾地点から、極太な植物の蔓が伸びてきた。


 リュージュの放つ生命息吹バイオブレスは吹き矢の推進力となるだけでなく、矢の尻に気体を溜め込む袋状の構造が付随しているため、刺さった先に息吹ブレスを直接送り込む、注入器のような役割も兼ねているのだ。

 ちなみにこの道具、リュージュ自身も開発に関わり、今ではかなり安価で量産して使い捨てられるようになった。


 そして活性化された植物は、一番近くにいる生体に向かって蔓を伸ばす、俗に言う「絞め殺しの木」の中でも、この世界の魔力にてられ、最強に凶悪化した種類である。

 雨降りということもあって爆速で急成長し、ギデオンに襲いかかる。


「チッ……!」


 しかしさすがの戦闘妖精、冷静な対処を見せてくれる。しな垂れかかる蔓の先端を蹴りで弾いたかと思うと、中ほどを斧で伐採し、瞬く間に黙らせた。


 すぐに目線を戻してくる彼へ、リュージュは親切に忠告する。


「改めて言っておくぞ、ギデオン。よくも昼寝の邪魔をしてくれたな。

 そしていちおう訊くが、場所はここでいいのか? それとも変えるか?」


 なにを言いたいか大まかに理解したようで、ギデオンは顔をしかめた。


 そもそもこの街自体がリュージュたちにとってホームタウンであることを忘れてもらっては困るのだが、さらにここはリュージュご用達の昼寝スポットの一つなのだ。

 普段デュロンやソネシエに何度となく見つかって説教を食らい、さらにそのまま流れで訓練を始めさせられたことが数限りなくあった場所である。


 事実として、そのときに放って散らばったままだったり、そのことを想定して楽するためあらかじめ撒いておいた種が、あちらこちらに無数に埋まっている。

 いわばリュージュの縄張りであるトラップゾーンに、ギデオンがノコノコ入ってきたような状況なのだ。


「なるほど……やはり、厄介な女だ」


 ギデオンが警戒を強めるのを好機として、リュージュはさらに一発、吹き矢を飛ばした。

 その行方は大した問題ではない。どの道、射程外となる。

 なぜならギデオンが種族固有の空間踏破能力で、瞬時に距離を詰めてきたからだ。


「おっと!」


 不意打ちで放たれた斧の一撃を、リュージュは辛うじて回避した。

 話には聞いていたのだが、実際に体感してみると拍子を狂わされ、本当に厄介な能力なのがわかる。


 しかし裏を返せば、その奇襲さえ凌げれば、後は普通の近接戦闘タイプの相手と変わらないのだ。

 むしろ距離を取らないように注意し、リュージュは平常に突き、蹴り、受け、捌く。


 焦れたギデオンが次に選択した攻撃手段がなんだったのか……それも大した問題ではない。


「ふっ」

「ん?」


 ギデオンの動きが止まり、わずかに痛みが走ったであろう、胸の真ん中を見下ろした。

 なぜならそこにリュージュの放った吹き矢が刺さり、その矢の中ほどから、先ほどと同じ種類の、凶悪な植物の蔓が爆増していくところだったからだ。


「なに……っ!?」

「あははは! バカめ、引っかかったな!」


 バカ笑いしつつも、うっかり触れないよう念のため、リュージュはさらに数歩後退して距離を取った。


 矢の尻に息吹ブレスを含ませる機構になっているのは本当だ。

 一方、まるで地面に埋まっている種子に着弾して発芽させていると誤認させるように振る舞っていたが、いくらなんでもリュージュの狙いもそこまで精確ではなく、実際には矢そのものに種子が仕込まれている。


 生命息吹バイオブレスで起こされてから蔓を伸ばし始めるまでのラグが、ちょうど発射から着弾までの時間と同程度なのだ。

 結果、ギデオンは自分の胸元から生えた植物にその身を絡め取られ、早くも拘束されつつある。


 これにて生け捕り完了。

 ……と、リュージュは油断してしまっていた。


「おっ!?」


 なんの前触れなく、彼女の視界が揺れる。反射で後ろ受け身を取るのが精一杯だ。

 気づけばギデオンに正面からのしかかられ、その怪力で首を絞められていた。

 それが本性であるようで、奴は血に飢えた獰猛な笑みを浮かべている。


「残念、だったな……形成逆転、だ……!」


 しまった。動きを封じたことで、完全に失念していた。奴の背後へ回るべきだった。

 なんということはない、ギデオンは再び空間踏破能力を使って距離を詰め、低空タックルで彼女を腰から崩してきただけだ。

 これだから特殊な能力を持つ相手は、一挙一動においてそれを念頭に置かねばならず、普通の格闘ロジックが通じないので、なんともやりにくい!


「あ……かっ……!」


 などと言っている場合ではない。こうなると敵はギデオンだけではない。

 ギデオンとリュージュが密着しているということは、ギデオンの胸元から伸びている植物は、リュージュにも絡みついてくるということだ。


 あいにく植物ちゃんに、リュージュを主人と認識して攻撃対象から外してくれるような仕掛けは施していない。

 どちらも等距離にある生体として、二人に対して平等に絞め殺しを図ってくる。


 もちろんギデオンの首元もかなり窮々としており、額にまで青筋が立っているのが見えるが、ギデオンの手によっても絞められているリュージュよりはまだマシだろう。

 我慢比べの優劣は明白で、あと数秒で100%リュージュの方が先に落ちる。


「うぐぎ……!」


 まずい、意識が遠のいてきた。

 リュージュはギデオンの首でなく、胸から生えた植物の方へ手を伸ばす。


 だがもはや彼女の手に、反逆の木を引っこ抜くか圧し折るほどの力は残っていない。

 なので彼女がやったのは、伸びる蔓の根に、吹き矢とはまた別の注入器を突き刺すことだった。


「!?」


 得意の絞殺に夢中だった植物くんの、無言の悲鳴が聞こえた気がした。


 植物自体が先述通りの仕様なので、当然こういう事態も想定される。

 なのでリュージュは、生体専門の研究者に生命息吹バイオブレスの魔力を分析してもらい、まったく逆の効果を示す毒物の生成方法を確立し、アンプルに封じて持ち歩いているのだ。


 一気に萎れて力を失う蔓性植物くんと反比例するように、リュージュの脳に酸素が回り、筋肉が力を取り戻した。

 自分の首を絞めているギデオンの両腕を両手で掴み、手首から先を竜化変貌。

 鉤爪が肉を裂く痛みを無視するなら、ズタズタに裂いて無理矢理切断してやってもいい!


 やむなく手を放したギデオンの下から腰を抜き、マウント状態から脱したリュージュは、距離を取り……そうになり、ギリギリで同じミスを回避する。

 蹴り技や杖先が届かず、かと言って空間踏破で詰めるには近すぎるくらいの、絶妙な間合をようやく体得し、その距離を保って対峙した。


「仕切り直しだな……!」


 腕からの出血が止まったギデオンは不敵に笑み、すぐさま次の攻撃モーションに突入する。


 それがなんだったのかは、結局わからずじまいだった。


 なぜなら次の瞬間、彼の姿はリュージュの前から消えていたのだから。


 拍子抜けした彼女は、前のめりに転びかけた勢いそのままに地団駄を踏んだ。


「あっ!? くそ、これからだったのに!!」


 また逃げられた……のか? しかし今のは、別段逃げるようなタイミングでもなかった。

 ということは、逆だ。ヴィクターの方がピンチに陥っているため、ギデオンをんだのだ。


 アクエリカの使い魔の様子は、さっきまでと変わらない。

 つまり今、おそらくアクエリカの周囲は相当ゴタゴタしているわけで……。


「おーっと? どうやらこれは、もう少しだけサボれそうな雰囲気であるな?」


 濡れた前髪を掻き上げた彼女は、気を取り直してニヤリと笑い、お気に入りの場所に寝転んで、少々遅めの午睡、兼、今しばらくの雨宿りを決め込むのだった。

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