第107話 内心の罪②
乗っている棚がソネシエに斜め斬りにされた時点で、ヴィクターは転げ落ちたモモンガにぬいぐるみのふりをさせていたのだが、どうも和解の流れのようで、共謀がバレるのも時間の問題だろう。
なので彼は使い魔とのリンクを切り、ため息を吐いた。
「あーあ、あっちはダメか……仕方ない、こっちに集中しよう」
ミレインの街は今、雨が降っている。夕立のようだが、なかなか止む気配はない。
好都合だ。ローブを着込み、フードを目深に被って街を歩いていても、目つきの鋭い黒服どもを除けば、ほとんど誰も警戒してこない。
慎重に目的地へ向かいながら、ヴィクターに相棒が話しかけてくる。
「……お前、そのお嬢様とやらの計画が成功すると、本気で思っていたのか?」
「いいや。でも気持ちは買ってたよ。
それに、あちらが失敗する前提で動いていたわけでもないさ。
あちらに注意を向けるとか、あちらをコケさせて油断させるとか……そういうのは僕じゃなく、ウォルコのやり口だ。
そういう意図がないのは、現に今そうなってないことからもわかるよね」
ギデオンは納得した様子だったが、彼がもう一つ勘違いしているようなので、ヴィクターはいちおう指摘しておく。
「だいたい……もちろんこっちの方が高くはあるけど、あっちとこっちで予測成功率は、そんなに変わらないよ?」
「お前の見立てでは、どれくらいなんだ?」
「あっちが三割、こっちが七割ってとこさ」
いい加減さに腹を立てるかとも思ったが、それどころかギデオンは笑ってみせた。
「なるほど……理論値がそれなら、必中ではないという意味で、実践においては実質どちらもゼロに等しい。四の五の言っても始まらんな」
「計画なんてのはそんなもんさ。たぶん、あのアクエリカすら例外じゃない」
その名前を出したことで、自分で緊張してしまった。元来、ヴィクターのメンタルはチーズ並みに
だから、気を紛らわせるため……というわけでもないが、見覚えのある姿がまごついているのを発見し、彼は思わず話しかけてしまった。
「やあ! いい雨だね!」
「ひゃいっ!? あわわ」
「驚かせてごめんね! 君は確か、フミネ・ロコモロちゃんだよね?」
「な、ななな名乗るほどの者では……」
相手が本気でびっくりしている様子なので、さすがのヴィクターも申し訳なくなる。
「えーと、名乗るまでもなく知っていてごめんね? でも君の能力が面白いからさ。良ければこれから、その辺でお茶でもしない?」
「ふぇえ……イケメンがナンパしてくる……こわいよぉ……」
「あっ、ごめん……それより、道に迷ってるんだよね? 間違える人も多いみたいだけど、
「うへっ!? な、なんでわかるのぉ……? こわいぃぃ……でも親切……感情が破壊されるわけで」
「まあそこは気にしないで。あと、今行ってもソネシエはまだいないからね」
「あ、ありがとうございます、たぶん読心系能力者の不審者さん……」
わりかし本気で怯えた様子でそそくさと立ち去るフミネを見送り、顔を戻すと、相棒が完全に呆れた顔をしているので、ヴィクターは釈明した。
「いや、あのさ……僕の手勢って今、君一人なわけじゃん? これからのことを考えると、仲間は何人いても足りないわけで」
「いや、お前、今のは完全にナンパだったぞ」
「……マジ? ヤバいな……さすがの僕も、かなりアガってるみたいだ。
だけど、安心して。仕事はきっちりこなすから」
そう言って自分で頰を張っても効果はなかったが、もとより不信の浮かんでいないギデオンの顔を見ると、ヴィクターはようやく落ち着きを取り戻した。
「じゃ、僕の方が済むまで、君の方は暇になるわけだけど……どうする? それこそナンパしてても問題ないよ」
「そうだな……念のため最後の一押しくらいはしておこうかと思う。幸い、現在地は見当がつく」
「真面目だねえ。それでこそ君だよ。ならいちおう警告しておくけど、ああ見えてリストの中ではベルエフの次くらいに厄介な相手だ。抜かるなよ」
「承知した。では、また後でな」
「オーケー。チャオ、ギデオン」
次に会ったときが言葉を交わせる状況かがわからないので、ヴィクターはアデューやアディオスと言っても良かった。
だが結局は相手に合わせて、再会を期した挨拶で別れる。
ミレイン市のジュナス教を統括する聖ドナティアロ教会は、入ってすぐの正面ロビーまでなら誰でも到達できる。
もっと言うとタダで帰れなくてもいいなら、その先にも足を踏み入れることはできなくはない。
だがヴィクターは対象と確実に会うため、受付のお姉さんににこやかに話しかけた。
「こんにちは! いや、もう夕方かな? どうもー、怪しい者ですー。お姉さんタイツ伝線してますよ、セクシーですね! 頬ずりしていいかな?」
「うっっわ、勤務終了間近にめちゃくちゃヤバい奴来ちゃった……懺悔ですかそれとも懺悔ですよね? あと、タイツが伝線してるのはいつものことです、そういう体質なの」
「知ってるー懺悔じゃないよーごめんねー。グランギニョル猊下に会わせてもらえないかな?『ヴィクターが来た』って言えば一発で通るから」
「……その感じだと、どうせ場所も知ってるんでしょう。どうぞご自由に。後であたしが怒られないようにだけしてくれると助かるかな」
「ありがと。お姉さん何時上がり?」
「今。バイバイ🎵」
つれなさすぎる。しかし世界すべてが基本ヴィクターに対してこうなので、問題はない。
お言葉に甘えて勝手に回廊を歩き、奥へ奥へと進んでいく。
行き先はデュロン、ソネシエ、イリャヒ、オノリーヌ、ヒメキアで何度か見たので、間違えない。
リュージュはともかく、ベルエフに出くわすのは怖かったのだが、幸い彼を含めて、ヴィクターのことを知っているらしき者には、誰にも会わずに通過できた。
もっとも、そういう時間帯を狙ったのだが。
そして最後の角を曲がると同時に、予期せぬ姿に出くわした。
正確に言うと対象人物と、思いがけず早く対面したのだ。
「あらあら。こんなところまでわたくしに会いに来てくれるなんて、嬉しいですよ」
〈青の聖女〉は回廊の途中で、柔和に微笑みながら佇んでいた。
普通に立っているだけなのに、まるでそういう怪異として待ち構えていたように感じられ、早くもヴィクターの背筋が震える。
そして、その音に聞こえた麗しい相貌をはっきり視認すると同時に、ヴィクターは固有魔術〈
アクエリカ・グランギニョルの半生が彼女自身の視点で、あたかも追体験するかのように、主に擬似的な視覚・聴覚の形を取り、ヴィクターの脳に流れ込んでくる。
さすがに濃密な二十八年間を送っていたようで、膨大かつ興味深い情報群が取得される。
一瞬ですべてを精査し終えたヴィクターは……虚勢の笑みが剥がれ落ち、彼女の前に
「おっぶえぇぇぇぇ!! な……なんっだこれはぁぁあ!? 嘘だろ……!? 嘘って言ってくんないかなぁぁ!? げぇぇえっ!!」
デュロンもそうだが、初対面の相手にこの反応をされるのは慣れているようで、アクエリカの笑みは深まるばかりだ。
「あら? 思ったより
「よ……よく、言うよ……! オエッ! 思い出しただけで
まるで今ここで僕に見せて心を折るためのラインナップみたいだ……けどそんなわけがないことに、そしてそれでいてなおこれであることに、寒気が止まらないね……!」
もはやこれだけで相当体力を消耗させられ、ぐったりと伏しつつも、粘つく舌をなんとか動かすヴィクター。
そんな彼を見下ろし、アクエリカはまったくの平常心で、彼の頭を踏みつけてくる。
あまりに自然な動作すぎて、ヴィクターはもはや屈服するのが当然のように思えてしまい、床さんに仲良く頬ずりした。
「そんなに褒めてくれても、困りましてよ?」
「た……確かに、謀略家としては褒めてるけどね……」
「もっと詳しく聞かせてほしいものね。わたくしの部屋に来て口を
ヴィクターはせめてなにか気の利いた冗談でも言おうとしたのだが、答えも待たないアクエリカに襟首を掴まれ、なすすべなく引きずられていく羽目になった。
この水蛇女……比較的体格が良いのはわかっていたが、長身巨乳なだけではなく、それなり以上に
肉体履歴から比較すると、だいたいリュージュやオノリーヌと同程度なので、これだけでもかなり強い。
道理でギデオンが難儀するわけだ。
「歓迎するわ、ヴィクター🎵」
まったく逆らえない。ヴィクターが守れるのは、もはや彼自身の内心だけだ。
そして、そこには罪があった。
アクエリカと接触したことで、彼は秘密という名の毒を抱えてしまったのだ。
知りたくはなかった。
だが、もう遅いのだ。
確かに、アクエリカの経験記憶……正確に言うと肉体履歴は、なかなか酷いものだった。かなりうんざりさせられる内容が目白押しだった。
しかしヴィクターはこの手のものは見慣れているので、今さら胃にダメージを受けるほどではない。
ではなぜ盛大に嘔吐したかというと……計画の根幹を揺るがすある情報を取得してしまい、強烈なストレスとプレッシャーを受けたからだ。
幸い、黙ってさえいれば済む話ではあるのだが、当該人物にバレた場合が致命的過ぎる。
今さらこんなことがわかったところで、今からどうにもしようがない類のものなのだ。
要はバレなきゃいい。アクエリカにも悟られなければいい。そのためにはメリクリーゼから報告が上がっているであろう、いつもの彼でなければ怪しまれてしまう。
なのでヴィクターは愛する
「しかしアクエリカ、君はお風呂で最初に洗うのがぐぎゃ!?」
みなまで言うことすら許されず、
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