第105話 4 HOW TO


「な……い、いったい、どうやって……」

「まあまあ、お嬢様、落ち着いてくださいな。いったん深呼吸して。なんならお茶でも飲んだらいかがです? ……もっとも、今はこの場を離れられないでしょうけど」


 イリャヒが発したすべてを見透かすような漆黒の眼光に射竦められ、エルネヴァの肩がビクリと跳ねて、臆病を表現してしまう。

 トリガーはまだドレスの裾で隠すように持っているので、見られてはいないはずだ。


 それに、彼らにはフクリナシを拷問してエルネヴァの目的を聞き出すような時間はなかった。

 つまり、まだ半分くらいは強気のハッタリで押してきている段階なのだ。逆転の目はある。


 ……あるにはあるのだが、このままではトリガーを引くことはできない!

 仮にエルネヴァにフクリナシを切り捨てるような非情さがあったとして、そうすれば今度は位置的に彼が邪魔になるため、イリャヒを結界の真芯に捉えることができない。


 おおよそそのあたりを理解している様子で、奴は悠々と肩をすくめてみせる。


「いったいどうやって、となると、四つほど候補が出てくるのですがね。私は親切なので、すべて順番にお答えしたいと思います。


 まず一つ目、私たちがどうやってザクデック氏を制圧したかですが……これはいちおう企業秘密ということにしておきたいですね。

 これでも我々もプロの戦闘屋ですから、手品師よりも手の内が生命線なのですよ」


 そういえばさっきからソネシエの姿がない。連絡係として教会に走らせたのだとすれば……いや、どの道この状況が詰んでいることに変わりはない。


「もっとも、ヴィクターなら知っているのでしょうけど。なにせまったく同じ手を10年前に、偶発的とはいえ使ってしまっていますからね」


 イリャヒの声に思考から引き戻され、その名を認識して瞬間、エルネヴァはまたしても思わずビクリと反応してしまった。

 相手がニヤリと笑うので、彼女は頰が熱くなるのを感じた。かまをかけられたのだ!


「ああ、やはり彼の伝手でしたか……いえ、どうもこの部屋から遠ざけられている感じがしましたし、そして今は誘い込まれているような気がしたので、この部屋になにかあるのは確信していたのですが、それがなにかはいまだによくわかっていなかったのですよ。しかし、ヴィクターが関わっているとなると、おおよその方向性は想像が及びますがね」


 それがつまり、どうやってこの部屋に迂闊に入ってこないという判断ができたか、という二つ目だ。では、次が……。


「三つ目。私が今、どうやってあなたの執事を盾に取っているか。

 さあ、ザクデック氏、あなたのお嬢様に見せてあげましょう?」


 邪悪な囁きに対し、フクリナシの顔が苦悶に歪んだが、結局は従った。

 エルネヴァにはわかる。彼が執事として晒すのは失礼に当たると思っている背中を、どこの馬の骨とも知らぬ若造の命令によって、しかもよりによって主であるエルネヴァに晒させられるというのは、彼にとってこの上ない屈辱だということを。


 当然イリャヒは、そのことをわかった上でやっている。

 この男は生まれついてのサディストだ。敵に回していい相手ではなかった。


 エルネヴァは戦々恐々としつつ、まずは執事の首筋に目が向くが、拍子抜けした。

 てっきり弱らせたところを吸血し、従者化しているのかと思ったら、その跡がない。


 そして、間髪入れず飛び込んできた認識に、彼女は呻き声を漏らすしかなかった。

 フクリナシの広い背中の真ん中に、小さな青い鬼火が一つ、煌々と灯されていたのだから。


「おわかりいただけたでしょうか?」


 わからないはずもない。それは先ほどの舞踊コンテストで、エルネヴァの胸元に授けられていたのと同じものだ。ただし意味が違う。

 イリャヒの固有魔術〈青藍煌焔ターコイズブレイズ〉は味方を守るが敵を焼く。


 つまり今、イリャヒは意識的に保留状態で置いておくというほとんど自己暗示に近い自制を維持しているのだろう。

 ここから彼が主従の二人を完全に敵と認識すると同時に、フクリナシの背に灯された炎は振る舞いを変え、一気呵成の火刑に処されるという、心一つの臨界状態でもあるのだ。


「……お嬢様、おやめください。どうか彼らに降伏するご英断を」


 イリャヒへの、そしておそらくは抵抗できない彼自身への怒りに身を震わせながら、フクリナシが進言してくる。


「正直に申し上げて、わたくしはもはや、何度やっても彼らに勝てる気がいたしません。戦闘力もそうですが、精神性が根底的に異なるのです。

 特に彼……イリャヒ・リャルリャドネは異常者の類です。彼は必要とあらばわたくしを、わたくしが死んだ後はお嬢様を、何度でも血で回復させては焼くでしょう。

 僭越ながら、彼らに協力を仰ぐ方が、まだしも成功率は高いかと存じます」


 言いながら流れる彼の脂汗を見て、エルネヴァはおおよその内訳を理解した。


 おそらく戦闘力的には、単にイリャヒとソネシエの連携がフクリナシを上回った帰結なのだろう。

 だがイリャヒはその戦法を用いて、フクリナシの発する雷鳴が尽きるまで、つまり彼の心を折って、完全に屈服させるまで繰り返したのだ。


「そう、でしたの……ふふっ……またしても、あたくしの完敗ですのね……」


 完全に脱力した彼女の両手に、再び熱が戻ってくる。

 彼女の頭脳はまるで明晰夢のように、自棄になりつつある彼女自身を客観視していた。


 だが止まる気にはなれない。あのニヤケ面に一矢報いたいが、愛する執事を失うのは御免だ。

 照準は多少ズレるが、仕方ない。


 結局は勝利宣言のためにノコノコと、扉を開けに来たことを後悔させてやる!


 にわかに傲岸の仮面を取り戻したエルネヴァは、左手を振り下ろしながら不遜に叫んだ。


「フク、おすわりっ!!」


 ハモッドハニー家の品格のために断じて誓うが、普段からそういう調教を行なっているという、危ない関係にあるわけではない。

 しかし執事は意を汲んで即応し、うつ伏せに床へ這いつくばった。


 そう。その体勢なら、フクは背に擦る程度で済むのだ。余禄で炎も消えるかもしれない。

 予備としてもう一つ、補助となる些細な仕掛けを施しておいてよかった。


 イリャヒが左手の動きに気を取られた隙に、エルネヴァは右足で床を叩いた。

 地団駄を踏んだわけではない。そこに隠された、別の起動装置があるのだ。


「あらら?」


 開いた扉に寄りかかっていたイリャヒが、絡繰からくりによってひとりでに勢いよく閉じたそれの勢いに押されて、部屋の中へつんのめる。

 上々だ。やはり罠というのは、獲物を逃がさないことが第一と言える。


 エルネヴァは勝利を確信して、右手のトリガーを……引く寸前に、イリャヒが冷静に口遊くちすさんだ。


「四つ目」


 嵐が起きたと気づけるのは、被害状況を確認した後のことだ。


 エルネヴァが認識できたのは、背後に迫る膨大な魔力の奔流と、隙間風と呼ぶにはあまりに背筋を震わせる冷風。


「ひっ……!?」


 次いで右腕に熱と、首筋にひんやりとした殺意の感触だった。


 この一週間、嗅ぎ慣れた甘い香りが彼女の頰を撫で、聞き慣れた声が耳元で宣告する。


「どうやってあなたを完全に追い詰めるか。

 答えは、わたし」

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