第104話 敗北のメタファー


 今でこそ名ばかり伯爵に落ちているハモッドハニー家だが、かつてはミレインの街、いや、ミレイン近郊一帯……だいたい今ミレイン教区と呼ばれている範囲くらいを治めている、ラスタード王国でも有数の大領主だった時期がある。


 有する吸血鬼としての力も強大で、エルネヴァの祖先はを打ち立てた。

 当時ちょうど台頭する頃だった、いわゆるラスタード四大名家の糾合を目論んだのだ。


 ハモッドハニー家は何世代かかけてその難題に挑んだのだが、力による正面突破でも、政略結婚を含めた取引によっても、それを成すことはできなかった。


 しかし衰えきり、誰の目にも留まらなくなった今こそが好機だと、エルネヴァは考えていた。

 彼女は信じている。文字通り「血を分けた」ペリツェ公はいまだ生存しているし、ハモッドハニーの家格は本来、四大名家を束ねるに相応しいと。


「別に、そうしなければならないというわけではありませんわ。ただあたくしがそうしたいというだけですの」

『わかるとも。ときに誇りのために、他のすべてを捨ててしまうのが、貴族という生き物なのだから。正直、僕だって似たようなものだからね』


 ……ヴィクターにそのあたりをくすぐられ、けしかけられた感があるのは心外だが、それが彼女自身の本懐であることもまた間違いない。


 たとえばエルネヴァが幼い頃から種族主義・差別主義者として振る舞い、同族以外を徹底して遠ざけていたのは、様々な種族の軍勢を持つ四大名家の糾合を、よもや視野に入れているとは思われないためのブラフだった。

 実際にはエルネヴァは、誰の種族がなんであろうと、特になんとも思ってはいない。


『じゃ、本番になってお嬢様がトチらないよう、ここからの段取りを確認しておこうか』


「余計なお世話……と言いたいところですが、お願いしますわ」


『ふふ、素直で結構。

 まずイリャヒかソネシエ、できれば両方を「銀の結界」で捕らえ、彼らを君の……あれはなんというんだっけ、吸血鬼としての下僕に仕立て上げる。


 ちょうど〈恩赦祭〉の日にイリャヒが言及してたんだけど、吸血鬼が他の種族を噛んでも、吸血鬼性を与えることはできず、えーと……そうだ。眷属だか、血の従者だかいう存在にすることはできないとか』


「どうせ死語なわけですし、どちらでも構いませんわ。

 とにかく例外はかつての人間、そしての場合ですの。

 吸血鬼が吸血鬼を噛めば、俗に言う『血の強い』方が、相手を支配することができる」


『ただし君は、これも口で言っているほど、自らの血の高貴さを過信しているわけじゃないよね。リャルリャドネともまあまあ競れる自負はあるけれど、確実には程遠い』


「ええ。ですがそれは、相手が銀糸に囚われて喘いでいる状態なら話は別ですわ」


『いいね。「銀の結界」を切り開いて近づき、イリャヒとソネシエの首筋に邪悪なキスマークを残したら、第二段階へ移行だ。

 ……といっても今は、目の前の一事に集中すべきだから、四大名家攻略チャートは、ひとまずここまでで仕舞っておこうか。

 それじゃ、こっちもいちおう隠密行動中だから、今度こそこの辺で』

「ええ」


 使い魔の眼が元の葡萄ぶどう色へ戻り、頭をスリスリしてきたので、エルネヴァはモモンガを優しく撫でた。


 ヴィクターの言うことももっともではある。

 だが、エルネヴァは帰ってきてからまだ着替えていないドレスワンピースの裾を広げ、その色が示す展望を脳裏に焼き付けておく。


 黄金色のパレットに四色の絵の具をブチ撒けて、高貴な灰紫色を練り上げるときが来たのだ。



 不意に、廊下が静まり返ったことにエルネヴァは気づく。

 どうやら戦闘が決着したようだ。やはり緊張は高まり、全身の血が頭に昇ってくるような錯覚を覚えた。


 フクリナシには、二人を殺さないようにとは言い置いてある。

 そして二人がフクリナシを倒した場合も、殺しはしないし、悠長に拷問などもしない……と、思いたい。


 希望的観測ではあるのだが、当たってはいた。

 なぜならノックで許可を取った後、いつも通りににこやかな表情で、フクリナシが入室してきたからだ。


「フク! 無事でしたのね!」

「申し訳ございません、お嬢様。ずいぶんお待たせしてしまいました」


 ただ当然ではあるが、完全に平常な様子とまではいかない。

 髪には乱れが残り、服にも破れや汚れが目立つ。吸血鬼としての再生能力で完治してはいるが、あの二人が相手なのだ、かなりの手傷を負ったことは想像に難くない。

 なのでエルネヴァは、心から彼を労った。


「いえ、こちらこそ、慣れない役目を押しつけてしまって、すみませんでしたわ」

「もったいないお言葉でございます」

「それで、あの二人はどうしましたの?」


 一瞬の沈黙の後、フクリナシは第一声と同じことを、もう一度繰り返す。


「……申し訳ございません、お嬢様」

「えっ、まさか」


 殺してしまったのか、それとも逃げられたのか。とエルネヴァは問おうとした。


 が、にこやかなままのフクリナシの顔から、滝のような汗が発せられる。


 エルネヴァはそれですべてを悟った。


「……背を向けるというのは、背信、そして」


 ああ、なんてことだ。今、立っていてはならないはずの男の声が、嫌味なほどに朗々と響く。


「敗北のメタファーでもありますよね。そうは思いませんか?」


 イリャヒ・リャルリャドネはそう言って、開いた扉にもたれかかり、気障きざな流し目を送ってきたのだ。


 ありもしない魅惑の魔眼で堕とされたかのように、エルネヴァの腰が抜け、ストン、と気持ちがいいほどに呆気なく、膝を屈してしまう。


 どうしてこうなった? というのが、彼女の脳がなんとか出力した言葉だった。

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